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半音の魅惑~「森の情景」から

もうすぐ4月17日。ルプーさんが天国に召されてから1年がたつ。

やりきれないので、私の心の中に大切にしまわれた音の記憶をたどってみる。
「ラドゥ・ルプーは語らない。」のあとがきでは幸福な音の記憶としてシューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」と「ホルンとピアノのためのアダージョとアレグロ」をあげたけれども、もちろんそれだけではない。
とりわけ私の心に深く刻まれているのはシューマンの「森の情景」の第3曲「Einsame Blumen(孤独な花)」。日本での最後の公演となった2013年10月17日東京オペラシティ公演でアンコールに弾いたのがこの曲だから、これが日本で最後に弾いた曲ということになる。

この Einsame Blumenを聴いて、私の心を震わせるのは12小節めと38小節めでシとシ♭がぶつかるところ。YouTube には1996年と2006年の2つのバージョンがあがっているが、2006年の方がこの2つの音のぶつかりをより強調させているように思う。2014年4月にパリで聴いた時はさらにそれが増していた。
このシとシ♭の半音の部分がくると、心に錨がおろされたかのごとく、私の思考は止まり、いつまでもそこに浮遊していたいという気持ちになる。この音の意味をラドゥに質問してみたかったけれど、もうそれはできなくなった。でもきっと聞いても答えてくれなかっただろう。
Eisame Blumen~さみしい花。孤独ではあるけどラドゥが弾くと、それはなんというか人類愛のような、とてつもなく大きななにかに包まれたようで、「私はひとりではない」と感じる。
それはドビュッシーの前奏曲の「雪の上の足跡」でも同じで、どうしようもなく孤独なのだけど、その世界にいつまでもすっぽりと包まれていたいという不思議な感覚に襲われる。

ある年の11月に、ルツェルンでのピアノシリーズのリサイタルを聴くために飛行機に乗った。演奏会の前日にラドゥと一緒に湖のほとりを散歩していたら、寒いだろうからと、自分がつけていた大きくてぶ厚い手袋をぬいで、私に手渡した。私はポケットに手をいれますから大丈夫です、と何度も断ったのに、そこは頑固でゆずらない。ルツェルンの湖から吹く冷たい風をあびながら、その手袋の中で感じた温かさは今でも忘れられない。

こんな音楽をするひとはどこにもいない。彼の音楽には孤独さと温かさが同居していて、その割合は、私の中で聴くたびにちょっとずつ違う。今日は寂しさの方がいくらか増しているように思う。

あまりたくさんの録音を残してくれなかったから、逝去後にたくさんの人がアップした非公式の演奏の記録を聴くと、いつの間にか時間を忘れて聴き入ってしまう。でも聴き過ぎると、私の中の大切な音の記憶が薄らいでしまうから、それに彼がその生き方そのもので示した、記録されることへの拒絶を少しでも理解したいから、もうここらへんで聴くのはやめにしよう。

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