野安の電子遊戯工房 ~「ワイドナショー」で「ゼルダ」の話題が出たことについての雑感~


 1月28日放送のテレビ番組「ワイドナショー」で、MCの東野幸治さんが手を10針縫う怪我をした理由を説明するにあたり、「ゼルダに夢中になっていたから」というエピソードを語りました。

 おお。いい時代になったものだなぁ。

 わたし、ちょっとだけ嬉しい気持ちになりました。こんなふうに、まるで「最近、この映画を見たんですけどね~」みたいなトーンで、テレビ番組でゲームの話題になることは、珍しいですからね。

 日本映画なら、興行収入200億円、300億円ともなれば「社会現象になった」的な特集すら組まれるのに、テレビゲームは、たとえば「ポケモン」が発売日に1000万本を売り、つまり初日の売り上げだけで日本映画のナンバーワン興行収入記録を上回っても、ほとんど話題にならないというのは、ちょっとバランスが悪いよなぁ、と、いつも思っていました。

 そんな中、「ワイドナショー」で、ごく当たり前のように「ゼルダ」の話題が出てきたので、ちょっと驚いたわけです。

 MCが怪我をした理由の説明ではあったものの、それを大きくカットすることなく、ちゃんと放送した番組スタッフも偉いなぁと。それは「芸能人が、個人の意見を言う」という形式にしていて、つまり発言の責任は出演者側にあるんですよ――という逃げ道を作った上でのことではあるとはいえ、誠実だなぁと思いました。

 さて。

 こうやって、政治の話題なども取り扱う番組を褒めると、あらぬ方向から石が飛んでくる可能性があるので、「ワイドナショー」に関する話は、このあたりで切り上げることにしましょう。

 今回は、メディアとゲームについての雑談です。




 まず、おおざっぱに「テレビゲームとメディア」の関係性について説明しましょう。

 テレビゲームは、テレビ(に代表されるオールドメディア)で、あまり取り扱われることがありませんでした。その理由はいろいろあるのですが、すべてを説明すると長くなるのでパスします。

 ただまあ、こうなった原因は、テレビゲーム業界とテレビ業界のどちらかにあるわけではなく、「どっちもどっち」ってところだよなぁ……というのが、ゲーム業界の片隅にいる者としての、正直な意見です。

 かつてテレビや新聞は、テレビゲームを敵視している傾向が強くて、いま風に言うならぱ「まるでエビデンスのない悪口」とともに、テレビゲーム害悪論のような論調を報じていた時代がありました。なので、そんなところに協力できるかぁぁ! と、ゲーム業界側は、それらのオールドメディアに頼らなくなった、という歴史があるわけです。

 その一方、テレビゲーム業界側は「うちの商品を紹介するなら、すべての報道をチェックさせろ。気に入らない表現はすべて修正しろ。さもないと画像や映像の使用許可を取り消すぞ」みたいなスタンスで、ウルトラ強気に広報活動をしていた時期がありまして、そんなふざけた条件飲めるかぁ! とメディア側が激怒し、テレビゲーム業界を無視する機運ができた、という歴史もあるんですよ。

 そんな歴史の積み重ねの結果として、テレビなどのオールドメディアでは、ゲームの話題を口にすることが珍しいものになった、という側面があるのですよ。ほんと、どっちもどっち、なんですね。



 こうして、テレビゲーム業界と大手メディアが、ほとんど協力しないという状態が作られた結果、ゲーム雑誌というメディアが誕生することになったわけです。

 これはゲームに限った話ではなく、アニメ産業などもそうなのですが、「大手メディアに黙殺された業界」は、それでもユーザーへの広報活動をするにあたり、どんどん専門誌が作られていくことになるんですよね。

 だけど、そこには、困った問題も、同時に発生してしまうんです。

 雑誌が、ゲーム業界全体の広報誌としての役割を多く担うため、取材者と被取材者という関係性ではなく、同じ釜の飯を食う仲間になっていき、結果として、いつしかパワーゲームが発生してしまったんですよ。よりゲームメーカーと深く手を組み、他誌よりも先行して情報を得るという特権を獲得した雑誌こそが勝ち残れる、という世界になってしまったのです。

「A誌さん。あんたのところに攻略本作る権利をあげますから、このゲーム、ライバルのソフトよりも増ページで掲載してくださいね」「わかりました。じゃあ他誌よりも一週間先行で写真素材を掲載する権利をもらいますよ。あと、他誌では記事の上限は2ページになるよう、規制をかけてくださいね」

 みたいな駆け引きが、とくに極秘裏にということもなく、その業界にいる者なら誰でも知っているような形で、ばんばん行われるようになったんです。

 ねんのために書いておきますが、それが悪いと言ってるのではないですよ。読者のために、より価値ある情報を優先的に載せようと努力するのは正当な努力ですからね。そういうパワーゲームの時代があったんだ、という話をしているだけです。

 いま、ゲーム雑誌はほとんど姿が見えなくなり、だからパワーゲームは、ほぼ終了しています。これはネットの発達により、ゲーム雑誌の価値が相対的に下がったからでもありますが、ゲーム企業が世界市場を強く意識するようになったことのほうが、より大きな要因かもしれません。

 日本市場の数倍の規模を持つ全世界市場で、もっとも効果的に広報活動をするにあたり、日本市場にしか影響しないパワーゲームなんか、どうでもよくなった、ってことです。

 


 とまあ、テレビゲームとメディアについて、とりとめもない雑談をしてみましたが、いかがだったでしょうか。

 最後に、余談をふたつ。

 このようなパワーゲームの時代を、テレビゲーム業界は「通過儀礼のようなもの」として過去のものにしましたが、もしかすると、アニメ業界あたりには、まだ残っているのかもなぁ、と感じます。そういうことやってると、世界で勝負できなくいいまま低迷しちゃうから、早く脱却したほうがいいのになぁ……と、ゲーム畑にいる者として、思ったりしている昨今です。

 あと、ゲーム業界には、パワーゲームはなくなった――と書きましたが、その名残が見える界隈もありまして、たとえばe-Sportsを巡るビジネスの周辺には、あの頃の時代の匂いをかすかに感じます。……と書くと、予期せぬところから石が飛んでくるかもしれないので、このへんにしておきましょう(笑)。


(2018/01/28)

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