イカと禁忌と「スプラトゥーン」
「スプラトゥーン」について、いろいろと書いてみます。
ゲーム内容についての話ではありません。わたしが書きたいのはキャラクターのこと。つまり「イカの話」です。
主人公のモチーフがイカ! というゲームが、全世界的にヒットしているという事実は、よく考えると、くらくらするくらい衝撃的なことだなぁ――と、わたしは思っているのです。
ほんと、これこそ他国に絶対に真似のできない、メイド・イン・ジャパンならではの、超絶的なキャラ造形ですよね。
たとえば、日本人は「キツネ」という動物に、「狡猾で、ズル賢い生き物」といったイメージを抱いています。
実際に、キツネという動物が「狡猾」だと思っているわけではありません。ただ色々な民話とか、言い伝えとか、そういうものに登場するキツネが「狡猾な存在」として描かれているから、わたしたちは「キツネ=狡猾」というイメージを抱くのです。誰もがそういう共通認識を持っていることを、わたしたちは肌で知っています。
これが歴史であり、文化というものですね。
大袈裟にいうならば、日本という文化において、キツネというのは「狡猾さの象徴」なのです。
だからフィクション作品の中で、キツネをモチーフとしたキャラが登場した瞬間、わたしたちは、ごく自然に「狡猾なキャラなんだろうな」と感じるわけです。わたしたちは、そういう価値観の中で生きている。
では、欧米における「イカ」とは、なんの象徴なのか?
イカは、英語では「Cuttlefish」とか「Squid」と呼ばれる――ということは、みなさんもご存知でしょう。辞書にも、そう書いてあります。
でも、これは嘘です。
まあ嘘じゃないんだけど、一般大衆のおっちゃん、おばちゃんと会話するとき、イカは「Devilfish」と言ったほうが通じると思いますよ。正しい言い方じゃないし、いわば俗語なんだけど、こっちのほうが通じる。本当です。
Devilfish。つまり悪魔の魚です。凄いネーミングですよね。
これは、イカのみならず、エイとかマンタなどの「うろこのない魚」を指す言葉でもあります。こういう生き物は、ひとまとめに「悪魔の魚」という邪悪な名で呼ばれているのです。
というのも、聖書によれば、水に生きる生き物の中で、人間が食べてもいいのは、ひれやうろこがあるものだけだからです。
すべて水の中にいて、ひれも、うろこのないものは、あなたがたには忌むべきものである。【レビ記 第11章12節】
聖書を母体とする宗教――ユダヤ教、キリスト教、イスラム教――の文化圏では、ひれもうろこもない水棲生物であるイカは「忌むべきもの」になる。このため、欧米の文化では、イカは「なんか邪悪なもの、悪魔的なもの、気持ち悪いもの」だと認識されるんですね。
映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」で、幽霊船の船長がイカ(タコかも)のような姿で描かれるのは、そのためです。「呪われた存在」を印象付けるんなら、そりゃあイカ(タコかも)をモチーフとしたキャラを登場させればいいよね! という発想になるわけです。昔のSF映画で、悪い宇宙人がイカ・タコをイメージした造形で描かれがちだったのも、同じ理由からです。
イカをモチーフにして描けば、それだけで、なんか得体のしれない邪悪な存在である! ――と伝えられるんですね。
もちろん、現代に生きる欧米の人たちが、「イカは呪われている生き物だ!」と本気で信じているわけじゃないですよ。
キリスト教文化圏でも、イカ? あまり気持ちのいい生き物じゃないなぁ――と思っている人が多数派の地域もあるし、地中海沿岸のように、昔からふつうに食材にしていた地域もあるし、けっこうバラバラです。
ただイスラム文化圏では、全般的に、近年までは忌み嫌われていたと思います。わたしは30年くらい前、イスラム文化圏で暮らしていたこともありますが、当時は「イカは食べてはいけない」と規定されていたはずです。(その後、うろこに該当する部位があることが判明した、みたいな公式なお達しがあり、いまでは食べていいものになったと記憶しています)
ユダヤ教では、イカは、いまなお食べちゃいけない生き物だったと思いますが、このあたりは、ちょっと自信がないので、事実誤認だったらごめんなさい。
そんなわけで。
宗教によって、宗派(学派)によって、そして地域によって濃淡こそありますが、世界の多くの国で
イカ=邪悪なものの象徴
という文化は、いまなお残っているのです。邪悪とまでは思わないにしても、なんか得体がしれなくて、親しみを感じない対象だよな……と、そんな共通認識があるのです。そういう文化的バックボーンが残っているわけです。
前述したように、これは、わたしたち日本人が、「キツネ」を狡猾さの象徴とイメージしているのと同じようなものだ、と考えるといいでしょう。
だから日本では、「お人好しな主人公キャラ」が必要になったとき、そこにキツネをモチーフとしたキャラを当てはめたりしません。当てはめようと検討すらことすら、しないわけです。
