くそが

没落しつつも、未だ日本一の大都会東京に引っ越してから6年ほど過ぎた。駅前での大喧嘩や肩ドンの当たり屋は見たことがないけど、宗教の勧誘を受けたり外国人が少額の詐欺にあったりはする。それくらいの年月だった。

バイト先から家に帰る夜。駅の階段を降りていた。普段から慣れている道だったから、イヤホンでラジオを聴きながら、スマホいじりながら降りていた。歩きスマホという認識もしていなかった。

後ろから、「くそが」という声と共に、男が私を追い抜いて行った。ノイズキャンセリングイヤホンを貫通するあまりにも明瞭な「くそが」だったから、電話かな?と思い男の耳を見た。何もつけていない。周りには人も少ない。多分私に言ったのだ。

歩きスマホにイライラした男は、前の車にクラクションを鳴らして追い抜く軽自動車のように、私に「くそが」と言い歩く速度を上げたのだろう。

見ず知らずの大人が、見ず知らずの人間に「くそが」と言い放つ。歩きスマホが悪い。その通り。

「くそが」
この言葉は、知り合いには使わない。見ず知らずの他人にこそ使えるのだ。
後腐れなく、一瞬で。悪い相手に怒っている。私は被害者だ。くそが。加害者に罰を。

大人になるとは、「くそが」を失くしていくことなのか。くそな相手にくそといえる優しい世界、彼に危険はやってこない。正義を手にした彼は、正義を纏い、怒りの鉛玉を相手に打ち込む。打ち放てばあとは終わりだ。気づかれぬように去る。

東京は決して冷たくはない。ただ圧倒的に速い。速くて狭い。速くて狭い中で、みんなで空気を読み合いながらやりくりしている。異分子が入る余地はない。もちろん白人は別だが。

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