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76年前

 恥ずかしながら、歴史がわからない。歴史を勉強してこなかった。

 この夏、前の戦争について少し知るきっかけとなる仕事をした。それで、曖昧にしか知らなかったこと、戦争の道筋というものがわかった。まだ人に説明ができるほどわかっているとは言えないけれど、わからなかったことがわかる、という体験は、今まで血の通っていなかった部分に新たな血管が通じたような感じがする。自分がわからないことというのは、情報として入ってきてもそれを処理しきれないので、取り込んで自分のものにすることができない。

 昨夜は中国の革命の歴史と建国の近代史をあつかったTV番組を見た。これまでたくさん見てきた中国や台湾の映画も、これから見直したいと思った。

 今朝の「日曜美術館」は長野県の「戦没画学生慰霊美術館 無言館」を紹介していて、終戦記念日の今日、意味を感じる放送だった(昨年8月の再放送)。オリンピックが終わって、通常のEテレの放送は3週間ぶり。自分の大切な人を描いた絵が多い。戦後の長い時間のなかで家族に引き継がれつつも、処分されずに残された絵が人物画というのも多分にあるだろう。

 館長の窪島さんが最後に語っていたことの余韻が残っている。絵を描けるという幸福があったはずだ、好きな女性の裸を描いているあいだは幸福だったはずだ、と。サッカーでもなんでも好きなことをやればいいと。

 お墓参りにも行かない(コロナだしね、天気もあれだしね)私に、母が夢に現れた。相変わらず私は母から逃げている。賑やかな会社のような場所で、機械室から逃がしてもらって、その先に路面電車のようなものが走っていて、まだ私は逃げたり隠れたりしながら・・という夢。私が歴史を知ること、戦時中の状況をできるかぎり正確に知ることが、いつか母や母の周りの事柄につながっていくのか。まだ、私は母を懐かしく恋しく思うことができない。

 国、という名の下になされることに、個人の責任感は希薄だ。おとといの「しかたなかったと言うてはいかんのです」というドラマで、主人公は苦悩する。「たとえ自分が殺されてでもそれを止めなければならなかった」と。だれも責任をとらないから、大胆なことをする。ナチスだって「命令に従った」と将校たちは言った。

 責任は私にもある。私はしっかり勉強しなければならない。オリンピックの終わった日本で起こっていること、首相が言っていること、知事が言っていること、政治家やテレビの人が言っていること。自分の直感を頼りにして、怖い時代のことを忘れずに。

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