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親子 23

(21、22 紛失かもとのことなので23から掲載します。)

同じ所にいるんだから、やり返される。先に言っておくと俺はやられるのはイヤだからやることはあるが、いきなり理由もなく仕掛けることはない。一度やられたらまた同じことをされるから、そうならないためにやるのだ。だがこれは表社会の話で裏社会はまさに別世界でルールが全く違う。これは変わらない一定のことで、表には表のルールがあり、裏には裏のルールがある。同じ場所で起こっている事でも相手は誰かによってルールが変わる。表の話だと思っていたら全然裏の世界の話、俺風に言うと大人の世界もしくは男の世界の話だったなんて良くあると思う。これ多分あんまり気付いている人いないんじゃないかなぁって思うね。だって表の世界の人たちは裏のことなんて知るはずないもん。さらにそこには別のルールがあるなんて知る由もないよねーと言った感じで小学校3年生の夏休みにはA君は自分が住む世界が決まったのだった。いや決めたのだ。歳なんて関係ない、がしかし生まれながらの物ではない。全てが母親の責任とは言えない。最初から子供を育てるとは幸せいっぱいな雰囲気だが、単純に一人の人間形成をするってわけであって、一歩間違うとどうなるのか分からないのだ。そこまでしっかり考え子を授かった夫婦が果たしてこの世にどれくらいいるのだろうか・・・そしてそんなことを分かっていながら完璧な親でいるのはなかなか大変なモンだろう。


親子 24

子は親の背中をもて育つと言うと前にも言ったが、A君が見た母親の背中は悶々とした欲望の掃き溜めの様なモンだった。それが子にどういう影響を及ぼすかはこがどういう人間にになり、どういった人生を歩んでいくのかという現実でしか見ることが出来ない。

A君の母親がA君の弟に言っていたらしい。

「あの子には悪魔が取り憑いている」

A君の弟もA君と同じように虐待を受けていたかは聞いたことがないから分からないけど、弟も母親と似たようなことを言っていた。正直会いたくないし関わりたくもないと笑 判断がうずかしい上に「原因」「過程」「結果」と言うのが、環境、感情、経験、の足し算引き算、喜怒哀楽の方程式を経てその人間が形成されていくのが人類が地球を支配し出してから今も永遠と続いている。他の動物とは別の形で種の存続をかけて繁殖をしている。そろそろ気付かないとなーなんて俺自身も思っている。普通、群れを作る上で能力の低いモノ、和を乱すモノは取り残されるか排除される。ナゼなら生き残る為、デメリット的な要素は最初から無い方が良いから。でも人間だけベツなのさ〜。

表ってもんは人間様の世界だけのモンなんですよ。裏っていうのは弱肉強食、野生の世界。聖書にも書いてある。獣達が群れをなしそこら中にいる世界。まさに現代社会。いや、いつの時代も同じってことだね。だからこそより良い人間形成をしたいものだ。


親子 25

そろそろA君の話に戻ろう。待ちに待った日、授業参観での母親の逆襲劇で俺の人生は決まったと言ったモノの、野性の感性を手に入れた。狩りは毎日です。そりゃモチロン。笑 でも人間だから当然感情が生まれてしまうワケで、寂しさや虚無感に襲われるし、不安や恐怖も拭えない。その辺も理解した上でA君は今も生活している気がする。受け入れる的な・・・

小学校低学年の時期に花を開いたA君の人生はここから一気に加速していき、現在まで開花を続けている。児童相談所、教護院、少年院、少年刑務所、そして刑務所・・・娑婆と中の行き来を繰り返し今も尚同じ様に生き続けている。というかこういう生き方しか出来ない。何故だろうか?

ハッキリした答えはないのかもしれない。だがしかし何気ない一言、気にもせずとった親の行動が深く影響してここまでの人間になってしまった可能性が否めない。自分が取った行動や発言を他人のせいにすることはあまり出来ない。でもその行動原理とやらはどうやって生まれてたのか考えると、その人間の根底にあるものを作り出した責任の様なものは考えなくてはならない。そういったもの、自分の行動・発言が他人にどういう影響を与えているのかというのは親ではなく誰しもが考えなくてはならないのも一理ある。


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