面倒だなぁ、をちょっと超えてみる
「あーもうめんどくさい。」
って思うことは日常のあちこちで起こる。
大きなめんどくさいもあれば
ほんとにちっちゃな面倒もある。
はて?「面倒」ってどうしてこんな漢字なんだろか?
気になる人はこちら→面倒 ”コトバンク”より
この面倒というものにちょいちょい引っかかっていくと、
結構なことが滞っていくことになるんだよね。
わかっちゃいるけどねぇ、できたらいいわよねぇ、
なんて言葉が心や口に浮かんできたら
確実に引っかかっている。
で、本当に些細な面倒に
コツコツと引っかかり続けていくうちに
気がついた時には巨大な面倒になっている。
こうなると、これに取り組むにも逃げ切るにも
この面倒というものにかなりの労力を投入することになる。
何を隠そう、これは私の体験談。
無意識に面倒に投資をしつづけた私に
あるとき突然満期が訪れた。
軽く掃除をしていたときだった。
照明スタンドの笠にホコリが溜まっているのを
目にしたとたん、いつものように面倒がやってきた。
なんの疑問も感じることなく
その「めんどくさーい」についていこうとすると、
そっちじゃないよー、と別の方から優しい声がする。
はて?とその声の方へついていってみると
あら不思議、目の前にいたはずの面倒が消えている。
そこで躊躇なくホコリをささっと払ってみると、
あっという間に綺麗になってくれるではないか。
だったら水拭きもしちゃおっと。
スタンド笠は期待以上に輝きだす。
なーんだ、こんなもんなのか。
こんなもんを面倒くさがっていたのか。
面倒をちょっと越えてみるだけで、
こんなに景色が変わるのか。
目が覚める思いがしたのだった。
そんな成功体験が起こってからというもの、
面倒と距離を置くことが少しずつできるようになっていった。
面倒がひょっこり顔を出してきても
その面倒を超えたときの景色に意識を向ければ、
ひょいっと越えることができてしまうこの軽さ。
当然それに伴う結果も出る。
なかなかどうしてクセになる感覚。
それはハードルを飛ぶ感覚に似ている。
ハードルそのものに意識を向けていると
それは障壁として感じられるけど、
ハードルを超えたあとのイメージに意識がいけば
ハードルを飛び越えることはただのプロセスに過ぎなくて、
その結果軽々と次に進むことができるんだ。
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設計時のサーベイとか空間術で相談にのるとき、
このトラップにかかってる場面によく出会う。
暮らしのことって本当に当たり前すぎちゃって
また明日、また今度、ってなっちゃうんだよね。
全部じゃなくて構わない。
その目の前の面倒だなぁ、を
試しにちょっと越えてみてほしい。
これ、すごい魔法だと思うんだよ。