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性差について。いつかの学よりー1

性差についてはさまざまな分野でよく問題視して取り上げられる。それは人権であったり、身体能力であったり心理であったり。そのようなさまざまな要因を含み体現できる方法としてファッションはあると私はずっと思ってきた。

どうして女の子は髪を伸ばさなくてはいけないのか、どうしてスカートやワンピースなんてものがあるのか、どうして母が用意する品々はピンクなのか。

別に伸ばしたくもない髪を祖母に「女の子なのだから」といわれ腰にいかないまでも伸ばし、明らかにパンツより種類が多い欲しくもないヒラヒラたちを眺め、水色でシンプルな物が当時好きだった私にあてつけかのようになんでもピンクにきらきらラメの母の趣味。物心ついたころには、女らしさにある種トラウマのような嫌悪感を抱いていた。後から思えばただ身近にあった女性的なセンスの質が悪かっただけだと思えるのだが。いかんせん、そんな中で私は早々にカワイイという表現から脱したかった。別にほかの女の子がカワイイのは全くもって問題ないが、自分はそうでありたくない。なんか違う。ただそれだけで、はじめはそれ以外のことなんてなにも考えていなかった。

時期を同じくして父親がデザイナーとして地元で活躍し始めた、男らしくておしゃれな父はこのころから私の自慢で、憧れであった。とりあえずかっこいい人間になろうと思い父と同じデザイナーになりたいと思った。しかしこれは今に至る理由のひとつだが本当に私のジェンダーとファッションへの興味を引き立てたのは学ランを着た二次元の男装少女である。サブカルチャーが普及しつつある現代でもアニメや、漫画が行動の要因となると馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、よく考えて欲しい。学ランといえば元は軍服であり、現在でも基本、男子学生の制服であるそれを自分と同じ女の子が着て、「僕」と自称するのである。(こんな表現が当時通用するのは二次元だけであったろう)この明快な女性性への対抗に小学4年生の私は完全にヤられてしまったのである。本来ならその詳細を知って欲しいところだが論点がずれるのでここでは割愛する。

そして現在、私の最近のスタイルは「少年ルック」である。一時ミリタリー(もちろんメンズより)を好んで着ていたのだが、低い身長とまん丸な顔では格好がつかないのでやめた。自分の雰囲気に合わせた結果、少年のような中性的なファッションに落ち着き、自分も気に入っている。髪色が明るいと消臭力のミゲル君に似ているといわれる。(子供時代の)

言い回しが悪いが、少し前から性同一性障害という便利な「枠」が社会的に確立された。本来なら私もこのなかに入って社会的な意味での性転換をしたほうが生きやすいだろうし、家族も母方の祖父母を除けば反対する者もいない。けれど、第一「障害」という名称が嫌であるし、ファッションは女性を中心にいまだ動いているのであるから同じトコロにいたほうがいろいろと体感できるし溶け込みやすいように思う。それに、今までファッションにおいてもユニセックスやジェンダーレスについて自身を通して考え、そしてファッションの世界においてもジェンダーが話題となっているのに「予期せず心と体がちぐはぐで生まれてきてしまった」ということで完結させてしまうのはあまりにもったいないと私は考えるのである。

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