見出し画像

不意に視界に入るもの

不意に視界に入ってくるもの。多くあると思う。例えば、インスタのストーリーっていうのは、アイコンを押して初めてコンテンツを覗くことができる。大して仲の良くないアカウントのストーリーなんて何の面白みもないし、酒で酔っている姿なんて見ようものなら単純に不愉快だったりする。

インスタライブでも視界に入ってくるイラっとするものがある。コメント。もっと言えば的を得ていないコメント。ハマ・オカモトがパーソナリティを担当しているラジオ番組THE TRADの収録後に公開されるAFTER THE TRADという番組がある。そこでは視聴者のどこに向かっているわけでもない怒りを捌くハマ君の様子を聴くことができる。いつだったかの回にこの話題が持ち上がった。”今日誕生日なのでおめでとうっていってください”こんな図々しい言葉があろうか。質問者に賛成せざるを得ない。配信者の気を惹きたいって言うならもっと面白いこと言えよ、センスないな。なんてことを思ってしまう。ちなみに質問者はそこでハマ君に誕生日を祝うコメントをねだる文をメールの最後に添えていた。それは好きだ。

広告もそうだ。インスタの広告って、AIが検索履歴等を使ってはじき出してくれている、はず。そうであるならば俺のインスタの広告は楽器、バンド、車であふれるはずだ。しかし実際に目に入ってくるのはちょっとイケメンが”○○さんと飲んできた!”みたいなコメントに大量のハッシュタグをつけたツーショットだったりする。#努力は裏切らない、的な。なんなら高そうなご飯の写真も。これが一番腹が立つ。興味ないし、自分とあまりにも向いている方向の違う人間の娯楽を広告と銘打って見せつけられるのは単純にキツい。単に嫉妬しているのかもしれないとも思うが、そんな虚勢を張った人間のハリボテに焼く嫉妬心など持ち合わせていない。

街を歩いていても広告は目にする。だが知らないイケメンが知らない人とご飯を食べている様子を切り取った広告なんて見ない。車の広告。脱毛の広告。化粧品の広告。イベントの広告。広告って収益を上げるために人の目に触れさせる機会を設けるものではないのか...?対象を見失った広告は見苦しい。目的を見誤った広告はもっと見苦しい。

しかし自分の無知がこの広告に対する苛つきを生み出しているのかもしれない。もしかしたらイケメンたちは端からインスタでの広告を広告としての性質を無視して使うトレンドがあるのかもしれない。あるいは出過ぎた承認欲求から来た行為なのか。まあ、知らんけど、というほかない。書いていてばかばかしくなってきた。

インスタグラム、日常的に使っているが、この記事を書いていて苛ついてることが噴出してきている。いつからか覚えていないが、スマートフォンアプリではいいね!数が投稿者にしか見れない仕様になった。いいね!の数に左右されずに投稿を楽しんでほしい、という理由があるそうだ。それは大変すばらしいことだと思う。しかし、だったらなぜブラウザでは見れてしまう?インスタのユーザー層のほとんどがスマホで閲覧しているから?そんな舐めた態度でユーザーを陥れるならとっととなくなってほしい。他に理由があるならば別だが。

結局単なるインスタへ向けての愚痴をつらつら書き連ねるだけの記事を生み出してしまった。不意に視界に入るもの、というタイトルだったのにまたしてもタイトルと記事が関係ないものになっていしまった。まあせっかくだからインスタの気に入っている点を一つぐらい書こう、と思ったけどあんまりなかった。インスタ自体の持つ特徴や性質には何のこだわりもないんだな、俺。

あと最後に。基本的に自分で撮った写真しか使うつもりはない。サムネイルの写真も自分で撮っていた写真なのだが、不意に視界に入るもの、のタイトルにあった写真で気に入っている。記事に書くことでもないが自分の機嫌は自分でとらねば。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?