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谷底での応戦

秀弓一門は牛馬に荷を載せ、松明を掲げて都を落ちていた。

重い荷を運ぶ牛馬たちは、まるで動く黒い大岩であった。彼らの隆々とした筋肉には黒々と影が落ち、それが滑らかに松明によって際限なく前後に動く。その影が風で大きくなった火に照らされると、緊張した面持ちの従者たちの顔が現れ、またすぐ、闇に消えるのである。

馬のいななき声以外、静かに隊列は進む。

都を出てどれくらい経ったか。
4歳の紫月を負いながら歩いていた佳華が、遅れ始めた。
横を歩く武儀が、「父上」と先を行く秀弓に声をかける。
秀弓が、少し歩調を緩めて妻の様子を見る。
「歩けるか」
佳華は苦しそうな息のまま微笑んで、「はい」と、やっとのはずだが口にする。

秀弓は難しい顔をしたが、すぐに手を上げて隊列を止めると、「小休止だ」と号令をかけた。大声が、こだまのように谷間に響く。

人が動くと松明も大きく動き、崖にいくつもの大きな影をうつした。

武儀は母に水を飲むよう勧めると、弟を代わりに抱き上げ、周囲に気を張る父をじっと見つめる。
(ここは休むには向いていない場所かもしれない)

父もすでにそのことには気づいていただろうが、優しい彼があえてそうしたのだと、武儀はすぐに理解した。

「父上」

「ありがとうございます」

武儀の言わんとすることを秀弓も理解して、頷く。

「私も疲れたいた。ーーだが、ゆっくりはしていられない。ここは襲われれば分が悪い」

ここは道の両側を崖に挟まれており、逃げ道を失いかねないばかりか、上方から動きが丸見えとなるような場所であった。

その時であった。

ヒュンッと空を切る音がしたかと思うと、従者が矢を受けて倒れた。

「来たか」

谷道の前後に人影がわっと湧き上がる。その数、50ほどか。無論、皆武装している。

「敵襲!」

秀弓は佳華と子供たちを背に庇うと、「応戦せよ!」と剣を抜く。
弓が崖の上から射掛けられている。運んでいた戸板を縦に、身を低くして周囲を見る。

道幅は人が3人も並べば手が届く狭さ。
もう少し狭いか広いかすれば応戦はしやすかったのだが、文句を言っている場合ではない。

「牛馬の積み荷に火を放て!」

秀弓が叫ぶ。
皆躊躇わず、松明の火を積荷にくべる。

驚き、我を失った牛馬が暴れ、前方に突進を始める。
それはまるで、怒れる重戦車であった。苦しむ声が谷に響き渡り、轟くようである。

「気をつけろ、薙ぎ倒されるな」

「密集して駆け抜けろ!」
牛たちが薙ぎ倒し開いた道を、秀弓たち一門が走る。
武儀は紫月を片手に抱えるようにして、母の手もひく。
それを秀弓が庇い、さらにそれを従者たちが体を張って矢面に立つ。

辛くも逃げ延びた前方に小さな岩山が現れる。
そして、皆が思わず見上げたその岩山のさらに向こうに、大勢の兵が陣を張っているのが、山火事のようにあちこち照らしている松明の数で確認できた。

「父上、あれは」

怯える武儀を宥め、秀弓は陣の上のはためく旗を指差した。

「あれは、佳華母上の縁戚筋、玉龍家の旗だ」

「味方なのですね!」

やがて、一頭の馬にまたがった男が、隊列に近づいてきた。

「義兄上」

その声に、秀弓が微笑む。

「世栄」

佳華もほっとしたように、弟の名をつぶやく。

「襲われたのですね。もっと早く動ければよかったのですが。申し訳ありません」

佳華の弟、世栄が歯噛みする。

「いや、急な書簡に対応していただき、かたじけない」

「義兄上の頼みとあれば」

白い歯をみせ、世栄が笑う。普段おもたげな一重瞼なのだが、笑うと少年のような表情になるこの男を、秀弓は常々信頼をしてきた。

世栄は皆を陣に入れると、秀弓のみを自身の白い移動型テントの中に招いた。

中は外よりもだいぶ暖かい。
秋風がテントの入り口に下ろした幕をはためかせるが、風は防げている。

しばらく腰掛に座って、両手で双眸を温めていた秀弓だったが、重い口をようやく開いた。

「しかし、私の頼みとはいえ、兵を動かさせたのだから、あなたまで反逆だと咎めを受けるな」

世栄がそんなこと、と鼻で笑う。

「勝てば良いのです。勝った者こそが、歴史となるのですから」

それを秀弓は手で制する。

「しかし、相手の動きが早い。水月王子さまが乱を起こされ自害、その知らせを聞いて後見人の私は、すぐ職を辞し、都を落ちたのだ。それを襲ってきたのだから、やはり最初から事件を大事件にしたかった人物がいたと読んでいい。

そうすることで、この機に一気に私を追い落としたかったのだ。

その人物は、私が都を離れて兵を集め、動こうと考えたことなども、すでに理解済みだったわけだよ」

聴きながら、興奮した世栄が指の骨を鳴らす。
なおも秀弓は続ける。

「王子をはめた者たちからすれば、私を倒せられれば権力闘争には話が早い。だが、それには女王陛下のご意向が必要だ。どうしても、奴らは私に兵を動かさせて、謀反の疑いを作りたかったはず。だからこそ、私は兵を動かすよう、あなたにお願いしたのだ。

兵を動かせば、それを謀反にしたい者たちが動く。誰がどのような立場か、すぐわかる」

「そうです、義兄上。明日の朝には水月王子をたぶらかした人物が、きっと女王陛下に御目通りを願い出て、こう言います」

ーー「『徐紫芳秀弓に翻意あり』」

「そして、女王陛下は進言を受け入れる。私が陛下に、知らぬふりをするようにとお願いしたのだから」

秀弓の言葉に、世栄が息を呑む。

「つまり?」

目をぎらつかせて、世栄は秀弓の言葉を待つ。
少しの間を置いて、秀弓が続ける。

「私たちが消えるか、不届き者たちが消えるか、力技となる」

言い切ったのを間髪おかず、世栄は手を叩く。

「そういうの、私は好きです。そしてーー。

私は、この一件、楽章星宿庁の仕業と踏んでいますが、義兄上はどうですかね?」

ーー楽章。

遠く王族の血を引く祭祀長。

「皆同じことを考えるのだな」

秀弓は苦笑いをし、「だが、先ほど仕掛けてきたのは、本当に楽章の手なのだろうか?」と頭の隅で疑問を持つのだった。

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