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~日本帰国編~ 一年間放置されたどんぐりたち

僕はいま日本にいる。

というのも徒労を重ねた天津旅を終えた僕は友人に預けたスーツケースを回収するために北京大学に戻り、その後日本に帰国した。

帰国後は昼過ぎに起きては自分を慰め、ダラダラと時間を過ごした後、完全に1日を無駄にしていた訳ではないという事実を作るために、夕方からウーバーイーツを始めるといった怠惰な生活を送っていた。

その日もいつものようにベッドに転がりネットサーフィンをしていた。

instagramとtwitterの反復横飛びを終え、暇になった僕は究極の暇潰しとして以前書いていたブログを読み始めた。

去年のちょうど今ごろに始めたブログには活気とやる気に満ちた記事で溢れていた。

かけがえのない大切な記事たちを読み進めていた僕はふとこんな記事を見つけた。

「自給自食にまつわるエトセトラ」

本ブログ内で最初の企画となった「自給自食」。

完全な自給自足だと飲み水まで自給しなければならないので難易度が高すぎるということで、食事を自給しようということで始まった企画である。

当時は食料を自給するために毎朝釣りに出かけ、道端に生えた野草と採り、道端に落ちていた7年賞味期限の切れた缶詰めを食べて生活していた。

そんな食べられるものなら何でも食べていた当時の僕が唯一食べていなかったものがあった。

どんぐりだ

僕はまずこの自給自食を始める上で何を主食に据えるか熟考を重ね、縄文人がどんぐりを主食にしていたというエピソードを思いだし、どんぐりを主食にすることに決めた。

そして多摩川河川敷の某公園にて大量のどんぐりを収穫した。

当時のブログにおけるどんぐりに関する記述はここで終わっている。

というのもどんぐりを食用に適した状態にするには途方もない労力がかかるということが後々分かったからである。

1 お湯にかける

2 数日放置してアクを抜く

3 皮を剥く

収穫当初はやる気に満ちていた僕は1と2の工程を行ったものも、放置したことで満足してしまった。

また僕たちの間で自給自食と相反する筋トレブームが巻き起こったことにより、人知れず自給自食生活は終焉し、水に浸かったどんぐりたちは皮剥きを迎えることなく、棚の奥へ封印されたのであった。

あれから1年。

このブログを読んだ僕はふとあのどんぐりたちがどうなったのか疑問を覚え、1年ぶりに棚の奥に手を伸ばした。

そこにあったのは変わり果てた彼らの姿であった。

収穫時には秋の風情を感じさせる鮮やかな赤みを帯びていた彼らが今では全ての光を吸い込むかのような漆黒に包まれていた。

僕は1年という時の長さを痛感した。

僕も1年前に1年後の自分がホモビデオに出演しているとは夢にも思わなかった。

1年経てば人もどんぐりも大きく変わってしまうのだ。

しかし僕は当初どんぐりを食するために収穫した。

いくら彼らの見た目が大きく変わったからといって食さないというのは暗い棚の中、食される日を夢見て一途に待ち続けた彼らへの冒涜に違いない。

僕には彼らを取り込み糞へと変える義務がある。

僕は恐る恐るこのブラックホールに顔を近づけた。

エンッ!

僕はこれといった臭いを嗅ぐこともなくただただ「1年放置したどんぐりは臭い」という価値観に押され顔を背けてしまった。

嗅ぐ前から臭いと決めつけるほど愚かなことはない。

僕はあらゆる偏見を外し、もう一度ブラックホールと対面した。

偏見を捨てた先には臭みの一切存在しない絶匂が待っていた。

1年もの間日の当たらない場所で臥薪嘗胆を重ねてきたどんぐりたちはまるでラムレーズンのような豊潤でコクのある香りを生み出していた。

僕はすぐさま彼らの織り成す香りのハーモニーの虜となり、何度も何度もその香りを体内に取り込んだ。

「こんなに良い匂いなら味も悪くないんじゃないか」

全てを壊してしまうのはいつだってそんな無責任な偏見である。

僕は嗅覚を潤しているうちに、だんだん味覚をも潤したい気分になってしまった。

僕は偏見に押されついつい一粒のどんぐりを口に運んでしまった。

ゴホッ ゴホッ ゴホッ

その瞬間 圧倒的な土の食感が先ほどまでの上品な香りを全て葬った。

僕の口の中は全て土で覆われた。

僕は急いで口をゆすぎ、土たちを吐瀉した。

そこにいるものをどんぐりと見なすのはもはや不可能であった。

僕はそっとこの土たちを再び棚の奥へしまった。

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