「誰がアパレルを殺すのか」を読んで

「誰がアパレルを殺すのか」という本を読んだ。

じぶんの勉強も兼ねて趣味で洋裁をしており、じぶんの服を作っている。スキルアップと知識を増やすために、1か月に1着、あたらしいものを作り上げるというルールをじぶんのなかで作った。この約束を守ることができれば、1年で最低でも12着作ることになる。作ったぶんだけ、スキルや知恵は増えているのだろうという期待がある。

そして、きょうも次につくる服のデザインを描いていた。生地もほぼほぼ決まっている。にもかかわらずに、乗り気がしない。作るべきかを迷っている。(これは、やる気がないとはちがう。)結局、そのデザインの服をつくることはやめたのだけど、きっとその服を作っていたとしても、わたしは着るとは思う。だけれど、「ほんとうにつくる必要があるのか」、と問われれば、なくてもいいものだなと思ってしまった。じぶんで。

じぶんがほしいものをつくるという想いも確実にあるが、デザインを描き上げたものは全部つくりあげて、実物が見たいというエゴの気持ちが第一にわたしにはあった。こういうことをしていれば、1年で12着つくるという目標は簡単に到達できる。と同時に、いらないものを生み出すことにもなってしまう。最初は質より量をこなせという考えもあるが、実際、タンスに眠る服を見てみるとじぶんが思ってた以上に、わたしは服を所有していた。だからといって、つくることはやめないがこのルールはやめる。

「ほんとうにつくる必要があるのか」という問いが脳裏をよぎったのは、この前に「誰がアパレルを殺すのか」を読んだからかもしれない。ハンドメイド市場もあり、個人レベルでさえも企業が歩んできたことと同様なことが起こりうる。

必要なものを必要なぶんだけほんとうに必要なひとに渡す。そういう適切な配分ができることも一つの市場価値なのかもしれない。環境の問題もあるし。

いちばんこわいのは、売れたとしても使ってくれないことだろう。それは、ただただ、じぶんの手からなくなり、ほかの場所にものが移動しただけになる。意味がない。買ったひとに使い続けてもらえるものを生み出さないと、おそらく次はない。と同時に、大切にしてくれるひとに売るべきなんだろう。

大量に生み出し続けることで豊かになる成長産業と、生み出し続けた結果、衰退している産業。

なくてもいいもの、やる必要のないことにどれだけのお金や時間を費やしていきていくのだろうか。

わからないけど、明日も。


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