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本気でやるなら

昨日、久しぶりにnote を書いて、過去に書いたもの(といっても少ない)をつらつら眺めていたら、占い師やる宣言しとるし。

あれを書いた頃は占い師「も」やる気満々だったけど、やるにはそれなりの準備とか勉強とかが必要なのでごそごそやってはいました。
占い師って占いだけできても仕方ないというか使えないというか。自分が占いをしてもらう側になったときに結構なイカモンに遭遇しているのでそこは避けたいというのもあり、いろいろ考えながら良い指針になるものはないかとあちこち見て回りました。

で、無料で良心的な講座もあるにはあるのですが、これがなんというか「お肌に合わない」感じで。
かといって、いいのは判っていても費用がそれなりにかかるところは今のところ無理ですし。
というのも半分は言い訳で、実際は自分がやろうと思っている方向だとかなりしんどいなぁというのが本音だったりします。やれないことはないけど、こちらのコンディションが良くないとねぇ。

あと、凄い占い師さんを引き当てたと思ったら、何気に踏み抜きが発生して「ああ、こんなに判っている人でもやっちまう時はやっちまうのか」と。残念というよりは、これ自分がやって気付かなかったら嫌だなというやつで。その方は良心的な方なのですけれどね。なんというか、サバサバしすぎというか。

そういうことを考えていると、これはまだできないなと思ったので人様向けにはいったん休止しています。

結局のところ、占いといっても実は「傾聴」のほうが重要なのですよね。
何か「答え」のようなものを求めてはいるのでしょうけれど、その求めの根っこは何かというところを見ないとあんまり意味がないなぁと思います。占いをして欲しいという本人も気付いていないモノが在ることもありますし、何かを抱えているけど上手く言葉にできていないだけのこともありますし。


「それは充分承知しているのですよ。でもね。だからね。とにかく聞いて?」ということ自体を伝えることができないでじくじくしていることもありますよねー。という経験もしましたし。
占いは全然関係ないところで「そういう行動をしたのはどうして?」を探っている間に目の前の問題とは似ても似つかない根っこが出てきて「あ!」みたいなこともありました。
どれも第三者とのやり取りですので、第三者が必要なこともすごくよく判りました。
占い師はその第三者なので、それなりに準備しないとできないなということです。(ま、ほら、インチキとまでは言わないけれど、いろいろいらっしゃいますからね。自分をどこに置くのかを考えてしまうわけです。)

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