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生きているのか

うわー、久々だ
noteは書いてなかったけど
日記はつけてた

志人も言うようにnoteに書くよりも
紙とペンの方が自由で頭の中をより直接的に書けるから好きだと思う
志人が「私は生涯、紙とペンに依存する」
と綴った理由がよくわかる

哲学の授業で
左目の外直筋が麻痺した患者が、左目を動かそうとするとそれを右目で補おうとするという話を聞いた
人間の魂もそうできればいいと思う瞬間があるな


ぼくは基本的に生きていますが
自分が自分の命をつないでいるという感覚は
あまりありません
どちらかというと死んでいない状態であり、
自然、地球、宇宙に生かされている
といった方が感覚的には正しいです
急なスピリチュアルですが
僕みたいな人間が
僕は生きているんだ!ということが
生きている実感が欲しい!ということが
傲慢であるように思われるのです

余命を何ヶ月も越えて生きる方とかいますが
時が進めばそういう奇跡も奇跡じゃなくなり、
理論として証明ができる、説明がつく
そういう時代がくると考えたら
人間はほんとうに理論の中で生きていて
世の中の見えない構造(地球規模なのか宇宙規模なのかそれは分かりませんが)に生かされているのではないかと思ってしまいました

でもこういうのって現実的であまり面白みとか感動には欠けますよね



なんか死ぬほど落ち込んでいる人と話してみたいと思うことがあります時々


アユニちゃんさんのリプ欄にいる人は
アユニさんのいうことを勿論全肯定するわけですが、その人たちってアユニさんの言ったことに対してそれは違うんじゃない?っておもうことはないんでしょうか
ふと疑問に思いました
ぼくはアユニさんの言うことについて
これは自分と違う価値観だなーと思う時があり
全肯定するかと言われればそういう訳ではないです
全く違う人間なので当たり前ですが、
他の人はこういうことがあったりするのかなーとふと思いましたね



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