易についてII (もっとも正しく天意を解釈できた者、太公望呂尚のこと)
古代中国、商王朝の末期、革命を期する周において、戦の吉凶が占われた。神官が伝えたその結果は、凶であった。
暴風雨の日であったという。不吉さはいや増すばかりである。神官は武王に進言した。いまは打って出るべきときではないと。
しかし、軍師の太公望呂尚はそれを容れなかった。いま決戦すれば勝てるのだと。
ところで、「占」という字の原義について、白川静は次のように解き明かした。
前にも書いたが、卦(か)を出すのは容易でも、その解釈がむつかしい。国運を左右する大戦に臨んでは、占う神官も命懸けであっただろう。
現代に伝わる易占では、卦を出したそのときの周囲の状況をも含めて解釈する。にわかに崩れた空を見て、神官は誰よりも不吉の気を感じたことだろう。
占卜の専門家であったとしても、ただでさえむつかしい卦の解釈である。仮にでもあやまれば、ただでは済まない。下手をすれば、国をも滅ぼしかねない緊迫した場面で、神官は命懸けの判断を迫られた。しかも天候は突然の暴風雨ときた。大事をとって、消極的な判断にかたむくことも、人情としてやむを得ないことであったろう。
実はこのとき、敵国・商王朝の内部は、壊滅的な混乱状態にあった。商の受王は、その重臣であった比干を殺し、賢臣として名高い箕子を囚えるなど、国体としてきわめて脆弱な状態に陥っていた。
そして呂尚は、諜報によって、このことを正確につかんでいたらしい。呂尚の放った間諜がもたらした情報であったろう。超のつく機密事項である。このようなトップシークレットの情報を、気の毒な神官は知らされていなかったにちがいない。
いわば、このとき、占卜を通じて伝えられた天意を、もっとも正確に解釈できたのは、自身の諜報網を用いて正確な情報を手に入れていた呂尚であった。
彼は、神官の消極的な解釈と進言に対して、「枯れた骨、死んだ草が、何をもって凶と知り得るか!」と激しく拒絶した。
多くの人々を率いる者にとって占卜とは、天意を問うこと以上に、人心の収斂、統率のために用いる手段のひとつでもある。
こうして太公望呂尚は、武王を補佐し、軍勢を率いて商に当たり、これを破り、商周革命を成した。正確な情報によって、自ら時を得て、勝つべくして勝った。
現代においても示唆に富む故事ではないかと思う。
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