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【Live report】 syrup16g @fujirock 2024 white stage

2024年7月27日土曜日、当日。

俺のイザナミ

俺は快活club王子店で女神アルテミスとの創世にいそしんでいた。
勿論ゲーム「真・女神転生V Vengeance」の話だ。
世界は、俺の思い通りにならなかった。
だから、せっかく無茶苦茶になった東京が舞台なのだから、俺の世界に作り直すのだ。
ある程度やって強めのボスを何回か全滅して倒して、
2時ごろに寝て7時ごろに起きた。フジロックフェスティバルの二日目にいくためだ。始発に乗るべきかと思たが、
まあいいだろうと思った。
見なければいけないライブは12:30に、ホワイトステージで始まる。
たにがわ403号で向かうとき、
隣に乗り合わせた60歳の男性が、クラフトワークをみるのではじめてフジに行くという。
そこでいろんなことを話した。
その男性の、くるりくらいまで日本の音楽を追っていた音楽遍歴、
P-MODELにハルメンズにDEVO…。そのことをツイートしたらわずかなバズを生み、今でも通知がくる。

今年のフジロックの二日目に、日帰りで来た理由はほぼ二つ。


知り合いのTREKKIE TRAXのフジロック凱旋を見届ける。

そして、syrup16gという日本のバンドを見るためだ。



多分5回目くらい

慣れ親しんだ越後湯沢にいく足に迷いはなかった。
リストバンド交換で若干待ち時間があり疲弊した程度。
頭の中で何度も、syrup16gの出番とほぼ被っている、day dreamingのTREKKIEの優先度を考え直していた。
齢50歳、老いさらばえたバンドの、間違いなく最盛期ではないライブを見るより、ずっとその背中を見てきた東京のDJチームのフジロック凱旋を見るほうがいいに決まってる。
演奏の出来に堪忍袋の緒が切れたらすぐ向かってしまえばいい。
何度も何度もそう自分に言いきかせていた。

すでにホワイトステージに到着。人がまだまばらな中でサウンドチェックにドラムの中畑大樹、ベースのキタダマキが現れる。
すでに出待ちレベルで待機していたファンたちは歓喜する。
キタダマキはすっかり白髪が目立ち、あのチバユウスケに少し似てきているかもしれない。
2021年のThe Birthdayを目撃できていた自分は幸せだった。
出番まであと30分程度、ぞろぞろと、あのシロップのバンドTを着たファンたちがつめかける、あの、だっせえ漢字Tシャツ。
俺は一枚も買ったことがない。それくらいのプライドはある。
唯一「昇華」というシャツだけは欲しかった気がするが、遠い昔の話だ。
もうあっという間にある程度までスペースは埋まり、中には仲良くシロップの「不治」Tシャツを着て「いえーい」と写真を撮るものもいた。
そのテンションでお前ら、このバンドを見るのか? マジで? 
この、この世の、この島の惨状を明確に刻み、
そこに住む俺たちの心の醜さと内面の地獄を描き切ったバンドを? 
考えられない。一刻も早くずとまよなんかを見ていてくれ。
俺の視界から消えてくれ。
やっと、だだっぴろい場所の中、席のことも気にせず、このバンドを見ることができるのに。
余裕をぶっこいて、左端のフェンスに身を預けながら、
「まったく、まだなんか言ってやがるよ」って気持ちであの男の声を聴けるチャンスなのに。
中畑大樹、最高のナイスガイのドラマーが帰る前に「誕生日おめでとう!」とヤジを飛ばした。多分聞こえてはいないだろう。

ここ最近は、始まる前に各ステージのスタッフMCが挨拶や注意事項を語るらしく、ここでもこのバンドに似つかわしくないネアカな空気が立ちこめる。



そのMCも終わり、ついに現れたあの男は、ダブルピースだった。



もう一度言う、ダブルピースだった。
なんなら指ちょっと曲げていた。もうそれだけでピキる。
五十嵐隆。
「SWIMS」というバンドのギターだったこの男が、そのバンドvocalが消えたことでしょうがなくマイクを握り、
息つけのミスタードーナツのシロップの含有数を見て改名されたバンド。
すべての忌むべき元凶。
拍手でも浴びていい気になっているんだろうか。顔は中年特有のむくみを帯び、ちいかわみたいなおっさんというか、
「ちいかわみたいな小動物がねえ、好きなんですよ」とインタビューに応じそうなペットショップのおっさん店員みたいな顔。
嫌な予感しかしなかった。