――と考えると、「スプラトゥーン」の主人公のモチーフがイカであることの、その異色っぷりが理解できるかと思います。
イカをモチーフにした主人公キャラを、全世界向けコンテンツの中に登場させるなんて、欧米企業は、絶対にやらないんですよ。やってみようかな? と検討すらことすら、しないでしょう。
すいすいと水中を移動する――という要素が必要なキャラならば、たぶんペンギンあたりをモチーフにしたキャラにするんじゃないかなぁ。少なくとも、そこにイカを採用することはありえません。
一部のトンガった人に向けたコンテンツならばともかく、これ、全世界発売の大衆向けのコンテンツですからね。そこに邪悪なものの象徴であるイカを、主人公として登場させようとは思わないんです。
でも「スプラトゥーン」では、イカが格好よく描かれている。クールに描かれている。愛らしく描かれているのです。
ほんと、これぞ日本企業ならではのキャラクター造形です。他国の企業では、絶対に真似できないでしょう。
これは任天堂が、何度もDevilfishをゲームに登場させ続けてきたゲーム会社だからこそ許されたキャラクター造形だ、ともいえます。
・「スーパーマリオブラザース」のイカ(ゲッソー)
・「スーパーマリオ64」のマンタ
・「スーパーマリオサンシャイン」のイカレース など
Devilfishをコミカルな存在として、あるいは神秘的な存在として、たびたび登場させてきました。こうして「任天堂の作るゲーム世界では、イカは、まるで邪悪な存在できない」という共通認識を世界に広めていたからこそ、いま、世界中の人は、ごく自然に「スプラトゥーン」を受け入れたともいえます。
なんというか、宗教的禁忌がない(ゼロではないけれど)国のコンテンツ企業ならではの、しかも30年を超える「イカをキャラに採用してきた歴史」があるからこそ許される、ほんと、他国には真似できないキャラクター造形といえましょう。
昨今のコンテンツ産業が直面している最大の障壁は、「宗教の壁」「文化の壁」です。
世界には、さまざまな宗教があり、それらをバックボーンとした、さまざまな価値観があります。そんな価値観に抵触し、睨まれると厄介だから、危ないことはしないでおこう――と、壁を回避するのが、昨今のトレンドです。
たとえばディズニーアニメでは、ほとんど食事シーンが描かれなくなりました。豚肉を食べるシーンはイスラム教徒を不快にさせますし、クリーム系の料理だとユダヤ教徒を不快にさせますし……と、さまざまな宗教的禁忌を回避し、全世界の人を満足させるためには、いっそ食材そのものを登場させないほうがいい、と判断しているわけです。
そんな風潮の中、イカをモチーフとした主人公を用意し、全世界の人に、嬉々としてプレイさせ、ゲームを楽ませてしまったというのは、ほんと、凄いことだと思います。
いま、イカを「格好いい」「スタイリッシュだ」と感じる人が、世界中に出現していることでしょう。イカって格好いい生き物だよね、可愛い生き物だよね、と欧米の子供たちが、ごく自然に思うようになっていることでしょう。
これって、つまりは宗教をバックボーンにした、いろいろな地域に沁みついている「価値観」そのものを変えちゃってるわけで、ほんと、凄いことをしているよなぁ……と驚くばかりです。
かつて欧米では、ネズミは災厄の象徴でした。
ネズミは黒死病を運んでくる存在だったからです。ネズミは汚らわしいものと認識されていました。
だけど、ミッキーマウスの登場により、その価値観はひっくり返りました。多くの人が、ネズミを可愛いと思うようになっています。ほんと、キャラクターには、宗教とか歴史とかに基づく価値観そのものをひっくり返すような、そんな力があるんですよね。
だから今回も、ひさしぶりに「キャラクターの力」そして「ゲームの底力」というものを思い知らされた、そんな気分です。「スプラトゥーン」は、ひっそりと宗教や文化の壁を壊してみせた、きわめて革新的なソフトだよなぁ、と強く思っている今日この頃なのです。
スプラトゥーン公式サイト
http://www.nintendo.co.jp/wiiu/agmj/
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補足です。
イカは邪悪なものだ――というイメージは、欧米でも、最近は薄れてしまっているとは思います。20~30代の人は、最初から、あまり気にしていないかもしれません。
でも30~40年前は、そんなイメージだったんですよね。
その当時、日本人ってイカを食べるの? 気持ち悪っ! みたいな、なかなかに人種差別チックな声、そして視線を浴びた経験のあるわたしとしては、イカがゲームの主人公として、格好良く描かれる時代がきて、世界中で自然と受け入れられているという事実に、かなり驚いている次第なのです。
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