12/10(日)

日記祭というイベントに行ってみることにした。下北沢まで自転車で行く。練馬から下北沢まで自転車で行くと言うと驚かれることがあるけど、意外と近い。四十分くらい。というのが遠いと思う人もいるのだということを知った。乗り換えが嫌いすぎる。電車と自転車でほぼ同じ時間がかかるから、なら自転車のほうがよい。自転車で一時間の場所ならそれで行く。

朝起きて「行ってみよう」と思ってから六時間くらい経ってから行った。独り身のよさなのか、自分のダメさか。

六時間くらいのあいだで、「ナイルパーチの女子会」というドラマをなんとなく見る。実際の自分と女性としてなりたい自分のギャップで悩む感じの人の話。出てる人達はなんか辛そうにしてるけど、あんまり人間関係で悩むことがないので、対岸の火事という気分で見る。わたしが同性から敵対心を持たれることがないのは嫉妬心をあおるような要素がないからだと思う。何も持っていない。彼氏や旦那さんに紹介しても心配のない人間。

自転車を漕ぎながら「下北、やっぱり遠いな」と思った。でも、漕いでいれば着く。

下北ではなんだかおしゃれな催しがおこなわれていて、ちょっと見る。虎が刺繍されているかばんがかわいい。オニツカタイガーの、虎が刺繍されているかばんを肩からさげながらそう思った。寅年生まれなので。

日記祭の会場までの道のりをGoogleマップで調べたら、結構遠かった。間違ってるかもしれないと思いながら歩いていたらたどり着いた。多分遠回りしたけどたどり着けばいい。

「鬱の本」を読んで面白かったので、phaさんの日記を買いたかった。ご本人に会ってみたいという気持ちもあった。
日記祭の会場はおしゃれで「気圧されるとはこのこと」という心境になる。ここしばらくは文学フリマで座っている側の人間となっていたので、見る側の人間となる緊張があった。見る側の人間となって思ったのは、本を手に取るのはドキドキするということ。誰もわたしに気を留めていない瞬間を狙った。手に取ってパラパラと見て、戻して去るのは難しい。座っている側の人間の時、手に取ってもらうのは嬉しいことだけど、そのまま去っていく人に「…どこがダメでしたでしょうか」と聞きたくなることもある。詰めじゃなくて、改善として。でも、手に取る側も勇気を持って手に取ってくださっているのだなと思った。改善って書いたけど、最近は書くこと(自分の心情を文章にすること)で自分が癒されていると思ったので改善とかじゃないのかなとも思う。
文フリで見本誌を出したらそれを見て来ましたと言ってくださった方も多かったので、見本誌とか、事前の宣伝とかで「このブースにも行ってみようかな」というリストに入るようなことをするのがよいのかもと思った。もしかしてみんな知っていましたか?

どこまでが日記祭のエリアかわからなかったのでふらふらと歩いた。出店者の方と目が合わないようにななめ下を見ながら。気づくと果てにいて、もつ煮を配られそうになったので(ここで終わりか)と気づいた。

phaさんのブースに行き、日記を買って「鬱の本」についてお話させていただいた。迷惑だったかもしれないけど、お話できて嬉しかった。「三を倍にしていくゲーム」と言ったら何のゲームかご存知だった。自分の本も渡した。文フリに出るより、好きな人に本を配りまくるという活動のほうがわたしがやりたいことに近いのかもしれない。いや、でも違うか…

帰りは来た道と違う道を適当に歩いていたら爆速で駅に着いた。やはり来た道は間違っていた。

駅の近くのマクドナルドでコーヒーを飲みながら買った日記を読む。面白い。わかるなーとか、いろんな本を読んだりしててすごいなーと思いながら読んだ。

自転車でまた帰る。帰りはなんとなく近く感じる。

友達と電話をする。ちょっとまじめな話と、くだらない話をした。
友達が電話しようと声をかけてくれると、わたしはトゥルーマン・ショー的にまわりに見られていて、元気なさそうな時とかに連絡してくれるのかなと考える。

違法アップロードされた動画のURLを人に伝えて寝た。

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