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かけいくん・はぎおりつ

 「あすなろ白書」を再度見てみると、自分にとって(あるいは作者が狙った)キーポイントになる場面でのセリフを空で言えてしまうことに驚いてしまう。北川悦吏子のドラマは、本当に中高生の頃に私がどっぷりとはまった「くらもちふさこ」のコミックの味わいとどこか似ている。これは、2018年に朝ドラ「半分、青い」を見ていろいろ謎が解けてしまったのだけれど。

 身近な異性に恋焦がれるような気持ちはもう本当にどれくらいと言えないくらい長い時間忘れてしまっていて、恋の駆け引きみたいなことはさらにさらに一体いつのことだろう、というくらいなのだけれど、「あすなろ白書」の「掛居保」、いわゆる「かけいくん」は、そんな私にも人を好きになる辛さ、どうしようもなさ、幸福、高揚を思い出させてくれる。

 私がこのドラマを見ていた頃はちょうど子育てをし始めた頃。主人公の石田ひかり扮する「園田なるみ」は、大学生だけどバイトもしていないし、かけいくんを除く他の学生もバイトをするには、なにか特別な理由があってお金が必要なときらしい。若干時代が感じられるとはいえ、なるみはまだバブルの強い余韻が感じられるようなファッション。

 かけいくんを演じた筒井道隆はこのあと「君がいた夏」という、甘酸っぱいドラマに主演したが、その後はあまり出なかった。しかし、「かけいくん」と口に出せば甘く寂しい気持ちになる役名は、役者にとっては得難いギフト、宝物になっているのではないだろうか。

 さらに、佐藤健に私は「りつ」と呼びかけたい。

 佐藤健がロボット開発の研究者で、「萩尾律」という美しい名前を持ち、そのような名付けをする親を持ち、「美しい」と子どもの頃から大人になっても言われるような外見を持つ、そんな役を演じて、私もそれまでは佐藤健にまったく何も感じたことがなかったのが、俄然「わたしの律」として存在する人になった。

 ところで、この「萩尾律」という名前、母親がピアノを弾く人で、「旋律の律」、という名付けの理由はわりと平凡だけれど、苗字との組み合わせが絶妙であるし、昭和では「りつこ」という名前が女子によくあったが、「律」という漢字を使って男児の名付けをするということは、なかなかに珍しいことであったように思う。もし昭和やもっと前の時代に「律」という名前の男子がいるとしたら、詩人のペンネームとか、とにかくとてもモダンな感じがあったのではないだろうか。

 ただ、男子の名前にしては、線の細さが感じられるのだけれど、物語では、やはり内面に繊細さを持つ人として描かれている。ただ、主人公の相手役としては当然のことだけれど、繊細さと同時にロマンチストで大きな夢を叶えるための下支えになる能力の高さ、実直さがあって、豪快に外海へ漕ぎ出していくわけではないけれど、じっくりと丁寧に内海を探索していくアドベンチャーなのだ。

 私は「あすなろ白書」のその後の物語を知らないのだけれど、かけいくんとなるみが夫婦としてうまくやっていくかどうかというのは、なかなか難しそうだという見立てだ。ふたりは、今度こそお互いから、自分から逃げないで、しっかりと向き合って恋愛をしようというスタートラインに立ったところで物語が終わっている。

 そのまま疎遠になって、お互いに忘れられない人、恋愛の尻切れとんぼ、それでよかったんじゃないか、と思ったりする。心のどこかにその人の面影を抱きしめながらほかのひとを愛せないか、そんなことないんじゃないか。お互いに「遠い日の花火」になった恋心で暖をとりながら生きていくのもまた良しでは。後悔のない人生ってのも味気ないものではないかしら。意地を張り合った、素直になれなかった、大事なひとだった、輝いていた時間、握りしめたままの言葉、飲み込んだ言葉、それがどんなふうに熟成するかを見ていくというのも悪くないんじゃない。すっきりしたら、なんも残らないでしょう。

 ところで、かけいくんには飲んだくれで、男関係の耐えない母親がいる。この母親(加賀まりこ)が病院に運ばれる。息子がかけつけるが大したことないとわかる。「元気そうだな。ほっとしたよ」と、取るものも取り敢えず駆けつけたかけいくんが言う。病室のベッドの上で加賀まりこはそっぽを向きながら、「ほっとされてたまるか」と小声で強がる。このシーンが、なんかとてもいい。息子がバイトバイトで学費を作って、前借りして、それをくすねて持っていってしまったことがある母親。苦学生の息子にお金をせびりにバイト先に来たりする。かけいくんは社会人になっていてちょっと大人の余裕。まもなく京都に転勤になる。不良少女みたいな母親に「いっしょに行くか?」と尋ねる。彼女は、息子に面倒見てもらうようになったらおしまいよ、みたいなこと言うのだけど、うれしそうなのだ。そしてさびしそうなのだ。とても。

 

 

 

 

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