地方大学(高知大学)から準地方大学 (筑波大学)に進学した話

 どーも、TwitterだとK.Kですね。こんにちわ。筑波大学のカスミの前のベンチで焼酎ハイボールを飲みながら、黄昏に浸っていたらエモい気分になったのでちょっと大学生活を振り返ったものを文字に起こそうと思いました。

 僕の出身は神奈川県です。しかし、小学校は大阪で過ごし、いわゆる転勤族ってやつです。高校時代は科学書が好きで、進化の本をよく読んでいました。しかし、大学進学の時には農学部を選びました。現実的な理由としては、理学部より飯が食えそうだなということです。青臭い理由としては、農学部に進学するなら現場に近い地方がいいなということと、地方創成に貢献したいなという気持ちがあったからです。僕の家はあまり裕福な方ではないので、国立大学に行こうと思いました。第一志望は某長野県にある国立大学だったのですが、センター試験の結果、到底届かず、青森・佐賀・高知の三択になりました。結局、飯がうまそうだなというのと、当時、司馬遼太郎の竜馬がゆくにはまっていたので高知大学にしました。

 高知大学に進学して一年目はひたすら図書館にで本を読んでいました。主に哲学とか社会学とかの人文系の本です。いまでも、実費で購入して読む本は社会学とかが多いです。二年目から、高知大学の農学部は別キャンパスになるので引っ越しをしました。農学部キャンパスの時は学生寮に入りました。学生寮は国立なので(笑)、割と古かったのですが、いろんな個性的なひとと関わることができて楽しかったです。しかし、学業の方は結構問題にぶち当たっていました。前述したように地方創成に興味があったので、学部の実習などで地域に関わることができたのですが、地方の現状に打ち砕かれてしまいました。都会人特有の田舎へのあこがれと、誰かの役に立ちたいという承認欲求で動いていたので、いずれそうなるのは当然だったのですが。いずれにせよ、地域に起こっている問題は非常に複雑であること、地域に住んでいる人の価値観との相違 (ジェンダーなど)などによって、自分がこの問題にかかわるのは難しいと考えるようになりました。今から振り返ると、別に地域を全肯定する必要もなく、好きなところ・嫌いなところがあるのは当然だと思うのですが、当時の大学の地域を活性化しなければならないという圧力に染まっていた自分にとっては、そのようなあいまいな態度をとることはできませんでした。

 そんなこんながあって、研究室配属になりました。農芸化学科は実験室にこもるタイプの研究室が多いのですが、それだと病むな(笑)と思ってフィールドに出る土壌学研究室に所属しました。これはかなり正解で、動機にも恵まれて成長できたと思っています。大学院の進学先を考えるようになったときに影響を受けたのは、当時参加させてもらっていた生態学 (鈴木 紀之)のセミナーです。そこで基礎科学よりの話を聞くにつれて、農学ではなく理学よりの土壌学をやりたいな~という気持ちが大きくなりました。そこで、自然土壌の研究を多くやられている筑波大学の土壌環境科学研究室に進むことにしました。

 大学院に進学して早々にコロナで自粛しないといけなくなり、調査ができるかなどいろいろ大変だったのですが、今のところ楽しくやれています。理由としては、1:自分がやりたかった高山帯の土壌を研究できている、2;研究室が学生の自主性を尊重する方針である、が上げられます。特に前の研究室はどちらかというと丁寧に指導する方針だったのですが、個人的にはある程度自由があった方があっているのかなと思っています。また、つくば市には研究所も多く、バイトなどで関わることもできるため貴重な経験を積ませてもらっています。しかし、研究を進めるにおいてや考え方には高知で過ごした経験が生かされており、地方大学で過ごしてよかったのかな~と思っています。

 まあ、こんなとこでしょうか。酔いながら書いたので文章が汚いかもしれませんが・・。今度は、土壌に関わる専門的な内容を書きたいと思っています (早くやらねば)。それでは、、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?