野安の電子遊戯工房 ~テレビゲームとは「時間を制御する娯楽」のことである(その1)~


 というタイトルのお話を、書いてみたいと思います。

 むむ。なんか理屈っぽい読み物になりそだぞ――と思った方もいらっしゃるでしょう。大正解です。

 わたし、ときおり理屈をこねまわした文章を書きたくなる癖があるのですね。なので、そういうのに付き合ってあげてもいいよ、という方だけ、この先を読んでいただければと思います(笑)。




 では、はじめます。

 まずは、よくあるRPGのシーンについて考えてみます。

「村を守るため、わたしの娘が生贄に選ばれてしまいました。
 勇者さま、どうか娘の命を救ってください!!」

 はい。定番中の定番とも呼べるイベントですね。村に到着するやいなや、娘を助けてほしい、と両親から依頼をされるという物語は、RPGに親しんできた人ならば、何度となく経験したことがあるでしょう。

 この場合、勇者が魔物のところに行き、魔物を倒すことによって娘の命は救われます。

 でもね。

 すべてのプレイヤーが、「そりゃあ大変だ! はやく魔物のところに行かなくては!」と、すぐさま魔物討伐に出発するかというと、そうとはかぎりません。

 とりわけ、ギリギリのHPで、どうにか村に到着したような状況だったとしたら、すぐに魔物討伐に出かけるプレイヤーは少ないでしょう。「まずは、村の周辺で魔物と戦って経験値を稼ごうかな。イベントに取り組むのは、もうすこしレベルを上げないと危険だし」と、いったんイベントをほったらかしにすることも多いはずです。

 よく考えると、これって、すごーく面白い心理ですよね。

 だって、娘の命が、いままさに奪われようとしている緊急事態が起きているのですよ。なのにプレイヤーは、そんなことは気にも留めまず、「まずはレベルアップだな」と、自分の都合を優先するのです。現実世界ではもちろんのこと、小説やコミックや映画などの作品の中でも、こんな行動をとる主人公はいないでしょう。

 でも、なぜかゲームの世界では、よく見られる光景です。よく考えると、なんとも不思議ですね。




 では、じっくりと考えてみましょう。

 どうして、わたしたちは、ゲームをプレイしているとき、このような行動をとることがあるのでしょう?

 これは、わざわざ説明するまでもないことかもしれません。わたしたちが、すぐに魔物討伐に向かわないことがあるのは、自分が魔物のところに到達するまでは、その魔物は娘を食べてしまわないことを知っているからですね。

 すぐに魔物のところに行こうが、現実世界で3日後に魔物のところに行こうが、3か月すぎてから魔物のところに行こうが、


「ちょうどいま、娘を食おうとしていたのに、邪魔する気か!
 この虫けらめ! では、まずはお前から倒してくれるわ!!!」

 みたいなセリフとともに中ボス戦が始まることを、わたしたちは知っています。だから、好きなタイミングで行けばいいや、と感じることになるのですね。

 ――と、ものすごーく自然に説明しましたが、いま、わたし、ものすごー大事なことを書きました。

 はい。この「好きなタイミング」というところが、きわめて大事なポイントなんですね。じつは、ここにこそ、テレビゲームという娯楽が持つ最大の特徴が隠れているのです。




 あらためて、整理してみましょう。

 魔物のところに行かないかぎり、魔物は娘を食べません。

 これって、プレイヤーが物語に関係する行動をとらないかぎり、ゲームの中では時間が流れないってことでもあるんです。

 そこでは、時間の流れが停止してるんです。村の人たちに話を聞いても、延々と、同じような嘆きの声を繰り返すだけ。その村の中の時間は、完全に止まってしまいます。イベント解決に向けた行動をとらないかぎり、プレイヤーは、ゲームの中における時間の流れを停止したまま」にすることが可能なんですね。

 つまり、どういうことか?

 プレイヤーは、自分の意志で、ゲームの中の世界での時間の流れを停止することができるってことです。わたしたちは、いつまでも同じ状況のまま、時間の流れを凍り付かせることが可能なんです。つまり、自分の意志で、ゲームの中で流れる時間を止められるんですね。

 だからこそ、わたしたちは、ごく自然に「好きなタイミング」で行動を起こせばいいや、と思うことになるのですね。

 わたしたちは、テレビゲームの中でなら、好きなように時間の流れを止められるし、好きなタイミングで動かし始めることができるんです。このようにして、その世界の中での時間の流れを、プレイヤーが制御できることが、テレビゲームという娯楽が持つ、最大の特徴のひとつなんですね。他の娯楽では、ほぼ体験することのできない、ゲームならではの独特の仕組みです。




 「ゲーム」と呼ばれる娯楽は、テレビゲーム以外にも、たくさんあります。

 スポーツの試合も「ゲーム」ですし、将棋や囲碁、チェスなども「ゲーム」です。「恋愛はゲームだ」なんた言葉とともに、現実世界の出来事をゲームに例えることも珍しくありません。

 でも、これらの「ゲーム」と、テレビゲームとの間には、大きな違いがひとつあるのです。テレビゲームのように「時間の流れを制御すること」はできない、ってことですね。

 いざスポーツの試合が始まってしまったら、プレイヤーの都合で、時間の流れを停止することはできません。「うわ。ゴール前でピンチだ。じゃ、いったん試合を止めて、ゴール前での守備の練習をしてから、再び試合に戻ろうかな」なんてこと、できるはずがないのです。

 将棋や囲碁は、自分が次の手を指さなければゲームは停止したままですが、それでも無限に止めることはできません。公式戦なら制限時間が設定されます。時間の流れを止めることは許されないのです。

 このように考えてみると、テレビゲームだけが独特の仕組みを持っていることが、おわかりになるでしょう。なにしろ、プレイヤーが、時間の流れを制御する権利を持っているのですからね。

 では、どうして、テレビゲームは、このようなに仕組みを取り込むようになったのでしょう?

  それを知るためには、テレビゲームの歴史をふりかえってみる必要があるのですが、さすがに話が長くなってしまうので、いったん中断しましょうか。この続きは、明日以降にアップします。

(2018/06/04)

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