中国・広州 part2 「食は広州にあり」~虫に始まり虫で終わる
前回に引き続き広州旅について書いていきたいと思う。
猿食への夢を絶たれて以来、僕は名所と呼ばれる場所を回るという一般旅行客となり、広州をそれなりに満喫していた。
そんな僕の浮かれた旅行気分を奴が見逃すはずがなかった。
話は広州滞在2日目に遡る。
僕は今回の広州滞在にあたって、一泊40元(600円)の格安1人部屋を確保していた。
というのも厦门旅での4日にわたる不慣れな大部屋生活により、強い疲労を感じていた。
大勢でいるのも楽しいが、たまには1人で思う存分旅の夜を満喫したい。
そして広州に着いた初日の夜、僕はあらん限りの財力を使い、菓子類を買い漁り、ビールとともに流し込んだ。
そして酒類の副作用により強烈な眠気を覚えた時、僕は格安1人部屋のある問題点に気づいた。
「ゴミ箱がない」
これまでどんな安宿にも必ずあったゴミ箱がこの部屋にはないのである。
あいにくこの時僕はゴミ箱の代わりにできそうな袋も持っておらず、ゴミたちを仕方なくベッド隣にあった小タンスの上に置いた。
「明日出かける時にどこかで捨てよう」
いま思えばすぐにバックにしまうといった対策を取ることもできたのだが、僕は猛烈な眠気に押され起き上がることなく眠りについてしまった。
明くる日の朝、僕は朝食に昨夜に買ったベビースターラーメンのような小分けにされたスナック菓子を食べた。
小タンスに積み重なるゴミの山たち。
「まとめて捨てれば効率良いな」
僕はそんなことを考えて、一向にゴミをまとめようとしていなかった。
昼過ぎに広州塔に向かうため宿を出た。
出発後すぐに僕はある重大なミスに気づいた。
どうしたことだろうか。あれだけ出発のついでに捨てようとしていたゴミゴミを捨て忘れてしまったのだ。
僕は一瞬部屋に戻ってもう一度捨てに行こうか悩んだが、部屋の位置がエレベーターなしの6階であったことによる面倒臭さが勝り、部屋に戻るのを止めた。
僕はまだこの時不潔の恐ろしさに気づいていなかった。
「明日やろうはバカ野郎」
広州塔での一連の観光を終え、部屋に戻るころには既に夜の21時を回っていた。
すっかり暗くなった部屋の明かりをつけると小タンスの上には依然としてゴミゴミが今朝と同じ状態で積まれていた。
「もう他のゴミが置けないから一旦捨てよう」
僕は長らく放置されたゴミゴミに手を伸ばし、帰りにもらったゴミ袋の中に捨てていった。
スナック菓子のゴミを一通り捨て終え、最後の1つを捨てようとした時だった。
タンスとゴミのわずかな隙間にいた黒い塊と目が合った。
まじか!?
僕は驚きのあまり思わずゴミをベッドに放り投げてしまった。
奴は突然隠れ家を奪われたにも関わらず、特有の素早い動きを披露することなくただ泰然とその場に佇み続けていた。
突然の出合いに完全に頭がフリーズしてしまった僕は奴と数秒視線を交わした。
ほんの数秒の視線交換が永遠のように感じた。
奴は僕の視線など全く意に介さない様子で親指ほどの巨大な体を誇示し続けていた。
脳がにわかに「殺せ」という指令を送った。
僕は何の思考を持たずティッシュを掴み自らを奮い立たせるための奇声を上げた。
「うぉぇい うぉぇい」
奇声によってパワーを取り戻した僕の右腕は瞬時に奴を捉えた。
「おら! おら」
僕は再び奇声を発し、奴を握った右腕に力を込めた。
どこか遠くから何かが潰れる音が聞こえた気がした。
(現場となった小タンス)
奴との闘いを終えた僕は興奮と恐怖の入り交じった異様に高揚した気分になっていた。
ただ横になって携帯を弄っているだけなのに、心拍は高鳴り続け、数秒おきに辺りを確認するようになった
最後には翌日に訪れる場所を調べるためにグーグルを開いたのにも関わらず、無意識のうちに「広州 ゴキブリ」と調べるまでになっていた。
検索結果によると亜熱帯気候地域の広州は奴の発生率が高く、多くの日本人が奴にまつわるエピソードを赤裸々に語っていた。
僕は彼らの悲喜こもごもに恐怖と共感を感じながら1ページ、また1ページと検索結果を読み進めていった。
そんな中であるサイトが僕の目に止まった。
「May,n 広州でゴキブリ料理を堪能」
「ゴキブリ料理?」
奴を食べる奴がいるのか!?
