感想をもらった感想

文学フリマでわたしのエッセイを「友達が勧めてくれた買い」をしてくださった方が二人、感想をくれた。(気を遣って買わせてしまっていたら申し訳ないな…)と少し思っていたので、楽しく読んでもらえたようでとても嬉しかった。

一人は感想をくれたというかLINEでのやり取りのスクショを送ってくれて、わたしが見えないところでわたしの本について話している様子が面白いと思えてもらえている感じの盛り上がり方(盛り上がっていた)だったので嬉しくなった。もらったスクショをスクショして見ている。
「つぶやきシローに嫌われたくないっていうのめっちゃわかる」ということと、「自分はつぶやきシローの発言に影響を受け、ここを気にして生きている」ということについて詳細に書いてあって、そこにそんなに引っかかるとは…と驚いた。

以前、本を読んでくださった方とお会いした時に「業務時間外にSlackを開くことは禁忌ですよね…」と数時間の会合の間に二回言われた。わたしが旧ツイッターにも載せていた日記に(今回の文学フリマで出した「そこにいたことはたしか」にも載せている)「業務時間外にSlackを開くという禁忌」と書いたので。この方にはそれがとても印象に残ったのだなと感じた。

ただもちろん、わたしは自分なりの活動を通して「つぶやきシローに嫌われないような人間になるための心得」「業務時間外にSlackを開くな」ということを伝えたいわけではない。意図せぬ刺さり。
かといって、世の中に訴えたいテーマがあるわけでもない。文章を書くのが好きだけど、どういうものを書いていますという顔をしていたらいいのかわからないというのが悩みだった。ちなみに、どんな人に読んでほしいのか、どんな人が書いていそうだと思われたいのか自分でよくわかっていないのでああいうシンプルな表紙になっています。

仕事をしていて、なんとなくiPhoneを見たらちょうどメールが届いていた。それが感想をくださった方のうちのもう一人。すごくていねいに言葉をつづってくださっていた。その方は「『散歩で歩く道が同じになった人に餃子を一緒に食べる提案をしたくなったところ』『散歩をしていたら気持ちがダンサーインザダークから釣りバカ日誌になったというところ』がツボだった」と書いてくれた。この方にとってはそこが…と思った。感想と一緒に、その方の親しくしていた人との関わり方をふり返った時のことが書いてあった。

目にした二つの感想には両方ともご自分の経験が書かれていた。人と話すのが好きなので、わたしが書いたものを糸口に自分の何かを思い出してもらえること、それを聞いてわたしもまた何かを思うことは嬉しいし楽しい。

わたしが犬だったらお腹を出して服従したいような才能の持ち主に「高井さんの書くものに結論は求めていない」と言われたことがあった。今回出した日記をまとめて読み返して、今回いただいた感想も混ぜて考えたらなんとなくこういうことなのかなと少しわかったような気がしたような気がしないでもないけどどうなのだろう。

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