e-Sportsについて思うこと


 2017年。日本でもe-Sportsのプロを認定し、そんなプロゲーマーたちによる賞金付き大会が開催される――というニュースが報じられました。

 この大会、ごくシンプルに説明しますと、日本の法律で禁止されているはずの行為を、うまいこと突破するための奇策でありまして、つまり「なかなか突破できない中ボスを、バグを利用した裏技を使ってクリア」するようなものですね。


(1)日本の法律では、高額賞金付きゲーム大会の開催は禁じられている

(2)だけど、囲碁や将棋のブロによる賞金付き大会は行われているじゃん。スポーツのプロによる大会もあるじゃん。それらは合法じゃん。

(3)だったら、プロゲーマーによる大会なら合法のはずだよね。

(4)だけど日本にはプロゲーマーは(ほとんど)いないのか。困ったぞ。

(5)そうか。大会を開くために「プロゲーマーを認定する」という仕組みを作っちゃえばいいんだ。これで賞金付き大会が実現できるぞ!


 かなり細部を省略してますが、こういうことなんですね。

 これに関わることは仕事として原稿を書いていますし、今後も書くことになるでしょうし、書くときにはいろんな法律について説明する必要があり、すごーく面倒なので、これ以上は詳細に触れないでおきますが、「この仕組み、いろいろと問題を抱えていて、ちょっとヤバイよなぁ」という懸念を、まずは表明しておきます。




 たぶん、ゲームに関する法律に詳しくない方でも、この仕組み、なんか変だよなぁ……と感じるんだと思います。

 なんでかというと、「プロの定義」がおかしいからなんですよね。

 そもそも、プロの棋士にせよ、プロのスポーツ選手にせよ、プロのミュージシャンにせよ、すべてのプロというのは、「その人の技能を見るためなら、お金を払ってもいい!」と思うようなファンが、たくさんいてこそ成立する存在なんですよ。


 その棋士が指す将棋は、金を払ってでも見る価値がある。

 その選手がする試合は、金を払ってでも見る価値がある

 そのミュージシャンが奏でる音楽は、金を払ってでも聴く価値がある。

 

 こうして、ファンたちが「金を払ってでも見たい!」と思うからこそ、その人はプロとしてお金を稼げるわけです。ファンがたくさんいるからこそ、「だったら、わたしが金銭的援助をしましょう」「わたしが、賞金付き大会を開催しましょう」と、大口スポンサーも現れて、プロたちによる興行という仕組みが作られていくわけです。そういう手順を踏んで、ようやくプロという存在は誕生するんですね。

 アメリカでe-Sportsが盛り上がっていったのは、まさしく、この手順を踏んだからなんですよ。

 インターネットがなかった時代(あるいは、しょぼかった時代)から、自宅にあったでっかいパソコンを車に積み込み、遠路はるばる大勢で集合し、そこでゲームを対戦する大会を開く――といった、おまえら、そこまでして対戦ゲームが遊びたいのかよぉぉぉ! と絶句するようなゲームファンたちが、アメリカにはいたんですよ。

 昔から、そういう草の根大会がたくさんあったから、そこで「こいつ、ゲーム上手いな」と尊敬される人が出てきたわけです。そんな上手い人同士がさらに対戦をして、そこでも勝つ人は「とんでもねぇヤツがいるぜ」とさらに尊敬され、そういう人たちが対戦する頂上決戦なら、金を払ってでも見る価値があるぜ! と多くの人が思ったのです。インターネットの普及が、その機運を加速させ、いずれ、それらの大会には賞金がつくようになり、その大会を金銭的にバックアップするスポンサーも現れたわけですね。

 ようするに、そもそも「すごいプレイヤーを生み出す大会」が、昔から存在していたからこそ、そんな文化的な土壌の上に、e-Sportsは誕生・発展したということです。



 ひるがえって、日本では、どうなのか。

 そんな文化的土壌は、ほとんどないんですよ。草の根のゲームの大会を開催することが、風営法によって禁じられている――というのも理由のひとつではありますが、そもそも「ゲームが上手い人」を尊敬するという機運が、あまり存在しない国であることも、その理由のひとつなんですね。

