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情報に視点を持ち込む

「佐藤可士和の超整理術」を読んでいると、かっこいい言葉によく出会う。さすが整理術の著者なだけあって、言葉も研ぎ澄まされた言い回しが多いように感じる。今日のタイトル「情報に視点を持ち込む」もその一つ。

著者は、仕事において、素材や情報のデータの扱い方を、目的をもっての扱い方との間で、はっきり区別している。

仕事のプロセスのある時点でしっかりと一線を引き、自分自身の相対し方までもピシッと変えている。

古楽演奏は、クラシック音楽のジャンルの中でも、時代考証やデータ部分と視点を持った解釈や演奏の部分をしっかり分けられるように学んでいきます。Music Philologyというジャンルで、和訳すると音楽文献学になります。

例えば、Vivaldiの曲を中心にプログラムを組んでいるとします。

曲の練習以外に、楽曲分析と作曲家の生涯、当時のヴェネチアの音楽社会史、楽器について、作曲家の他の作品の特徴との比較、同時代の他の作曲家との比較…等を通してコンテクストを固めていきます。そのため、音大在学中も実技と音楽学両方のアプローチを学びました。

イタリアに住むようになり、コンテクストの部分に、膨大な史料や当時のオリジナル楽器の響きや建築物の中の響きなど、この土地だけが教えてくれるデータが加わりました。

これらの学びのプロセスは、表現(演奏)する時には直接見えない仕事です。しかし、確実に奏者の視点や音の質に表れる大切なことだと思っています。

日本人の私にとっては、「古池や蛙飛び込む水の音」と言へば、さびれた池に蛙が一匹飛び込む音だけが聴こえるしーんとした情景が浮かびますが、外国人に母国語に訳してもらうと、たくさんのカエルがにぎやかに飛び込む状景を思い浮かべる人がかなりいるのです。

私たちに馴染みのある西洋音楽でも、言語・歴史・文化の部分では、しっかりデータを揃え、何処から解釈してよいのか、しっかり見極める必要があると思っています。

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