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〇〇と△△だったらどっちをとる? って問題、ちょいと極端すぎませんか

社会性と独創性ってトレードオフなんですかね? 夕飯用にどっちも要るんですけど……。

俺はカラオケで「アジアの純真」と「摩訶不思議アドベンチャー!」と「Bling-Bang-Bang-Born」と「青と夏」と「きゅびびびびずむ」と「黒塗り世界宛て書簡」と「空洞です」と「子供じゃないもん17」と「Os-宇宙人」を同時に歌いたいよ! 人気で名の知れた曲ってやっぱり素晴らしいし、ちょっとニッチで面白い曲もたまには欲しくなるんだよな。よな。な。な。(最近のお気に入りの曲は「キラキラkawaii! プリキュア大集合♪ ~いのちの花~」。歌詞と歌詞の合間に「ハートキャッチ!」とか「マックスハート!」とか入るの良すぎる。「集合!」って言ってるのかと思いきや歌詞表記が「sure go!」なのもちょっとおもろい。)

せっかくなので奇抜なものを摂取したり、あわよくば排出したりしたいのですが(したいよなぁ……)それと同時にね、定番と言われるものも浚っていきたいわけだ。王道を知らずして何が邪道だ。

というわけで健全な肉体・健全な精神・健全な活動・健全な人間をやりながら合間合間にアングラなものに手を出したいのですが如何せんバランスが難しい。そう、行きつくところはみなバランス。中庸。流行ったよな中庸。高校倫理のとき「正解出たじゃんこれじゃん中庸じゃん肝要なの中庸じゃん」て。おいいいいい! それができたら苦労しないんだわ! 「もし友達に何か相談されても決して中庸と答えるな。それは何も答えていないと同じだ」という格言もある。

憧れる。
パターンA:「話が面白くて、共通の話題がいっぱいあって、親しみやすくて、良識のある良い人間」
パターンB:「偏屈でたまに意味のわからぬことを宣うが、独創的な作品を数々残す、友達にはなりたくないが崇拝してしまうようなスーパー表現者」
なりたい。両方に。どっちだ? どっちを目指せば良いのだ?

とりあえず私は東野圭吾を一冊も読んでないのはさすがに逆張りが過ぎるので早く東野圭吾を読んだほうがいい。恐ろしいことに私は伊坂幸太郎も池井戸潤も恩田陸も読んだことがない。おいおい。読書家が聞いて呆れるぜ。

まぁこれ言い換えれば「自己を世界に合わせるか」「世界を自己に合わせるか」の問題だと思うんですけど、「世界に合わせたほうが楽だよね~」「自己に合わせたほうが面白いよね~」って話で……やっぱりトレードオフなのか。なんか就活みたいだ。年収か、休みやすさか、やりがいか、みたいな。

理想は「道路の真ん中で全裸になって気持ち良くオリジナルのダンスをしていたら通行人の三割くらいが拍手してくれる」なのだけどなかなかそうはいかないから。

最果タヒの文章は"好き"ですが、最果タヒという人間に会いたいかと言われると違うのかもしれない。最果タヒへの感想が「そのバランスで生きていけるのだな。凄いな」であり、彼女の文字列は新鮮で心地よく私の脳みそにとっては良い刺激なのですが、肉体を持った彼女はその限りではない気がする。いや、会いたいな。会いたいわ。最果タヒと名乗っている人間が歯磨きしたり目玉焼き焼いたりするとこ見たいわ。

最近スーパーで発掘恐竜チョコという名の駄菓子を買ったのですが、ちょっと……って感じでした。板状のチョコをパキッと割っていって恐竜部分のチョコを取り出そうという趣向なのですがこれ、すんごい手が汚れる。嘘だろ。致命的すぎないか。こういうことなんだ。大体の問題って。


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