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「神田松麻呂独演会3」円頓寺レピリエ


名古屋で松麻呂さんの独演会が始まってようやく3回目。
嬉しいことに今の所皆勤賞で聴きに行けている。
名古屋では半年に一回くらいのペースですが、もっと聞きたい講談師。

松麻呂さんは他の講談会ではなかなか聴けないネタも持っていらっしゃるのでいつも何が聴けるのか新鮮にワクワクできる会です。

特にトリの話がいつも面白く
一回目は「壺坂霊験記」
二回目は「男の花道」
そして今回三回目は「佐倉義民伝 甚兵衛渡し」

私はまだまだ知らない演目が多く
この佐倉義民伝も初めての聴く演目でした。

江戸時代の四代将軍家綱公の頃
下総国佐倉藩(現在の千葉県佐倉市周辺)の名主、木内惣五郎は悪政による重税を強いられた民の苦しみを直訴する決意をした。
老中への駕籠訴を行うもお咎めはないが直訴を受け入れてももらえなかった。
かくなる上は、将軍直々への直訴しかないと
将軍が上野の寛永寺へ参詣する機会にかける
直訴は重罪、仮に願いが聞き届けられても磔の刑に処され、死罪になることは確実
惣五郎は妻子に覚悟と別れを告げにいく
しかし川の渡し場へ船を出してもらいに行くと役人の命令によって船は鎖をかけられ封じられてしまっている
困り果てた惣五郎、そこに渡し守の甚兵衛は民のために命をかける惣五郎のため、村のため、命令を破って斧で鎖を断ち切るのだった
甚兵衛のおかげで妻子と別れを告げることができた惣五郎
帰り道、また川の渡し場へ急ぐが人に見つかり惣五郎は捕まってしまう
もうこれまでかと諦めかけたその時に、渡し守の甚兵衛が背後からやってきて……。

歌舞伎、浪曲などでも演じられる作品で、
本来であれば「妻子の別れ」と「甚兵衛渡し」と二つの演目に分かれているらしいのですが
松麻呂さんは両方を合わせて一つのお話でされているそうです。
でも作中に出てくる惣五郎が妻子を見つめる眼と惣五郎を見送る甚兵衛を見つめる眼とが重なるように対比になっていて、この一連の流れは一つの講談として聴きたい、聴けて良かったと思うものでした。

死にに行くと分かっていても義を通すために別れを告げる姿が
赤穂義士伝の別れに通じるものがあり胸が熱くなりました。
また、この惣五郎は民のために自分が死ぬことを覚悟してそれでも誰かがやらなければならないと奮闘する姿が現代の我々にも身を振りかえさせられますね。

調べてみると
子供のトラウマ国語の教材として有名な「ベロ出しチョンマ」が惣五郎の伝承を元にした創作であると知り驚きました。
いろいろな文化や作品って繋がっているなぁと思う日々です。

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