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「人が立て、神が選ぶ」使徒言行録1:12~26 日本キリスト教団川之江教会 昇天後主日礼拝メッセージ 2023/5/21

 先週の木曜日、教会の暦では昇天日でした。十字架に架けられて死んだ主イエスが天に昇られたことを憶える日で、イースターの日から四十日目にあたります。平日の記念日なのでなじみが薄いかもしれませんが、キリスト教会にとって大事な節目の日です。毎週の教会暦を表す主日の名称が「昇天後主日」となるのも今日だけです。来週にはペンテコステを迎えるからです。
 ただ「昇天後主日」は平日に迎えた昇天日を主日に憶えて礼拝するためだけに、そう名付けられたのではありません。そうではなくて主イエスが昇天された直後の主日に、キリスト教会にとっての節目となる出来事があったからです。今日はそのことを、皆さんと分かち合いたいと思います。
 
 さてその前に主イエスが昇天されたのは、復活されてから四十日後だったということに注目しておきたいと思います。この<四十日>という期間は、聖書の中で意義深い期間として示されてきました。
 まず思いつくのは、ノアの洪水でしょう。神様が、ご自分が造られた世界をリセットするために降らせた雨は、四十日間降り続いたと言います。言い換えれば洪水を起こした大雨は、降り始めてから四十日後に止んだということです。この日を境に、洪水の水は少しずつ引き始めます。そして漂流していた箱舟は、やがてアララト山の上に止まったのでした。だからといってノアたちは、すぐに舟から降りることはできません。そのままじっと水が引くのを待ってから、四十日後に行動を起こします。つまり箱舟が地の上に着いてから四十日後に、ノアは初めて箱舟の窓を開いて鳩を放って見たのでした。この日人類は、新しい世界への第一歩を踏み出したと言えるでしょう。
 またもう一つモーセがシナイ山で神様から十戒を授かったとき、モーセが山の中に留まっていたのも四十日間でした。つまり民から離れて四十日後、モーセは十戒が書かれた板を携えて山を下りて来たのでした。そしてこの日から、神様と人間の契約に基づく関係が始まったのです。もちろんこの契約に基づく関係は、今もなお続いています。というのも私たちの旧約聖書・新約聖書は、文字通り契約の書だからです。神様と私たちとの関係の基本は、ここから始まったと言えるでしょう。
 新約と言えば主イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けた後、荒れ野でサタンの誘惑を受けられたのも四十日間でした。そして洗礼から四十日後、主イエスは故郷のガリラヤに戻って神の国の宣教を始められたのでした。つまりこの日を境に世界は新約の時代に入った、主イエスの福音の世界がここから始まったと言えるでしょう。
 つまり聖書において「四十日間」は単なる時間の経過ではなくて、その前と後では世界が全く変わるための期間と言えます。そして世界はある日を境にガラッと変わるのではなく、いわば充電の期間が必要だということを示しているのでしょう。直前まで前と同じことをしているのはなく、その直後から新たなことを始めるのでもなく、いわば何もしない期間です。雨が止むのをじっと待ち水が引くのをじっと待つ、神様の言葉をじっと聴き、試練にじっと耐える。何もしないと言っても空しく時を過ごすのではなく、新しい世界を歩みだすための準備をするときと言ってもいいだろうと思います。もっともモーセの帰りをシナイ山のふもとで待っていたイスラエルの民は、準備のときを過ごしきれずに金の子牛を造るという勇み足を踏んでしまいました。そういう失敗もまた、先を急がず準備のときをしっかりと過ごすことの大切さを教えているのかもしれません。
 
