将棋との出会いから、初心者に向けてのアドバイス。

子どもの頃から今まで、暇があれば指して、観て、自分の中では切り離せない「将棋」について、書いていくことにした。

たくさん書きたいことがありすぎる故に、いざ何も無いところからはじめるとなると、何から書いていいのかよくわからない。

ブログやSNSを始めるときの悪い癖で、特に見られることを意識して、あれこれ考えているうちに、結局何も書けないまま何日も過ぎていくという、三日坊主の日記状態になってしまういつものあれである。

まあいつものことなのだが、今回書くことについては実験的な意味合いも含め、あまり順番は考えず、頭の中にある将棋についてのことをただ吐き出すという取り組み方で進めたい。

量が質に転化するまでには、とても量が少なすぎるわけで、ただただ書き尽くしていくつもりです。将棋ならネタ切れになることはまずないかなと思っているので、自分の最も好きな将棋を通じて、このnoteや、ライティングの成長をしていければとも思っている。

前置きが長くなったが、自分と将棋との出会いから書いてみることにする。現在アラフィフであり、いわゆる羽生世代より少し下に属することになる。木村王位や行方九段、三浦九段、今泉四段などが同学年となる(肩書きは投稿時現在)。初めに将棋に触れたのはうろ覚えだが、小学3年生頃に、親父が買ってきた盤と駒で、親父と兄と自分で指し始めたようだ。当時の自分は何かにつけて勝ちたい、自分が一番にならないと気が済まなかったので、ちょっと形勢が不利になったり、と金が作られたりして負けそうになるとすぐに駒をグチャグチャにして泣いてしまい、とても将棋を楽しんで指す様な状態ではなく、当然上達もしなかった。

そんな中、何気なく見ていたNHK杯テレビ将棋トーナメントを見て、面白く感じるようになった。
具体的に何月何日かはよく覚えていないが、55年組の塚田スペシャルや、南王将の地蔵流、中村王将の不思議流などの言葉を覚えているので、1983年頃からだったのではないか。小学校高学年になる頃だった。自分に関係なく出演者の勝敗が決まるのが面白く、どっちが勝とうが泣く必要はなかった。
中盤に駒がぶつかって次第に形勢が傾き、最後は即詰みに打ち取ったりする様が楽しかったのではないか。日曜は親父と一緒になって盤駒を並べて、プロ棋士の指し手を見て、あーでもないこーでもないと適当にしゃべっていたのだと思う。その後やっぱり指してみるかと親父に誘われ、今度は不利になったとしても、「負けても泣かない。」と自分で言ったことを覚えている。結局負けてばかりだったが、言葉通り泣かずに指せるようになったのである。負けても将棋は楽しいと思い、その魅力にどんどんのめり込んでいった。

「将棋は本当に楽しいです。昨日負けた私が言うのですから、間違いないと思います。」

有名な豊島名人の言葉を大人になってから聞いたが、まさにその通りだと思う。将棋は負けると、自分が全否定された気持ちになることもあるが、それでもまた盤に向かって指し続けたいと思うほど魅力的なものではないか。
 ただ、初心者の人にその魅力を感じてもらおうとしても、なかなか難しいところがあると感じる。自分はいまだに子どもの頃のように、負けるととてつもなく打ちのめされてしまうことがある。その感情をどうコントロールして将棋を続けていくようになってもらえるか。将棋にのめり込むための1つのハードルではないかと思っている。
 方法としての1つは、自分が経験したように、自分の感情の入り込まないところで将棋を楽しむということであろうか。ただ見ているだけだと、指し手の意味は全く分からないだろうから、きっとつまらないと思う。だが、将棋界には魅力的な人がいたり、初心者向けに面白く分かりやすく解説をする棋士の方がいる。先述の木村王位など、自分は大ファンである。そういった方の解説会をネット中継で見ていると、聞き手の方とのやりとりが立派なトーク番組や掛合い漫才みたいでちゃんとコンテンツとして成り立っている。将棋を介してこんなに面白いことがあるのか、あのイケメン棋士が実はお茶目な部分があったり、かわいい仕草を見せることがあるといった、いろんなうんちくも知ることが出来たりして、将棋を指す人たちは面白い人ばかりなのだなと自分の中で推しメン棋士を作ることが出来たりする。そうするとだんだん将棋中継を見るのが楽しくなってきて、将棋自体にも興味を持ち始めるようになってくると思う。
 そしてもう1つの方法が、勝負がつくととても悔しく感じてしまう将棋にとって逆説的だが、初めの頃は将棋の対局での勝ち負けとは、案外大したものではないという意識を持つ事だと思う。どういうことかというと、将棋もただ単に勝ち負けを決める手段の一つでしかないと割り切ることである。初めの頃はお互いが1手1手指していって、勝負が決まるまでが100手前後となり意外と長い。その中で戦法の選択、玉の囲いや中盤の駆け引き、詰むや詰まざるやの終盤など、考えることが多い。そして1手の価値が高く、1つ間違えるとあっという間に逆転してしまうことが多い。
 だから初心者の頃は負けたくない気持ちが強くなってしまう反面、まず勝てることはない。勝つ事にこだわってしまうと幼い頃の自分のように、将棋の楽しさを知る前に苦痛を感じてしまうため、1手指すことも躊躇してしまい、いつまで経っても将棋を指すことができなくなってしまうであろう。


「スポーツやどんな趣味でも、自分の実力に自信のある人は、初心者のことを決して笑わない。」先崎学

サッカーや卓球など、まずは勝ち負けに関係なくただボールを蹴ったり、ラケットで打ち返す事が楽しくて、それを繰り返してそのスポーツそのものを好きになっていく。将棋も同じで、勝ち負け関係なく駒を動かしたり、駒を動かす事自体が楽しくなっていけば、将棋そのものを好きになってくれると思う。そのために指導者は笑ったり、馬鹿にしたりせず、褒めて、一緒に楽しんでとてもいい時間を過ごせた事を共有すべきだし、自分もそのようにありたい。

「勝ち負けにはもちろんこだわるんですが
 大切なのは過程です。結果だけならジャンケンでいい。」羽生善治

その通りであるけれども、羽生さんの考えはプロのためのそれであり、初心者に勝ち負けにこだわらせるのであれば、自分は喜んで負けて相手に勝つことの喜びを伝えたい。初心者に悟られないようにというのは難しい面もあるけれど、将棋って楽しいんだってことを常に伝え続けていきたいと思っているのである。

長くなったのでこの辺にするが、具体的に初心者が将棋に触れる方法、順番、そのための書籍、情報のリンクなどをこれから紹介していきたいと思う。初心者、初学者のレベルもいろいろだが、その辺も相手のレベルに合わせた内容を示していく。今後もお付き合いいただけたら幸いである。

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