November,Wednesday.という生き方。-最終章-
ワンマンライブ、企画イベント、レコ発、フルアルバム作成、東京遠征。
昔からやりたかったことも含め、形はどうあれやったしやれた。
ノーヴェンバー結成した時に「納得いくまではやりたい。」と思っていたけど、果たしてどこまでが納得なのか。
まだ成し得てないのはイギリスでのライブ。
細かい事言えばやりたい事なんで山ほどあるに違いない。
そもそもこの現状でいいのか。
ノーヴェンバーを2人のまま続けたいのか。
そんな事を毎日考える日々。
それでも止まる事はしなかったし、イベントに呼ばれればスケジュールアウト以外はオファーを受けて出演してきた。
きっとその中に答えを探していたのかもしれない。
そんな葛藤の中、一番やりたいことが具体的に頭を過る。
映像作品を作ろう。
これまでに音源を作ることは幾度となくしてきたし、ライブで流す映像までしか作ってなかった。
唯一撮ってもらったMV[November]の時には自分たちで作品にしようという考えはなかった。
少し時系列から外れるし、書いていいかも迷ったけど大事なことなので少し書きますね。
集大成ワンマンライブまでの流れで、やる事は大きく2つあって、ひとつが音源を作る事、もうひとつがその音源のMVを作る事でした。
奈須田Pから「これぞノーヴェンバー!っていう曲作ろう!」って言われて書いた曲が[November]という曲(ちなみにカップリングが当然[Wednesday]です笑)でした。
色んな意味合いを込めて書いた曲なんだけど、11月ってビックリするぐらいの早さで過ぎて行くでしょ?掴もうとしてもスルッと溢れ落ちていく様を「何か」(石川啄木みたいだな)に例えた歌詞になってます。
興味のある方はYouTubeで見てね!
で、曲が出来てからMVを撮ってくれる人を探してたら到底ワンマンまでに間に合わないから、どうしたもんかなー?誰か適任の人いないかなー?って考えてた。
そんなある日、AtlantiQsに知り合いのライブを見に行ったら適任を見つけてしまった。
コロナ禍で世界が止まってる最中、時に同じくしてMERCURYで配信のカメラをひたすら回していた男、MOHである。(以後モヒ表記)
彼もバンドマンでかなり前から認識はしていたものの、接点がなかったので話すタイミングもなく、まさかのバンドマン同士じゃない場面での縁が繋がったin MERCURY。
で、早速モヒを発見した時に「あ、適任おった!最高にかっこいいMV撮ってくれるやんな?」って声をかけたら「任せて下さい!」と汚い声で(これは最高の褒め言葉なんです)応じてくれた。
ちなみに配信ツーマンの収録の時に初めて映像を撮ってくれたつばささんの相方でもあった。
(つばっさんともこの時が、初めましてでその後もアー写をずっと撮ってもらってる、本職カメラマンです)
モヒも映像の仕事に本腰を入れ始めたタイミングだったし、相当気合いが入ってたんだと思う。
そういう気持ちの入った人と何かをするのって良い作品を作る大前提なんだろうなーって思う。
撮影当日はつばっさんもガッツリ手伝ってくれて、ヘアメイクでは双子の中川家ゆかが担当してくれて、チームノーヴェンバーとして一緒に作り上げれた事が何より嬉しかった。(ゆかは集大成ワンマンや、アー写の時に大活躍してくれました!)
そうして完成したノーヴェンバー初のMV。
この時から少しずつ映像にも興味を持ち始めてたのかもしれない。
そして音楽的にターニングポイントになった[Last letter]という曲のMVを自分たちで作る事になる。
当初の予定では、自分たちの出演は極力少なく、MV以上映画未満の位置付けの作品にすること、アクターは現役のミュージシャンを起用すること。
脚本はいちからワタシが書いて(もちろん絵コンテも)、撮影をつばっさん、編集をmihoという布陣で進めた。
アクターに関しては、この曲でMVを作るっていうのが決まった時点で男性役ではシンガーソングライターのヤマシタレン一択でした。
めっちゃ口説き落とした記憶が笑
で、女性役の選出にだいぶ難航したなー。
最終的にヤマシタレンの知り合いで、同じくシンガーソングライターの谷村咲月ちゃんを紹介してもらい、無事アクターが決定した。
なぜ現役のミュージシャンにこだわったかと言うと、完成したMVを宣伝材料に使って欲しかったから。
がんばってる人に何かしらの形で応援できたらなーって思ってた。
そんな風に考えるのも、これまでたくさんの人が力を貸してくれたし、そのおかげで出来る事が増えたから、これからはがんばってる人の力になれるようにならないとなーって思ったから。
2人とも現役のシンガーソングライターで、社交辞令抜きで良い音楽、良い歌を唄ってるので是非一度聴いて欲しいです!