ギターのイントロから始まる。まるでおとぎ話の始まりのような旋律が。
はじめてのメジャーシングルとして切られた、その曲。

不覚にも、俺は虚を突かれた。戦争で死んだムカデの歌。

どこかのレビュアーが「遠い国の戦争をTVで見ながら、愛してる人のセックスにいそしんでいる」ような曲だと評した、この曲。
だが、その戦争は現前としてあり、今も死につつある人が、具体的な言葉で皆が語れるほど存在している。
戦争反対と、この歌は一言も言わない。戦争の中の風景が活写され、
「Sun will shine 進め三輪車」という、
今のラッパーが吐くことも出来ない強烈な韻を踏んで見せる。
組んでいた腕に力が入る。
俺のバンドが、目の前で歌っている。
中畑のドラムがライブ仕様で手数多く踏んでいく。
俺のバンドが、目の前で演奏している。
俺はそれを、11年ぶりに聞いている。

何度でも言う。syrup16gほど社会的なバンドはいないと。今のあまねくおためごかしの社会批判、その中に自己満足と承認欲求を求めるつまらねえ言説から100000光年遠い場所。
そこで五十嵐隆のリリックが鳴っている。

「声が聞こえたら 神の声さ」という「coup d'état」の宣言から、
「空をなくす(ソラナックス)」。
もう明らかに未来が見える。今日のセットはベストセットでくる。
おそらく人生で最後のフジロックを自分たちのベストのトラックで、こいつらは謳歌する。そんな作戦だ。

なんかこの曲が流れた時の心中を自分はもう覚えていない。アルバム「coup d'état」を出し、自分の愛を切り売りして、商売をしていこうと、ヤケクソになってつっこんでいったこのアルバムのハイライトともいえる曲。俺が浪人中に奈落の底に突き落とされた、真っ白い悪魔のアルバム。ただ、サビのこのリリックで何かに火がついてしまった自分がいた。

「今は飛べるよ まだ飛べるよ どこまで?」

笑う。俺はもう泣きながら笑っている。
もうどこもいけるかよ。
世界は俺の思い通りにならなかった。俺は世界を変えられなかった。
これから俺は大切な人の死におびえ、崩れゆく体から出れず、シミと化して死ぬだけなんだ。なにもかもが死ぬまでの暇つぶしなんだ。
ボロボロのお前と同じだ。ただただ好きな友人と一緒に演奏することしかできない、自分のゆりかごから出れないお前が、飛べるだと?死ね、嘘もたいがいしろ。
お前だって俺らを裏切り続けてきただろうが。
「今は飛べるよ」飛べない。もう飛べない。「まだ飛べるよ」無理なんだ。引退しろ。何もするな。適当にDM送って年食ったファンでも喰ってろ。
「どこまで?」俺に聞くな。30には何もかも辞めようと思っていた。俺だってそうしようと思ったんだ。なんだってやれる。どこまでだっていけると思ってたんだ。
既に頭が完全に狂い始めていることに気づく。さっき買った「hell see」のタオルで顔を覆っている。
「今は飛べるよ」飛べない、飛べるはずがない。「まだ飛べるよ」もう飛べない。「どこまで?」どこまで?「あの空を なくすまで」そうだ。この空すべてを破壊するんだ。全員に苦痛の顔を滲ませてやるんだ! 全部滅ぼすんだ! ぜ  ん ぶ !!!
俺を馬鹿にするやつら、俺を虚仮にしくさるやつら、馬鹿ども全員。全員を火に投げ入れるまで飛び続けるんだ! 創世だ!!!!!!わかりきったこの青空を、この空をなくすまでだ!!!!ぎゃりぎゃりぎゃり!!!ギターのかきむしりがぎゃりぎゃりぎゃりぎゃりぎゃりと響く。



