創り手が失ってはいけない(気がする)孤独について
最近周りに人が増えた。
元々関係があった友人たちとの中が深まった。彼らが僕を心配してくれたからそうなったのだということに感謝している。
また、積極的に他者とかかわるチャンスを増やそうという行動を僕自身起こすようになった。今僕は困ったことがあったり嬉しいことがあったら話を振ることができる相手が、リアルでもネットでも複数いる。
とてもありがたいことだ。これは大前提。
だけど、孤独であることへの耐性が落ちたとも思う。
スマホを見る頻度が増えた。なにか通知や連絡が来ていないかとちらちら見るようになった。
原稿をしているときに作業通話をしたがるようになった。無音に寂しさを見出し、夜におびえるようになった。
TLの婚活云々の話題が回ってきて焦る。「自分はそれを求めても周りを不幸にする、というかした、だからしない」と決めていたはずなのに。
話は変わるが僕は映画館がとても好きだ。映画作品が好きなのもさることながら、携帯電話を強制的に切断させて、真っ暗な部屋に閉じ込めるという、発信側にとても都合がいい表現方法がとても好きだ。
漫画もアニメも、今はスマホに邪魔される。つまらないと一瞬でも思われたらスマホチェックに水を差され、下手をすればとってかわられてしまう。
スマホが悪いとは全然思わない。前述のとおりそれは人と人をつないだし、僕自身の社会とかかわる能力を向上させた。なかったら僕は今、現状よりさらに偏屈な男になっているだろう。世界の中庸というものを知らないまま、社会の現状を知らないまま表現をすることほど危ういことは無い。
だけど、スマホを持っていなかった大学時代、ツタヤで借りて来た映画を一心不乱に見続けたあの頃の孤独も、大切なものだったと思うのだ。
今の自分にはそれが耐えられる気がしなくて、それがなんだか情けない。「誰かとともに居たい」という欲求は人間として当たり前だけど、こと創作においては、そこから先にあるものが茫漠とした地獄な気がして、そういうよくわからない怯えに僕は答えを出せずにいる…
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