MVを作ると言ったものの、どうやって作ればいいのか全くわからないままで取り掛かるという無謀さ笑
まず、シチュエーションや配役、ストーリーを決める事から。
その為には絵コンテを描く必要があった。
なるべく細かくわかりやすく、一連の流れと動作などを凄いスピードで描き上げた記憶。
絵には元々自信があったし(これもまた過去ブログ参照)、イメージを具現化するのは得意だったので困る事はなかったかな?
次に場所。
これまでのアー写のほとんどの場所をSlowBirdで撮らせてもらってきた。
SlowBirdのオーナー菊谷さん(以後菊ちゃん表記)とはなかなか長い付き合いで、菊ちゃんがAtlantiQsにいた時から何かとお世話になってて、セカンドシングルのパッケージも菊ちゃんに相談して作る事が出来たり。
SlowBirdも数回移転したりしてるけど、どこの場所もオシャレなので、アー写撮影にはもってこいな場所だったんよね。
で、配役も決まり場所も決まり台本も出来て、いざ撮影。
丸一日で撮りきりましたよ、ミラクルですね笑
アクターふたりもめっちゃ頑張ってくれたし、つばっさんも体力的にもしんどかったと思うけどずっと動いてくれて、何より意図を汲んで撮ってくれました。
その作品がこちら。
このMVは過去と現在のクロスオーバーをテーマにして作りました。
小説家の伊坂幸太郎が好きな事もあり、時間軸をいじる作品を作りたかったんですけど、MVに落とし込むには5分ぐらいの映像では不可能だと思い知りました笑
まぁ、でも表現したいことは詰め込めたんじゃないかな?と思います。
こうして作品を生み出す事に重きを置いた活動をしながら、それでもやっぱり何か違和感が拭えない日々が続く。
正解がないのに問題を解き続けているような感覚。
そんな時、安藤匠からの呼びかけで久しぶりに代々木laboにライブをしに行く事に。
安藤匠はMILLION RED FEVERというバンドもやっていて、初めてのバンドでの対バンが素直に嬉しかった!
ちなみにMILLION RED FEVERのドラムが昔から好きで聴いていたバンドPlastic Treeの元ドラムのtakashiさんだった事に驚き緊張しまくった笑
takashiさんが在籍していた頃の音源がとても好きだったので、会える喜びと言うより純粋にドラムを聴けるのが嬉しかったなー。
またどこかのタイミングで対バンしたいです!
東京-大阪感という距離なのに、地元にいる人より深い繋がりを感じる安藤匠。
いつも心配してくれてるし、気にかけてくれている。
同じ時代で同じ世界の中で何かと戦ってる同士…と言えば大袈裟に聞こえるだろうけど、ホントそんな感じ。
いつもカンフル剤を打ってくれる人のひとり。
このタイミングで東京に行けた事がとても良かった。
何か諦めに近い感情で足元に絡み付いてたモノが少しずつ解けていった。
大阪に帰ってきて、たまたま偶然だろうけどある人によく会うタイミングが生まれる。
それが現ドラムのさや。
さやがやってるバンドのひとつ-昴-とは過去に何度か対バンもしていて、顔見知りではあるけどそこまで話したこともない関係だったんだけど、-昴-自体も活動が止まっていたタイミングもあり、確か「来年時間あるやんなー?ドラム叩かへん?」みたいな軽い感じで誘った記憶が笑
一応条件?としては、-昴-の方を優先して活動して欲しいのと、知ってる人もいるかもやけど体調的に無理のない程度での活躍をしていって欲しいのを提示したんかな?