二曲目が終わった。

狂う。

このままこのバンドを聞き続けたら狂って死ぬ。
約束を守れなかった俺は、若いころの自分に殺される。



しかし非常にも振り下ろされた「生活」。
この五十嵐隆が「完璧な曲」だと豪語し中畑大樹に聞かせた曲。

落ち着こうと決めた。もうこの曲は染みついている。
俺の脳に。俺の皮膚に。取り込まれている。
みろ、あの男のギターソロを。ほぼほぼ完ぺきには弾けていない。
聞いたことがある、加齢とともに手首は固まるのだと。カッティングも自在にできなくなるのだ。
ほら、もう終わった。そのあとにギターを高らかに弾いて、「遅死10.10」の時のように「翌日」をやりだすこともない。もうあのフロントマンはボロボロだ。耐久力:曲3曲分。ゴッシゴシ顔を拭いて、次の「神のカルマ」に…だが、これがなんかひどかった。ずっとギター旋律が斜め向こうというか、
気持ちよくない。こっからだんだん演奏が怪しくなってくる。
だが、この時の五十嵐隆は、過去の五十嵐隆に救われていた。
「神のカルマ」という曲のリリックが、いまだにこの社会そのものの輪郭をとらえ続けている。
「サイレンが聞こえてもまだ歌うたってもいいの? 細菌ガスにむせながら歌うたってもいいの?」という歌詞にあらゆる意味が読み取れてしまう。
「最新ビデオの棚の前で 二時間以上も立ち尽くして 何も借りれない」という、もうレンタルショップという業務形態が死語になりつつある今でも、欲しいものを希求できない苦しみ、あいまいで猥雑なこの島でくっきりとした輪郭を持つことができない私たちを表す、日本のスミスといえる歌詞世界。
今でもずっと、mixiである人がこのバンドをレビューするときの言葉を思い出す。かなり長いが、本当に感動したので、引用する。

「俺は狂っちまったけど/俺は狂っちまったけど、
何もかもは捨てきれない/
皆狂っちまったけど/皆狂っちまったけど
何もかも忘れられない、
窓の外にはただの/身元不明の陰が…」
(『途中の行方』)

これほど平易な文章で的確に現代日本を言い当てた
シンガーソングライターをおれは他に知らないし、実際いないと思う。
なんというか、「音楽をおもしろくしようとして、ミュージシャン的観点から世の中に批判的(レフトフィールド)な作品を作る」音楽家はいくらでもいる気がするしそういう方法がトラックメイカーとして音楽家を捉えれば正しいと思うのだが、
「情緒」に訴えるものとして音楽を捉えた場合、仮にそれをやや差別的に「オルタナ的」と呼んだとして、
その「オルタナ的」音楽作法に則って(つまり「心情吐露」として)作ったものが結果見事に「世の中の不安や弱点を言い当てている」、そういうシンガーソングライターこそが真に必要な存在なわけで、
それは無論音楽業界含む世の中全体にとって、だが、

「理想を夢見て来た/いいだろ
途中までいい感じだった
破滅の美学なんかを/利用して/いざとなりゃ
死ぬつもりだった」
(『ニセモノ』)

こうやって個の表現の中でそれを成し遂げる事が、ひいては「人殺しなんかしなくても世の中に訴えることってできるんじゃん」と人々に思わせる、最高の契機になるはずなのだが、
シロップの解散は、そのきっかけを世の中が認めなかった、削除したということで、つまり、「表面『通り魔とか無差別殺人なんてする奴は本当に気が狂っている。どうすればこんな世の中を変えられるんだろう?』とか言いながら、その実『自分にだけは災厄は絶対降り掛からない』、世の中全体がそう信じて疑っていない」と、そういう事だ。乱暴な言い方ではあるが。

この国の人間は、オウムのサリンテロの時代から、取り立てて何も学んではいないのだ。シロップ16gの闘いとは、そういう「無学な市民」どもとの闘いでもあったのだ。

mixiでのアルバム「syrup16g」レビュー レビュアーは「アップセッター」氏

世界に対する攻撃的な不満や怒りで溢れていながら、声や言葉や演奏には倦怠感や諦めがこびりついていて、自嘲的なユーモアを付け加えることも忘れない。誰かを思う優しさを歌っても、必ずそれを形にできないという罪悪感が零れ出し、最終的にはすべてが自嘲へと集約されていく。たとえ誠意と純愛の音楽に掻き消されてしまおうが、必要不可欠なバンドだった。

田中宗一郎 snoozer #66 「syrup16g」アルバムレビュー

田中宗一郎が著した言葉を何度も思いだす。

それがsyrup16gだ。今書いていることくらいはあのステージを見ていて、曲を聴いていて瞬間的に去来していていた。当たり前のように。疑っているなら、あんたは俺を舐めている。それだけのことだ。そんなことを考えないと目の前のペットショップ店員のヘロヘロなギターを聞く気になれなかった。


だが次の曲が参った。
うかつだった。この曲のイントロはギターの野郎からではなく、
ベースのあの壮絶な鳴りから始まるのだ。

ほぼ何回も聞いたあの録音通りの見事なベースイントロ。
力強いドラムアタック。振動が桁違いに違う。
次に来る、録音とは見劣りするギターは飾りでいい。
DVD「遅死10.10」でのあの何もかもを飲み込む轟音のギターが来るわけがなかったが、自分はドラムとベースの素晴らしい演奏に果てしなく高揚していた、のに…

