wowakaさん追悼 好きなものを失っていく中で
最近、僕が好きだったものが失われていく。それはいろんな形で。
今月、京都アニメーションが放火によって壊滅的な被害を受け、多くの人命が失われた。
僕は京アニの作る作品が好きだった。「けいおん」も「日常」も好きだった。「聲の形」も凄い作品だと思った。だけど、きっとこの作品たちを見て、今後心から楽しむことができるのかがわからない。どうしてもあの、理不尽で悲しい出来事が脳裏をよぎるだろうから。
好きだったバンド「マキシマムザホルモン」が炎上した。パワハラを安易に取り扱い、ありていに言って「悪ふざけに失敗した」。
事件自体の失敗はともかく、事後処理が悪かった。謝罪文が体裁の整ったものではなく、「でもこうして叱ってくれるファンのことマジ感謝してるぜ、これからもついてきてくれよな」みたいな、それは謝罪するときに出す文言ではないと感じさせられる文章だった。
僕はパワハラ被害を経験したことがある。前もここで話したが、欝になった。そういう苦しい状況の時、マキシマムザホルモンをよく聴いていた。「欝くしき人々のうた」は素晴らしい応援歌だと思っていた。今はしばらく聴きたくない。
2月、同じサークルの後輩から欝について酷いことを言われた。それ自体も許せなかったが、周りの温度が、「どっちも悪いがお前の方がより悪い」という空気だと感じた。
飲みに行ったり遊んだりもしていたが、あれ以来誘われていない。そのやらかした方の、差別語を使ってののしった後輩は、同期のTwitterの画像欄で楽しそうにしていた。
4月、親友が失踪した。僕は彼と連絡を取りたいと思って色々していたが、今はもうそんな気にならない。僕の言葉は、僕が友達だと思っていた彼には届かなかった。それで終わりだ。
同じ月。なによりもショックだった。wowakaさんが亡くなった。
大好きなバンド「ヒトリエ」のボーカルで、僕はライブのチケットを取って、楽しみにしていた。本当に楽しみだった。
欝で苦しい時、原稿を描いているとき、パワハラを受けている会社に向かう電車の中で自分を奮い立たせるとき、僕はずっとヒトリエを聴いていた。楽しい時も辛い時も、僕のウォークマンの中で、彼の曲は僕に寄り添ってくれた。
wowakaさんの歌は、僕にとって生きる希望だった。
追悼会、シノダさん、イガラシさん、ゆーまおさんのライブに参加した。映像の中のwowakaさんは笑っていた。最後にwowakaさんは、過去のライブ映像の中で、僕が一番好きな曲「リトルクライベイビー」を歌い上げた後、「また会いましょう」と言った。
追悼会が終演したとき、「ポラリス」の流れる中、カーテンにwowakaさんのアイコン、彼のシルエットが映し出された。
僕の近くで、すすり泣く声の中から、かすかに歌う声が聞こえた。僕はそれに声を合わせた。
何処に行くにも彷徨って 間違うばかりの日々だよ
ああ 僕はうまくやれるかな また泣きそうになったよ
ひとり、ひとり、少しずつ輪が広がっていく。涙声が歌声に変わっていく。
「きっとあなたは大丈夫」「とても強い人だから」その言葉の奥で笑う顔 いつも救われていたの」
wowakaさんの笑顔を思い出した。きっと彼は、僕らをずっと、そうやって励ましてきた。
この胸に灯った一欠らの灯りの意味を今言うよ
喜怒哀楽すべてが僕の譲れない光だってこと
皆で最後まで歌った。どうしようもない悲しみと苦しみの中で、それさえも譲ってはいけない光だと、彼の遺した歌は伝えていた。
沢山のものが失われた。僕を構成していたものの、いくつもの成分がえぐり取られ、消え去った。
それでも、僕はまだ生きていて。生きている限りは日々は続いていて。だから生きるしかないんだと思う。
追悼会の最後で、シノダさんはヒトリエの活動を続けると言った。またライブをやるらしい。
どれだけのものが削り落とされ、どれだけの人が去って行っても、命と心は残っている。
また一歩足を踏み出して あなたはとても強いから
誰も居ない道を行ける 誰も居ない道を行ける
辛くて苦しい、どうしようもない。でも。
あなたがそう言うなら、信じて生きてみるよ。
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