 さて弟子たちが復活の主イエスと過ごした四十日間も、そういう期間だったのだと思います。主イエス亡き後、その遺志を継いですぐさま行動に出るのではなく、逆に失望して主イエスに出会う前の自分に戻るのでもなく、悲しみ嘆きながらも主イエスを思い、主イエスが生前に話されていたこと、教えられたこと、してこられたこと、約束して下さったこと等々いろんなことを思い返していたのでしょう。そしてそんな主イエスに対して自分たちは何を思い、何をして、何ができず、何を理解してこなかったのかを深く反芻していたのでしょう。そんな四十日間を過ごして、弟子たちは主イエスから離れる準備ができたのだと思います。離れると言っても別れを告げるのではなく、子どもが親離れをするように独り立ちしていく決意が固まったのだと思います。そして弟子たちは、主イエスを天へと見送ったのでした。
 その直後の主日に、使徒たちはエルサレムで常宿にしていた家の二階に集まりました。<ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダ>、つまりイスカリオテのユダ以外の十一人と、イエスの母マリアを始めガリラヤからずっと一緒だった女性たち、イエスの兄弟たちとが集まって、<心を合わせて・・祈っ>たのです。
 そしてペトロは、主イエスに従ってきた人たちを呼び集めます。ガリラヤから一緒に来た人たち、旅の途中で合流した人たち、エルサレムで主イエスと出会った人たちの中で、主イエスが処刑された後も主イエスの福音を信じ続ける人たちが<百二十人ほど>集まってきました。ペトロは彼らの中に立って、話し始めるのです。
 ペトロが最初に話したのは、イスカリオテのユダについてでした。特にユダが死んだ様子を、事細かく話しています。事件が起こってから四十日余り、いろんな噂が広まっていたのだろうと思います。本当のこととデマが入り乱れて、皆が疑心暗鬼になっていたのかもしれません。ですからここで公式発表をして、皆を落ち着かせようとしたのかもしれません。主イエスが捕らえられた時その手引きをしたこと、不正を働いて報酬を得たこと、その報酬で買った土地に落ちて悲惨な姿で死んだこと。その様子をここで繰り返すのも憚れるほど臨場感たっぷりに報告しているのですが、なぜそこまで話す必要があったのでしょうか。
 それはユダの一件が、克服しなければならない過去だったからでしょう。不都合な過去に蓋をして、新しく歩みだすことはできないからです。ただペトロは、ユダを裏切り者呼ばわりしていません。彼一人を悪者にしようとはしないで、むしろ<同じ任務を割り当てられた><わたしたちの仲間の一人>だと言っています。それは心の中に「主イエスを知らないと言って逃げて生き残ったわたしたちも同罪だ」という思いがあったからかもしれません。おそらくそれも含めて弟子たちは過去と向き合い、過去を克服して新しく歩みだそうとしているのだろうと思います。ですからユダの死について聖書を引用するのは、ユダを断罪しているのではないと思います。「ユダは裏切り者だから悲惨な死に方をし、自分たちは栄誉を与えられた使徒として歩みだす」というのではなく、「死ぬか生き続けるか道は分かれてしまったけれど、同罪である自分たちのこれからの歩みも同じく神様から割り当てられた任務だ」と捉えているのではないでしょうか。つまりペトロはユダを忘却の彼方に追いやってしまうのではなく、悲惨な死を遂げざるを得なかったユダと共にこれからも歩んで行こうとしているのではないでしょうか。
 その上でペトロは、ユダの後任を決めようとします。それはけっして空席になった一つのポストを埋めるためではなく、<自分の行くべきところに行くために離れてしまった>ユダの<使徒としての・・任務を継がせるため>なのです。使徒の任務を継ぐとは<主の復活の証人になる>ことです。そのためにペトロは<主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼(バプテスマ)のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者>であることを条件としています。さすがにヨハネから洗礼を受けたときはペトロさえまだ出会ってもいませんから、これは言葉の綾だと思いますが、この条件にはどんな意味があるのでしょうか。権威付けでしょうか。たしかにこういう条件を満たす人は限られています。年月が経つほど減ることはあっても増えることはありませんから、権威化していくのも世の常でしょう。でもペトロにその意図はなかったと思います。ペトロは自分自身取るに足らない人間であることを知っていましたから、使徒であることに権威はおろか、リーダーシップとか、正しさとか、清廉潔白さを求めることはしていません。ペトロが求めたのは、生の証言を自分の言葉で語れる生き証人でした。証言には正しいとか間違いとかはありません。もちろん嘘は論外ですが、証言は人それぞれです。主イエスとどう出会ったか、何が起こったか、そこで何を見聞きし何を思い感じたか、その体験は人それぞれだからです。生き証人ということでは現代ではもう望むべくもありませんけれども、信仰体験という意味では私たちも同じことを求められていると思います。神学や教義に照らした正しさではなく、自分の信仰体験を自分の言葉で語ることが求められているのではないでしょうか。
 ペトロが求めた条件に合う候補者が、120人の中から立てられます。バルサバとマティアの二人が候補者として立てられ、選挙ではなく<くじ>でマティアが選ばれました。くじは、神様の意図を問うためです。相応しい候補者を人が立て、神様の選びによって新しい態勢が整えられました。先ほどのユダの一件が過去を克服するプロセスなら、このマティアの選びは未来を整えるプロセスです。四十日間の準備の時を経て、過去を克服し未来への態勢を整えて、主イエスの弟子たちは新しい歩みへと踏み出していくのです。

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