五十嵐隆、歌詞を間違い二番目の歌詞を口走ってしまう。

ふざけんな。マジでふざけんな。聞かせてもらってる分際とは言えないレベルのガチギレが俺を襲ってくる。
だが、U2のごときエヴァーグリーンで純潔なギターリフを、
かぐろき現実を模すような大蛇のごときベースサウンドと強烈なドラムが犯していく悦楽のアンサンブルが唯一無二のあの果てへ連れてってくれる。
「人は独り 逃れようもなく」
…「孤独」死なんていうものが普遍だとはるか前に証明し切り、
「クスリをもっとくれよ」
なんていう、なんという、ガキの世迷いでしか聞かないような歌詞すら
成立させる、この音。「Sonic Disorder」。
大好きな、本当に大好きな曲。
あー、最も大好きなあのドラムの四連がくる! ダダダダ!!!!ベース!
うわーーーーーー!!!!!
拳を振り下ろす!!!
ドドドドドドドドドドドドドとロールアップする中畑大樹の最高のドラム! 
また、自分は正気を失いかけそうになった。

アルバム「delaydead」の後半を演出し、そのアルバムでの録音が最高傑作となった、syrup16g史上でも一、二を争う暗さを誇る曲、
「明日を落としても」をたたきつける。くっしゃくしゃのヴォーカリストが、なぜか、何度も歌ったからなのか、しっかり明確にこの暗い曲を一言一句くずさず歌い上げる。
「無理して生きることもない」という絶望を、
「そう言って うまくごまかして」
「そう言って 楽になれること」
「そう言って いつの間にか気づいていた」
と、自らの状態を冷静に活写するのがこの曲が秀でた名曲たる由縁なのだ。
ネガティブの穴を冷静に見ながら、アウトロで「Do you wanna die?」と、
その冷たい目をこちらに突き刺す。俺たちは、死ねやしない俺たちは、
この荒野に、越後湯沢のホワイトステージに、生きさらばえて、裁きを受けることもなく、立っているのだ。

俺は再度冷静さを取り戻し、バンドは「翌日」へとなだれ込む。
「明日」とは気恥ずかしくて言えない「翌日」という言葉。
そんな言葉を探すこと。ずっとずっと自分に言い聞かせた信条でもある。
だいぶ落ち着いてきた俺は、このころにはほぼほぼ声も嗄れ果てている情けないヴォーカリストを黙って見つめているだけだった。
「明日に変わる意味を」、追い続けること。ありきたりの言葉に流れないこと。側に誰もいなくても、喧噪の中の一つに埋没してしまっても。
まあ、こんなヘロヘロのおっさんに言われてもなんにもなんないがな。

そしたら、もうすんごい顔してこのおっさんは、ギターイントロを無理やり敢行し出した。苦笑しながら合わせる、愛すべきドラム。
最初の歌詞を口ずさむ? まで曲がわかりもしなかった。
しかし、これはまさかだった。「宇宙遊泳」。今日唯一、第一期ではなく、再結成後のアルバム「Hurt」からの一曲。だが、これは納得の曲だった。
第二期に対してあまり評価をしていない自分もこの曲は何かの客出し曲につかったほどの、暗さもかけらもない、ファンタジックで、エモーション
しかないギターロックサウンドの美しい旋律。
おそらく、再結成の喜びだけを凝縮したようなほほえましい曲。
そうそう、どうせやるなら楽しんでしまえばいい。
そこらへんのピースをかましていた凡百のようにな。
とはいえ、もうなんもわからんような演奏だったけれども。

そして、最後の、いつもの定番の、あの曲が流れると同時に、俺はホワイトステージを後にする。
もういいよ。
客の呼びかけに、昔のように「うるさい 黙って聞いてろ」というでもなく、「うっす」「ういっしゅ」くらいしか言えないおっさんがフロントマンのバンドなんぞ、最後まで聞いてやるものか。俺は忙しいんだ。

この判断が功を奏して、俺はTREKKIE TRAXのDJの最後の三曲程度は聞けることができた。
俺が来た時に流れてたのがまさかのRage against the machine「killing in the name」だもんね、笑っちまったよ。
だから、今回のsyrup16gの演奏がそこまで完璧ってわけじゃなかったことに大感謝だ。
だが、背中から聞こえる「Reborn」の歌声は、案外しっかりしていた気がするな。なんだよ、やりゃできるんだよ、やれば。



