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25歳の僕と、精神病と、僕が振ったあの子のこと

25歳になった。

自分の限界みたいなものを思い知る歳だと聞く。確かに10代の無鉄砲さ、無謀さはなくなった。何でもできると思っていた万能感は消えた。代わりに得たのは「このままだと何物にもなれずに終わる」という焦燥感だ。

結果的に、僕は今10代の時より、絵や漫画を描けるようになるための訓練をすることができている。背景の練習、3Dの勉強、カラーを学ぶこと。ストーリーを作るために見聞を広めようと本を読み、歴史を勉強し、カメラを持って町へ出る。やることは山積みだ。

僕は双極性障害だ。2年前、上司のパワハラが原因で発症した。

双極性障害はうつ病と似ているが違う病気だ。昔は「躁鬱病」と言われていた。
激しい怒り、狂ったような高揚感で暴れまわる「躁」と、布団にくるまったままなにもできなくなる「鬱」を周期的に繰り返す。投薬で状況を抑えることはできるが、根本的に治療する方法はない。

最初の一年は狂ったように暴れまわった後、布団から出ることもできなくなった。
次の一年は好きなことをしようと、同人誌をたくさん出した。
今はだいぶ回復して、上記のような活動ができている。

最初の最初、一番病気がつらかった時。
僕は誰かに会いたかった。
誰か自分を肯定してくれる人、僕を好きな人に会いたかった。

だから僕は、卑怯にも、ある女の子に連絡を取った。

その子の仮名を「有川」としよう。
彼女は昔、僕が地元の高校にいた時、僕に告白してくれた女の子だ。

彼女は地味で、背の低い女の子だった。
というか、僕は最初、彼女を女子だと認識していなかった。
体操服を着ていて、髪が短くて、低い声の彼女のことを男子だと思った僕は、高校最初に友達を作ろうと気さくに話しかけた。
今思えばその時の彼女の動揺ぶりからすぐ気づけばよかったのだが、のちに制服姿で再会したとき狼狽したのは僕のほうだった。

それから僕と有川は、ときどき話す間柄になった。
向こうから話しかけてくれたし、モンハンの話をした。生まれて初めて連絡先を交換した女の子は有川だった。
僕も真面目な彼女が嫌いではなかったし、彼女は絵を描く人なので話が合った。僕が教室で絵を描いているときに話しかけてくれるのも楽しかった。

やがて僕は彼女に告白された。
でも僕はそれを袖にしてしまった。好きな人がいたからだ。その子にはすでに、断られていたにも関わらず。
とっくに終わったはずの恋を諦められなかった僕は、こんな気持ちでは彼女に応えられないと思った。
やがて彼女は、次の学年に上がるころに学校に来なくなり、転校した。東京にいるらしいと人づてに聞いていた。
僕と彼女の最後の会話は、文化祭の出し物の後疲れ切った彼女に、ジュースを渡して「お疲れ」と言った、「ありがとう」と返された、それだけだった。

このころの僕の誠実さは、今の僕には消えてしまったものだ。

そのあと僕は東京の大学に行った。
実は一度だけ彼女に連絡を取ってみた。僕が振った直後に転校してしまったことに罪悪感があったからだ。
「東京に行くんだけど」と。それが18歳の時だ。
この時点でいかにも自分本位で、最低な話だとも思う。

会ったときの彼女は変わっていなかった。だけどなんだか、歩調が合わなくて、居心地が悪くて、そこから続かなかった。
でも、漫画家になりたくて専門学校に行っていること、本気で頑張っているという話を聞いて、俺も頑張るよと答えたのを覚えている。

そして23歳になった僕は、彼女と再会することになった。

夜の川崎で会った彼女は、病気の僕よりも顔色が悪かった。
タバコの吸いすぎと持病のアトピーが悪化したらしい。

すれた雰囲気をまとい、紫煙をぷかぷかとふかし、大股を開いて座った。
浅黒い肌と明るい色に染めた髪が合っていないなと感じた。
そして彼女は僕に問いかけた。

「ねえ、なんであたしを呼んだの?」

これは正直に言わなきゃいけない。不誠実な僕にできる最低限のことだ。

「いや、俺精神病になっちゃったんだよ」

ぽかんとした顔を彼女がした。「だから、人恋しかったんだ」僕が続けた。

しばらく間をおいて彼女が笑った。

「あたしも!」

それから彼女はたくさんのことを話してくれた。高校を休んだ原因が精神病だったこと。薬を処方されたが飲んでいないこと。専門学校を卒業した後しばらくアルバイトをして、でもうまくいかずキャバクラで働いたこと。でもプログラミングを勉強して派遣社員になって、今度正社員になるということ。
たくさんのことを話してくれて、僕も隠していたものをすべてさらした。それは楽しい夜になった。

「あたしさ、人生って25歳で決まると思うんだよね」

有川がぽつりと言った。どうして?と僕が尋ねた。

「あたし、いろんな人に会ったよ。40超えてるのに私より子供な奴、10代なのに私よりずっと大人な子。きっとその人がどんな人格になるか、周りにどう思われるか、どんな人生を送るかが決まるのって、25歳なんだ」

「野図君はさ、パワハラされたって言ってたじゃん。でも今話したら野図君って、確かに変わってるんだよね。誤解されても仕方ないところあるかも。でもさ、それってこれから気を付けたら治るところだと思うよ。今あたしたち23じゃん?頑張ろうよ、お互い」
その時の僕は、あいまいな答えしかできなかったと思う。

「ところで野図君って童貞?」最後に別れるとき、彼女は訊いた。
「まあね。彼女できたことない」「そう。でもさ、あんたのこと私、高校の時は何考えてるかわかんないって思ってたけど、今は結構わかるよ。あんたいい子だからさ、きっとできるよ。じゃね」

そういうと彼女は、僕より低い背を精一杯伸ばして、僕の頭をなでてくれた。

それが、僕が有川と最後に会った記憶だ。

25になった今思い出す。
「人生が決まる」という彼女の言葉。
あれから2年、病気に振り回されながら、絵を描くことが生きがいなんてうそぶいて、そのくせろくに練習もせず、なんとなく、「俺は今こんなにつらいんだから仕方ない」と言い聞かせながら生きていた。

今からでも間に合うだろうか、と強く思う。

自分が生きていくうえで成し遂げたい目標は、ただ朝と夜を繰り返すだけでは果たせないんだと、気づくまでに25年かかった。
だからせめて、これから続けたいと思う。絵を描くため、生きていくため、なにかを成し遂げたという気持ちを抱いて死ぬため。
逃げてきたことと向き合おうと思う。

有川はきっと今頃、正社員になって頑張っていると思う。もう二度と会うことはないだろうけど、彼女が僕を励ましてくれたことが無駄にならないように、頑張りたい。

会ってくれてありがとう。
俺がこれから一生かけて漫画を描いていく中で、いつかその一つがお前の目に届けばいい。

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