なんか縁っていうのを信じてるタイプなので、これが縁で繋がってるなら一緒に音楽やれるんかも?と思った。
もちろん話を進める時にもmihoに「さやさんどう?」っていう話をしてから声かけたんやけどね。
まぁ、たぶん一緒にバンドやってなかっても、飲み友達は確定してたと思うけど笑
時に同じくしてバンドのインフォメーションに一通のメールが届く。
「たまたまライブを見たけど、もう1人ギター募集していませんか?」
本文はこんな感じじゃなかったけど、内訳するとこんな感じ。
確かにギターもいたらいいなーとは思っていたけど「いたらいいなー」レベルだったので、そこまで乗り気では無かったのでとりあえず何度かメールでのやり取りをする事に。
若干メンバーの脱退恐怖症…と言うか、脱退してからの立て直しがなかなか辛いので、かなり慎重になってた。
mihoにも情報を共有しつつ、しばらく連絡のやり取りをしてるうちにある事に気付く。
「あれ…この人○○さんじゃないか…?」
もうかなり昔にワタシがV系をやってた時に、確か1回喋った事があるぐらいの人。
その気付きから確信に変わるまでそう時間は必要なかった。
それがのちに加入するshigeさんだった。
shigeさんだとわかった時点である意味有利な展開笑
とりあえずmihoを含め3人で顔合わせをする事に。
もうニヤニヤが止まらないわけですよ笑
ニヤニヤを抑えつつ、「はじめましてー!」の挨拶。
「とりあえずどこか入りましょかー?ところでshigeさん、まだ○○で働いてるんですかー?」っておもむろに言った瞬間、マンガみたいにshigeさんが固まった笑
もうパニックですよ笑
とりあえず落ち着いてもらいながらお店に入って、結構深い話までした。
その上で加入の意思がある事を確認して、mihoにも加入でいいのか確認して、更に同時加入になるさやとも顔合わせて、この4人でやっていくのかをみんなで確認してノーヴェンバーはまた4人編成になる。
一応条件をひとつだけ出したんやけど、それが月1回飲み会を開くでした笑
なんというか、バンドを2人でやってきた時間が長かったから、4人集まってバンドをやる楽しさに飢えてたんでしょうねー。
なんかクラブ活動みたいでした笑
こうして4人になったノーヴェンバーは気持ちも新たに動き始める。
まずは4人になってからの初披露のライブをどうするか?
これは自分でも思い切った事を口にしたなーって思う。
お披露目ショートワンマンライブ。
ショートとは言えいきなりハードル高い。
でも、どうせやるならこれぐらい思い切った事をする方がいいと思った。
メンバーには負担が大きくて申し訳なかったと反省はしてるけども。
やっぱり4人になった事で音楽的に出来る事も増えたし、反面難しいなーって思う事も増えた。
次に4人になったノーヴェンバーがやったのは新曲のMV作成。
この曲はこの4人になったからこそ書けた曲。
前回と違って、構想がガラリと変わった。
テーマは「希望と絶望」なんやけど、この作品もつばっさんの撮影で2日かけて素材撮りしたんやけど、2月のクソ寒い時にしかも深夜から朝にかけて海で撮ったんよね。
雪も降ってきて本気で死ぬかと思った。
前回の失敗を改善しつつストーリーを組んだけど、今ひとつ「何か」が足りてなかった。
で、別の日にmihoと2人で神戸に素材撮りに行ったんやけど、とりあえず朝到着してからカフェで打ち合わせ中、何故か急にインスピレーションが。
幼少期に住んでた場所に何かとてつもなく引き寄せられるのを感じて、特に冒頭部分の傘が転がってる場所はスピリチュアル的にも「くる」場所で、その写真をネットで調べてmihoに見せた。
その時に見た写真、撮影したであろう人の名前がワタシの名前と同じだった。
兄のアンプの時と同じ状況。
すぐに神戸を離れ、ふたりで昔ワタシが住んでた場所へ向かう。
そしてそびえ立つシンメトリーの巨大な建物。
これですよ。
この場所以外にも、幼稚園に通ってた頃から動き続けてる病院の前の時計とか、色々散りばめられてます。
このMVが完成してしばらくしたぐらいに、海外のメディアが見つけてくれたらしく、記事に取り上げてくれたぐらいから急に再生回数も増えた。
作って良かったなーって本当に思う。
4人になってから個人的な一番の変化は、一歩引いた所で物事を考えるっていうこと。
この時点でもまだ違和感は拭えてなかったから、無理に動く事ができなかった。
この頃は新しい界隈と言うか、ソロでもライブをするようになって、色んな人と繋がるようになった。
映像特化型のイベントを組んで、ノーヴェンバーにオファーしてくれたJANUSのヨコデさん、ひょんなことから繋がって、現在でもとても良くしてくれてるCROW MUSICとzealの代表TATSUYAさん、他にもたくさんの人と繋がった。
行き場を失わずにいられたのは、こうして繋がった人達がいてくれたからこそだと思ってます。
感謝しかない。
縁とは本当に不思議なもので、去年の12月に初めてつばっさんが展示会に参加すると言うので、顔を出した時に知り合ったのが10周年ワンマンライブでコラボする事になった、はるやみさん。