総括としては、
①体力と事前準備なさすぎ
②ドラムとベースに生かされてるフロントマンのおっさん
③ベストライブなら「遅死10.10」を見ろ

につきた。

こんな暗すぎるバンドがフジロックなんていう祭典にホワイトのオープニングとはいえ、アクトを任されるのは素晴らしいし有難いこと。
だがしかしこの後にみたフィリピンのEYEDRESSや、
Girl in Redらの演奏に比べたら遥かに劣る。特にフロントマン。
天候だの気温だのの言い訳ではなく、明らかに練習不足、体力不足だろう。
 純粋な愛を持ってsyrup16gを支えている皆様にとってひどいことを言っているのはわかるがどっかのツイートにあったように「最高」と「大丈夫か」が同時に叫ばれるのがこのバンドの通常運転である。
だから「大丈夫か」側の一番ダーティな意見として聞いてほしい。

そして、自分はこう付け足す。
彼らのベストライブは何かと言われれば、DVD「遅死10.10」に収録された、
アルバム「delayedead」のツアー最終ライブだ。


ライブ収録DVDとして技巧、演出がしっかり作られており、
壮絶な彼らのアンセムが完璧に近い形で表現されている。
今回行われた「生活」「翌日」「Sonic Disorder」、さらに「真空」といった(そういえば「真空」やんなかったな)名曲の最強のフォルムを見たいなら、このDVDを買ってくれれば結構だ。
その再演?が「遅死11.02」として今年また日比谷野外音楽堂で行われるそうですが…

なーーーーーーーにが再演だよ

あんなイントロミスりまくる奴が20年前のスキルを再演できるわけねえだろ。
せめてギタサポ入れろ
般若のように毎日筋トレでもしろ。あるいはSEEDAを見習え。
この前、ラッパーSEEDAのカムバックエピソードがインスタにストーリーで流れてきて、
彼はフックがもう書けなくなりラッパー廃業するか、という時期まであったらしい。
だが周囲の勧めでラップをやることになり、その際の方法として、
リリックの内容を書き、フローを若手のラッパーに考えてもらうというやり方をとった。
自らのスキルの枯渇を正面から認め、それでも進んでいくためのやり方として凄いなと思った。

五十嵐君、あなたもそれくらいしなさいな。

まあジャンル違うんで難しいし、ハンドマイクだけのあなたも求めちゃいないですけどホントに。
そういや一時期、ハンドマイクも試してましたね(「Mouse to Mouth」期ですか)。
そんなあなたも昔はいたんですよ。






ま、別に何も期待していない。

時々意表を突かれることくらいあるだろう。
あんたはこれからも自らの為にバンドをやり、いずれ何かしらに気づきまた辞めていくだろう。
それでいい。俺も、あんたも、あのダアトとなり破壊された東京の道路標識レベルの廃物になるのだ。
それが美しいと誰かが思ってくれれば、それでいいんだもんな。
失礼、あんたは道路標識レベル。
俺はそこらへんの1バイトもない汚い砂粒だ。
不思議だったのは今回で初めてあんたを知った人もいたらしい。
不幸なことだよ。
もしそんな人があんたの音楽に深く落ちた時、待っているのは、「この世界の事実」という、そして「人生」という逃れられぬ災厄の味だ。
今、もう2016年以降、「真実」という言葉なんて使いたくないが、
真実であり続けるあなたの楽曲たちにたどり着いたら、きっと人生の苦痛は想像を絶してくるだろう。
何をしょいこむのだろう。何を残してくれるだろう。
いや、そもそも人生というか人の意志ってのは…やめとこう。
でもきっと、それは塵芥と化しつつある俺やあなたにとって、慰み程度のものでしか、ないだろう。

最後に、「いやーよくわかりますよ マジ老人バンドで~」とかなんとか言って共感してくるカスどもは俺に顔見せすんな、殺すから。
俺と全く同じ顔をしてる史上最悪に醜いカス。

このバンドを好き放題言えるのは、俺だけだ。

syrup16gこそ、俺のバンドだから。

俺が唯一、初めて俺のバンドだと心から言えるバンドだから。

誰もここに来ることはできない。俺は絶対に、ここに立ち入らせない。
あの苦痛を。あの快楽を。あの心の変容を。
誰にも理解させるものか。永遠に。

2024年7月30日 快活club王子店にて

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