僕はこのMay,nという奴が何物なのかは全く知らなかったが、ゴキブリ料理というインパクトに押され思わずリンクを開いてしまった。
このニュースによるとどうやら「ゴキブリ料理」とはゴキブリに姿の似たゲンゴロウ料理のことらしく、
広州ではゲンゴロウのことを「水ゴキブリ」と呼ぶことから「ゴキブリ料理」なるネーミングが生まれていた。
「水ゴキブリ」
不意にこいつを食さなければならないのではないかという考えが無性に僕の脳裏に浮かんだ。
奴が陸の王者であるのならこいつは水の王者だ。
陸の王者を恐れないような強靭な精神力をつけるにはまず水の王者を制さなければならない。
僕の奇食への思いが再燃した瞬間であった。
水ゴキブリに関するサイトは少なかったが、中国系のニュースによると市場に直接買いに行くのがベターな形ならしい。
僕はこいつを食らうの一心で翌日すぐさま海鮮市場に向かった。
流石は食の宝庫広州、市場では様々な海産物が並べられ、商人たちによる威勢の良い声が轟いていた。
蟹や伊勢エビといった王道から
謎の気持ち悪い生き物まで
まさに食に対してどこまでも貪欲な広州人たちの姿を表したかのような市場であった。
僕は一度水ゴキブリのことを忘れ、やたらと勧誘の激しい市場人を煙きつつ、のんびりと市場を観察していた。
市場はどこもレストランと直結しており、市場で食材を買って上の階にあるレストランに持って行くと調理してくれるシステムとのことであった。
市場の風景にも慣れたころ、僕はある重大なことに気づいた。
「水ゴキブリがいない」
これだけ豊富な食材を展示している市場にさえ、水ゴキブリなる姿をした虫虫がいないのだ。
僕はしびれを切らし適当にあしらい続けていた市場人に「水ゴキブリ」があるか尋ねた。
しかし彼らは当初まともに取り合おうとせず、アワビやカキといった定番の品ばかり進めてきた。
違う。僕が欲しいのは水ゴキブリだ。
アワビもカキも蟹も伊勢エビも全部いらない。
水ゴキブリが欲しいんだ。
僕は何度も「水ゴキブリが欲しい」と訴え続けた。
ようやく僕の熱意が伝わったのか、市場人は気味の悪い者を見る目で「ちょっと待ってろ」と一声かけ、店の奧へ消えた。
しばらくすると彼は店の奧から手に1匹の小さな虫をつけて僕の前に現れた。
現れたのは奴とは似て非なる愛嬌を持った小さな水ゴキブリであった。
奴とは違い彼は清潔で飛ぶこともない。
ただ僕の指の周りを小さな足で動き回っているだけだ。
なんと愛しい存在であることか。
僕はこんな愛しき虫に水ゴキブリと名付けたセンスのない人々に若干の怒りを覚えた。
市場人は何度も「これでいいのか?」と確認してきたが、僕にとってそんな質問は愚問でしかなかった。
市場人はそんな僕の硬い意思を目の当たりにし、再び店の奧へ消え、今度は袋いっぱいに水ゴキブリを詰めて戻ってきた。
1匹が集団になるとこうも印象が変わるものなのか。
袋の中には先ほどの愛しい面影を完全に失い、生への執着のため必死に蠢きあっている食材としての虫虫の姿があった。
市場人は調理費込みで70元(1050円)という価格を提示した。
僕はこの価格が安いのか高いのかは分からなかった。
ただそこには先ほど感じた1匹の水ゴキブリへ感じた慈悲の気持ちを既に失い、彼らを食材として見ている自分がいた。
「さっさと食っちまおう」
ご法度である市場での言い値購入を果たし、この1袋を手に入れた。
「他に何か買うか?」市場人のそんな誘い文句も無視し、僕はレストランへ向かうエレベーターに乗った。
レストランは想像以上に豪華であった。
中国式の丸いテーブルにはどこも4,5人の客と大量の大皿海鮮料理が埋めつくしていた。
奇妙な虫虫の入った袋だけを持って1人テーブルに座った僕は完全にこの空間から取り残されていた。
一般的に中国レストランでは客が席に着くとすぐさま店員が寄ってきてプレッシャーをかけてくるのだが、店員たちは皆遠巻きに僕を見るだけで誰も近づく者はいなかった。
僕はすぐにしびれを切らし店員に声をかけ、袋を渡した。
彼女は返事すらしなかった。
ただ露骨に嫌そうなそぶりで袋の先端を持ちそそくさと奧へと消えた。
店員すらも忌避する水ゴキブリとはいったい何物のなのか。
店員の嫌そうなリアクションを思い返す度に僕の期待は高まった。
そして待つこと数分。
変わり果てた姿の虫虫が現れた。
元々黒かった見た目は炒められたことによって、さらに黒さを増し、先ほどまであれほど生へ執着し蠢き合っていたのにも関わらず、今では降参と言わんばかりに足を天に向けていた。
僕は正直全く美味しそうだと思えなかった。
「何でこんなに買っちゃったんだ」
だがしかし、頼んだものを残す訳にはいかない。いくら虫虫とはいえ、彼らの命を頂いているのだ。
それにここで残してしまえば、陸の王者への挑戦権を得ることはできない。
僕は意を決して彼らを口に放り込んだ。
「……………うまい」
うまい!何だこの味は。
外は殻のカリカリ感、中はニンニク醤油ソースがしっかり染み込んだ身でご飯との相性抜群。虫虫の臭みは全く無い。
全く味に期待していなかった僕は思わぬ美味しさに感激し、夢中で虫をおかずにご飯を掻き込んだ。
そしてあっという間に数十匹はあった虫虫を完食した。
僕が広州で食べた料理の中で一番美味しい料理であった。
以前どこかで今後訪れる食料危機の救世主として虫食が注目されているというニュースを見た。
僕は当時虫食なんてあり得ないとそのニュースをバカにしていたが、この日の体験は僕にとって虫食への考えを変えるものとなった。
虫食を無視しない者のみが生き残る時代がいつか訪れるのかもしれない。
何はともあれ虫に始まり虫で終わった広州旅であった。
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