展示会の主催者で、イラストレーターとして活躍中らしい…ぐらいの情報量しかなかったんだけど、話していくうちにとても不思議な繋がりへと。
つばっさんもワタシの過去についてはほとんど知らなくて、バンドをやってるっていう話題から、「昔V系でバンドやってたんですよー」みたいな話から、はるやみさんが「ちなみになんていうバンドやってたんですか?」の質問。
「たぶん全然知らないと思うんですけど、○○○とか○○○とかっていうバンドです!」って答えると、「…え、ファンでした…」と意外すぎる答え。
よくよく話を聞くと、はるやみさんが高校生の時に当時沖縄在住だったらしく、V系が好きだけどCDがどこにも売ってないから、こっちの知り合いを介してCDを送ってもらったりしてたらしい。
で、その中にワタシがやってたバンドも入ってた…と。
え、世の中狭っ!!ってなりましたよね笑
そこからはるやみさん、しばらくずっと挙動不審でした笑
そんな縁もあって、交流が深まり10周年ワンマンでコラボをする事になりました。
この辺の話もまた違う機会に書きたいと思います。
さて、いよいよ佳境です。
他人が集まれば必ず多少の「ズレ」が生まれるのは必然。
それを全員が修復する意識があれば問題は小さな所で解決する。
しかし、修復する場所の意識が違えば話は変わってくる。
例えば遠足に行くとする。
目的地はそうだな…天橋立にしよう。
日時は1週間後に設定。
で、メンバーそれぞれが色んな手段で天橋立に向かう。
1人は車で、1人は電車で、1人は徒歩で。
最終的に1週間後に目的地に着けばどの手段でも構わない。
問題なのは、目的地に時間通りに着くこと。
ここで目的地を時間を、みんなが把握して向かう事に意味があって、誰かが違う目的地、時間に向かってしまっては即座に計画は破綻する。
ようはベクトルの問題ね。
何回も言う。
「他人が集まれば必ず多少の「ズレ」が生じる」
誰が悪いと言うわけじゃなくて、そういうものだという解釈。
現時点での最後の難題。
ギターshigeの脱退。
話し合いもしてみたけど、ズレてる位置が戻る事はなかった。
これ以上は言葉にして説明しても誤解しか生まないと思うのでここまで。
再び3人に戻ったノーヴェンバー。
しかしながら10周年目の11月は徐々に近づいて来る。
10周年という節目に何をしようかと色々考えた。
Fireloopでワンマン?でも理由があってベストな状態ではできない。
大きなホールクラスでワンマン?
身の丈にあっていないし、そもそも1年以上前から取り掛かっても準備に時間が足りない。
音源リリース?
4人でのアレンジをまた3人用に変えてレコーディング、全然間に合わない。
悩みに悩んだ結果、ひとつの答えに辿り着いた。
初心に帰って、しかし一番濃度の高いイベントを。
この10年、とにかく色んな事があった。
その度に心が折れそうになった時、いつも誰かが手を差し伸べてくれたし、背中を押してくれた。
いつも力を借りてばっかりだった。
恩を返すには10年の節目は最高のタイミングだと思う。
まずは感謝の気持ちを込めて、この10年間の歩みをパッケージングしたい。
だから敢えて一番小規模な会場を選んだ。
自分が納得するイベントより、みんなが喜んでくれるイベントにしたい。
今までのワンマンでは出来なかった事をする。
はるやみさんとのコラボもそう。
色んな人にはるやみさんの作品に触れて欲しいし、ノーヴェンバーも「これぞノーヴェンバー!」っていうステージを作る。
10年続けてこれたのは、メンバーと家族と関係者のみんな、いつも誰かが見守っていてくれたから。
1人ではきっと何も出来なかったし、ノーヴェンバーを始めた時の自分では想像出来なかった事をいっぱい経験させてもらえた。
色々な事があったけど、それでもずっと一緒に続けてきてくれたmihoにも本当に感謝。
1人ではノーヴェンバーにはならなかった。
初期メンバーの創、Ryoくん、サポートのこうちゃん、shigeさん、一緒に音楽を作ってくれてありがとう。
今までノーヴェンバーで出会って来てくれた人、誰か1人でも欠けてたらたぶん続いてなかったと思う。
いや、ノーヴェンバーだけじゃなく、それ以前に出会ってくれた人達もみんなそう。
その気持ちを全部込めて11月27日の10周年ワンマンライブに挑みたいと思う。
今持ってる最大限を渡すので受け取って下さい。
そんな気持ちを込めて作ったアルジャーノンという曲もリリースされます。
今の気持ちとしては、過去も未来もまずは考えずに今の気持ちを伝えられたらと思い、こういうブログを書きました。
もう指が限界です笑
もっと上手く宣伝に使えたりしたら良かったんやけど、そんな器用な人間じゃないこと忘れてた笑
本当はもっと色々な事があったから、ひとつずつ書きたかったけど、お時間に限りがありますので、またの機会に少しずつお話できたらなーと思ってます。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます!
読んでくれた人が時間の無駄になってなかったらいいな…
何かひとつでも残せてたらいいな!
それではまた1週間後に!!
ありがとうございました!!!