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ちゃんとした人生

ちゃんとした人生ってなんだろうなと

帰りにコンビニ寄ってコーヒーとお菓子とパンを買って食べながら歩いていてふと思った

真っ当な、というとちょっと強い
ちゃんとした、というと曖昧になって、答えが出ない

こういうこと考えようと思って考えるわけじゃないのだけど、ふと「何だろうな」と思う時がある

一年前はこんなにコンビニとかでお菓子買ったりしていなかった
計画的にスーパーで買い物していたしお腹すいても何かしら作って食べていたと思う

小腹満たしのおやつを買うにしても、なるべく近所のパン屋さんやコーヒー屋さんで買うようにしていた

それが自分の身体を大事にすることだと当時は多分、思っていて、まあ合っていると思うけど、そういうことだけ意識していればいいってものでもないでしょ、とも思うようになって、
何だかここ数ヶ月は生活のいろんなものがルーズになっている

最初はこの感じよくないなあ、と思っていたけど、今では別にいいかなあ、と思っていて、
何だかもう全部ゆるしちゃおうという状態

ちゃんとできていない自覚がある一方、「ちゃんと」は一旦手放してしまってもいいよというゆるい自分も出てきた
むかし出来ていたからといって、今も変わらず出来るとは限らない
だって自分という人間は刻々と変わっているのだもの、それは他人も同じで
久しぶりに会った知人と話が合わなくなっているのも当たり前だ

毎日毎日、気づかない内に意識しない間に、いろんなものが変化している
いつの間にか桜の木は緑の葉でいっぱいになって、道端にハルジオンが咲いて、諸葛菜の紫が目に入るようになって、
もう初夏なのかなあとぼんやり思っている私の内側も季節が流れるように何かが通り過ぎていく

分かりやすいことだけで説明できない世界だから何とか生きていける
曖昧なものを愛したまま言葉にできないまま
子どものようにまっすぐ目の前に広がる世界を見つめて息をしていたい

私のすきな湿度の高いひんやりした朝を味わえる季節が近づいている
じめじめとした、というと暗い感じがするけど、元来じめじめとした人間なのだ私は
そういう空気の匂いをかぐと落ち着く

このまえの雨の日、近所の柿の畑で草刈りをしていた
刈られたばかりのフキの茎の匂いが土の匂いと混じって、何ともいえない懐かしさを感じた
実家の庭にも蕗がたくさんあるのだった

5月になっても、6月になっても、多分なにも大きくは変わらないと思う
大したことは出来そうにない バイトも続けるので一杯一杯で、何か新しく頑張れそうなこともない
すごい人はすごいけど、かっこいいなと思うけど、今の私はカタツムリみたいにゆっくりとしか動けない 

自分を大事にするというのは、カタツムリな自分もゆるして受け止めて、その日その日の自分を消耗しすぎないことだな
そんな感じで生きていれば、またどこかで「よっしゃやるか」モードになって、"ちゃんと" 生活できるかもしれない
(できないかもしれない)

多分、疲れているのでしょうね、この感じは
実際もう眠いし、横になったら起き上がれそうにない
12時間くらい寝たいなあと思うけど、明日は5時起きマストなので今から寝ても8時間
最近は8時間じゃ足りないのです、カタツムリでもこんなに寝ないだろうな

まあとにかく早く寝ることだ…睡眠はほんとに優先すべきですね みんながちゃんと眠るようになったらもっといい国になる気がするな


帰りに寄ったコンビニの雰囲気がとてもよくて癒されたので、私も明日「コンビニ店員」になったらがんばろうと思います
やさしくない人にもやさしくするには、自分がご機嫌であること
そのためにできるだけよく眠る

ということで、おやすみなさい

最後にいつかのねこさん