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「生きている価値のない人」なんているのかな?という話をします。

私は今から5年前に、とても大切な宝物を永田純子さんという女性から受けとりました。「いのち」という宝物です。
少し、長い話を書きます。

私が純子さんに出会ったのは、栗東市の料理研究家中井あけみさんの料理工房でした。県南部のくいしん坊が集う場所なので、私たちの出会いは必然でしょう。
中でも純子さんは、準備も後片付けもまともにしない、食べて遊ぶ専門のお役目で「純子さんだからしかたない」と得なキャラクターを確立していました。
ちょうどその頃、仕事に後ろ向きな問題を抱えていた私は「独身で、帰れる実家もなく、再就職先の当てもないまま、会社員を辞めたら野垂れ死ぬだろうか」などと思い悩んでいました。
そんな私にとって、純子さんは『理想的なロールモデル(フリーランスで生計を立て、独身で生き生きとしている女性)』に見えて、自宅まで話を聞きに訪ねました。

それって「きれいごと」?

純子さんは市民講座をいくつか受け持つフリーの韓国語教師で、裕福には見えない、普通の人でした。
平家建ての小さな自宅には、近所の子どもたちがいつも出入りしていて、時には真夜中に行き場の無い子の居場所にもなっていました。時間のある日は福祉施設のボランティアに通い、困っている人がいると聞けば駆けつけてできることをしていました。社会課題にも関心が高く、多様な勉強会に参加していました。ものすごいエネルギーだと思いました。

なぜそんなことをするのか?と聞くと話してくれたのは、マザーテレサがインドで始めた「死を待つ人の家」という路上生活者を看取るための施設での体験談でした。
純子さんは、度々その施設を訪れ、横たわる人たちの衣服を洗ったり、マッサージをしたり、時に話し相手になったりして、過ごしていたそうです。

その話を聞いた時、私は、その行動がとても素晴らしいことだとは感じながら、でも、なぜそうするのか、純子さんの真意がわかりませんでした。
実際、自分の身近な人の関わりがないところでボランティアをする精神の根源がどこにあるのか、わからなかったのです。
純子さんはそんな私に「してあげてるように思うかもしれないけど、逆なんですよ。私は、おばあちゃんたちから、たくさんのものを受け取っている」と言いました。
その時の私には、その言葉は「きれいごと」のように聞こえていたかもしれません。

人生はマラソン

そしてまもなく、純子さんは「ステージ4の卵巣がん」が発覚し、余命3週間と告知を受けました。
それでも、純子さんは「人生はマラソン。ゴールが決まった方が走りやすいんですよ」と周りの心配を笑い飛ばしてしまうような人でした。

同じタイミングで休職した私は、純子さんの最期を伴走することになりました。写真展を一緒にしたり、不思議な民間療法を一緒に受けに行ったり、ミンダナオへ子どもたちが暮らす家を訪ねたり、本当にいろんなところに連れて行ってもらいました。

余命宣告から1年半が経ち、とうとう純子さんは寝たきりになり、ホスピスに入院しました。私は誰にお願いされるでもなく、連日通わずにはいられませんでした。
食事時、私が純子さんの口にお味噌汁を運ぶと、純子さんが突然「うふふ」と笑って、「堀江さん、なんで私がマザーテレサの家に行っていたか、わかるようになったでしょう」と言ったのです。
その通りでした。
私は、わかっていました。
病室の窓を開けてあげると、純子さんが「風が気持ちええわ〜」と喜ぶ。
その一言が、どれだけ私を幸せにしてくれたか。

純子さんの病室には、連日見舞いの列ができました。そこに並んだ人たちはきっとみんな、同じ気持ちだったでしょう。何にもできない、寝たきりの彼女に「何か役に立つことをしろ」、なんて要求する人はいません。
みんな、彼女が少しでもここにながくいてくれることに、生きて出会えることに、喜びを感じていました。

「いるだけでかがやくいのち」

亡くなる少し前、彼女が投稿した詩があります。

「もどかしいからだ  とぎれることば  でもいるだけで  いるだけで かがやくいのち」

「障がい者福祉の父」として知られる糸賀一雄の生誕100周年記念事業のひとつとして作曲された「ほほえむちから」という歌の一節です。
谷川俊太郎さんが作詞しました。
詩の冒頭は、
「いまここにいきるわたしは いのちのねっこで むすばれている いまそこにいきるあなたと」
と始まります。

今、わたしはこの詩を声に出して読み上げたい。

「いまここにいるわたしは あなたがいないといきてゆけない うまれたてのいのちのように わたしはひかり あなたをてらす」

誰かの役に立っているから、そこに生きていることが認められるのではない。頑張っているから、生きていることが認められるのではない。
わたしたちはみんな、ここにいる、それだけでかがやくいのちなんだ。みんなねっこでつながっている。

“いのち“とは

ヴォーリズ記念病院ホスピスの細井院長が、純子さんを看取ったあとにお話ししてくれた言葉が、いまも心に残っています。
「亡くなる人は最後に”いのち” を渡してくれる」
ひらがなで「いのち」。
それを細井先生は「『愛・誠実・謙遜・忍耐・感謝・祈り』、お互いの中に自然と湧き上がってくる普遍的なもの」と表現されました。

いのちは『愛・誠実・謙遜・忍耐・感謝・祈り』。この言葉を胸に抱いて、隣人と向き合えたら。
そんなことを、土曜日から考えていました。

2段目右端は、能美舎設立のきっかけになった純子さんの本『「がん」と旅する飛び出し坊や』です。制作から5年経って初めて、新刊書店に並びました。「本のがんこ堂」守山店さんです。純子さんが、5周年を自分でお祝いしているみたい。

投げ銭歓迎!「能美舎」の本もよろしくお願いいたします😇 ぜひ「丘峰喫茶店」にも遊びにいらしてください!