読書

瀬尾まいこさんの「あと少し、もう少し」という小説を読んだ。

土曜日に本好きの友達と電話をしていて「泣ける映画が観たい」という安易かつ、なぐさめてもらいたいような魂胆が透けて見える質問をした。すると「映画はすぐに出てこないけど、本なら…」と教えてくれた小説がそれだった。
友達は「昔は本を読む習慣がなかったから、大人になってからそれを取り返したくて本を読んでいる」らしい。わたしはその逆で、高校生の頃まではたくさん本を読んでいたけど大人になってから読む量が減った。その小説のどこがいいのかを話してくれる友達の声に熱がこもっていて、読んだ時の感動がそのまま音声になっているようだった。 Kindleでその本を買った。

次の日、高円寺にあるそぞろ書房という本屋さんに行った。書店員をされている方が書いた「本のある日常」というZINEを買う。「本を読むのはめんどくさい」というタイトルのエッセイに惹かれた。わかる。
「BOOK ALL RIGHT」というタイトル(「本があるから大丈夫」という意味のはず)のイラストの展示もしていて、なんだか読書について考える機会が続くけど、わたしは本があるから大丈夫と思えるほど本を読んでいないなと思った。「環境が変わると自分も変わる」みたいに、読書を楽しんでいる人の空気に当てられて本を読むモードになった。少し。

昨日、仕事が始まる前に「あと少し、もう少し」を読み始めた。Kindleで小説を読むことはあまりなくて少し読みづらい。最初はあまり気分も乗らなかったけど、すぐに夢中になった。

男子中学生の駅伝の話で、襷を繋いでいく六人の走者の抱える問題がそれぞれの視点で描かれている。感情移入し、序盤から泣きながら読んだ。悲しい話ではないけど心が震えて涙が出るという感覚で、本を読むことの楽しさを思い出す。わたしはすぐに辛いことや不安で頭がいっぱいになってしまうけど、小説の世界に引き込まれて嫌な余白がなくなった。
この楽しさを思い出させてくれた友達やZINEの作者の方や、さまざまなめぐり合わせに感謝する。

今日、「あと少し、もう少し」の続編があると知ったので読んでみた。「君が夏を走らせる」という小説。駅伝がテーマの「あと少し、もう少し」のような盛り上がりはないけど、誰かとの交流で人がいい方向に変化していく様子が描かれていて、面白くてすぐに読み終わった。もう一つ続編があったので、その後すぐに買って読んだ。「その扉をたたく音」という小説。これも面白くて泣きながら読んだ。
人生の中の短い時間かかわった人の要素がなんとなく自分に残ることは幸福だと思う。瀬尾まいこさんの小説もそうやって生きていく人間の優しい側面が描かれていてよかった。「そんなのも読んでなかったの?」と笑われてしまうかもしれないけど、本当にわたしはあやなんの「炎上白書」などしか読んでいなかった。あやなんはどういう炎上をしてきたのか、ちゃんとソースがあるもので知りたかったので買って読んだ。

「鬱の本」という本を買った。点滅社という出版社が出した本。84人もの作家の方の名前が並んでいて、わたしの好きな人の名前もすごくたくさんあって、ずっと楽しみにしていた。
前書きに「読んでいる数分だけでも、ほんのちょっと心が落ち着く本」にしたくてつくったと書かれていて、わたしが最初にエッセイをフリーペーパーとして配布していた時の気持ちと同じだ!と嬉しくなる。でもわたしは本当に落ち込んでいる時は本も読めません。
見開き一ページで読み終わるので、ぱっとひらいたページを読んでいった。好きな人のエッセイはもちろん好きだったけど、読んだことのない方のエッセイもとても楽しく読めた。おこがましくもわたしの憂鬱はわたしだけのオリジナルだと思っていたけど、好きな人の憂鬱に影響を受けた憂鬱を感じているのだなと気づく。
読んだことのない方のエッセイを読むと「この人は憂鬱からこうやって思考が進むことがあるのか」という新しい見方があるのが面白かった。新しい感じ方がわたしの中に生まれる。詰まっていた思考の管が通る感じ。(この人のことあまり知らなかったけど、憂鬱の感じわたしのに似てる)と思ったりしながら読んでいる。そういう人には興味が湧く。その人が読んでいる本にも興味が湧いた。

本当に気分が沈んでいる時には本も読めないけど(本の力のなさを言いたいのではなく、人間の沈み方の深さを言いたい)、本が読めるくらいの状態の時に読んだ本から得たものが自分を持っていかないでいてくれるということはあるはず、と思った。

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