 動画サイトに、たくさんのプレイ動画をアップされていますが、「ものすごーく上手い人」の動画があまり再生されない一方、「へたくそなんだけど、愛嬌あるプレイをする人」の動画が、むしろ人気になったりするわけですよ。

 ものすごく歌唱力のある人より、けして歌唱力が高くないアイドルたちが人気になり、多くの人に愛されるのと、構造は同じかもしれません。

 誤解なきよう書いておきますが、それが「いい」とか「悪い」とか、そういうことを言ってるのではないですよ。日本って、そういう国なんだよね、と言っているだけです。

 これには宗教的な理由があるのだろう、とわたしは推測していますが、それについて書くと長くなるので、ここでは割愛します。

 とはいえ、欧米とは違う、その独特の価値基準があることこそが、日本が持つ強烈なオリジナリティ―であり、日本が持つ最大の武器であることだけは、間違いないでしょう。



 だから、欧米と同じような高額賞金のあるe-Sports大会を日本で開催することや、そんな大会を開くため、法律をかいくぐる「裏技」としてプロゲーマーという存在を認定する、という手順を踏んでいることに対して、わたしは、懸念を持っているわけです。

 いやまあ、懸念はそこだけじゃないんだけど、それらについて語ると長くなるのでパスしますね(笑)。

 とにかく、ゲーム大会という文化がない日本で、「ゲームが上手い人が尊敬され、たくさんのファンがつく」という手順を踏んだ上で誕生・発展した、欧米のe-Sportsの形式を、できるかぎり流用しようとしているところに、じつは最大の問題点があるんだろうな、と思うわけですよ。

 だから今回、プロゲーマーを認定するという形で開催されるゲーム大会の発表を受け、それは海外で主流のe-Sportsとは似て非なるものじゃないか! こんなの「e-Sportsのガラパゴス化だ」といった厳しい言葉も語られていますが、それって、なんか逆なんじゃないかな、と、わたしは思います。

 文化的土壌が違うにもかかわらず、海外のe-Sportsとできるだけ似たゲーム大会を開こうとしているからこそ、いろんなところに無理が見えてしまっている。それが最大の問題点なんですよ。たぶん。

 もちろん、e-Sportsがここまで世界的なムーブメントになり、巨大ビジネスになっているいま、その潮流に乗り遅れるのはよくない! 日本も動いておかなくちゃ! ――という危機感の末の行動であることは、すごく理解できるんですけどね。



 だから、ほんとは発想そのものを変えるべきなんですよね。理想論だけを語るならば。

 海外では、上手いプレイヤーに人気がある。

 だから上手いプレイヤーが、その人気に比した大金を得られるよう、その才能と努力が報われるような仕組みが作られ、それが発展してe-Sportsという大会は誕生したわけです。

 でも、日本では、そうじゃないプレイヤーに人気があったりする。たとえば、上手くないけど、愛嬌のあるプレイヤーとか。

 だったら、そういう「上手くないけど、人気のあるプレイヤー」が、その人気ゆえにゲームでお金を稼げる、といった仕組みを作ってあげて、その才能と努力に報いられるよう、ゲーム産業全体で支援してあげることが、むしろ正しいんじゃないかと思うんですよね。

 こうして、欧米とは全く違う、日本ならではの独特のプロゲーマー(ゲームでお金を稼げる人)を、きちんと誕生させてあげたほうがいいんですよ。きっと。

 それは、世界で発展しているe-Sportsという仕組みとは、まったく違うものになるでしょうが、「人気のあるプレイヤーが、その人気ゆえにお金を稼げる」という根本的なところは、まったく同じですからね。

 なんというか、日本にはそれなりに大きな市場があって、独特のゲーム文化が育まれているんだから、それを活かした独特の方法を模索したほうがいいと思うんですよね。欧米の文化的土壌に沿ったムーブメントに合わせるのではなく、おれたちはおれたちの道を行くよ! と、ちゃんと正々堂々と「ガラパゴス化しようぜ」と思ったりする昨今なのです。

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