日記

母が東京に来るというので、まちのパーラーというパン屋さんで昼食を食べた。家から電車で行ったほうが近いけど、晴れていたので自転車で向かう。気持ちがいい。前日に大学の時の後輩がおすすめを教えてくれたのでそれを食べた。「トリッパ」。おいしかった。
Xで「まちのパーラーのおすすめ教えてください」と全員に向けて書いたけど、実のところその後輩が答えてくれるんじゃないかなと思っていた。おいしいお店をチェックしている感じで、生活も素敵で尊敬している後輩。ありがとう。

SNSなどでの「新宿にいるけど誰か飲まない?」という類の呼びかけ、全然一緒に飲みたくない人が声をかけてきたらどうするんだろう。なんとなくこの人が声をかけてくれたらいいなとか、そういう思惑があるのではないか。Xのスペースなどもいいのかなと思って入る勇気がなかったりするし、入っちゃったけどよかったのかなとか後になって考えたりもする。

母親と話していたら「◯ちゃん(母にとっての孫、わたしの甥)が『ひき肉です』ってふざけるようになったから動画を見てみたけど、あれは何が面白いの?」と素直な心の顔で聞かれた。わたしも「ひき肉です」をなんとなく知っているけど、何が面白くて流行っているのかはわからないから「わたしもよくわからない」と答えた。素直な心の顔で。「なぁぜなぁぜ」とか「大丈夫そ?」とかはなんとなく使い方とか、流行ってる理由がわかる気がするけど、「ひき肉です」はよくわからない。
「大麻グミをもらっても食べないようにしよう」と誓い合って別れた。

金曜日であってほしすぎて仕事のカレンダーで金曜日の予定を確認して、なんかおかしいなと思ったら木曜日だった。とてもショックだった。

キングオブコント2023を見返したので、2021年のを見ている。オープニングもかっこいい。
審査員の「すごくよかったけど最初だから点数おさえめにつけた」「面白かったんだけど全員すごいからこの点数になった」的なコメントは禁止したほうがいいのではないか。
2021年のトップバッターの蛙亭が「最初だから点数おさえめにつけた」と言われていて、2023では「面白かったんだけどみんなのクオリティーが高いからね…」的なことを言われていた。イワクラが「じゃあもう少し高くつけてください」と言っていてよかった。

このあいだのアメトークの「ラブコメ漫画サミット」で蛙亭の中野があずきちゃんを紹介していたことから、中野が気になるようになった。子供の頃も妹とあずきちゃんを楽しみに見ていたし、大学生の頃はニコニコ動画でコメントを見ながら違法のあずきちゃんを見るのが楽しみだった(よくないこと)。中野、あずきちゃんを紹介してくれてありがとう。「ラブコメ漫画」というテーマだったけど秋元康原作であるあずきちゃんに笑えるところは一つもない。昨日は蛙亭のYouTubeを見ながら寝た。

中野にまつわる思い出はもう一つあって、あまり感情の起伏がない父親と実家の居間でお笑い番組を見ていたら蛙亭が出ていた。中野の声を聞いた父親が「この人は男なのか?(男のように見えるが、信じられないという顔で)」としつこく聞いてきたことがあった。その時に久しぶりに父親の感情の揺れを感じた気がした。という思い出。

このあいだ出した日記、致命的な間違いがないか印刷する前に友達に読んでもらって、前書きがあったほうがいいと言われたので簡単なものをつけた。「読んでるとテレビが好きな人なのかなって思うから」と言っていて、そうかな?と思ったけど確かにわたしの日記にはそういう固有名詞がたくさん出てくる。わたしの人生にはテレビしかないのだろうか…

ハライチのターンをリアタイした。ハライチのターンリスナーなので、楽しい時間をくれたハライチに感謝している。わたしはできるだけ何も思わず何も言わず(思うし言うけど)、ハライチのターンを聞いたり聞かなかったりするだけの人間として存在したいと思う。

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