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人喰らう神々のこと V

ドン ミゲル ルイスは、その著書「恐怖を超えて」のなかで、こう書いた。

テオティワカン建設のはるか前、神々は人間が天に達することができるのではないかと恐れていた。(恐怖を超えて p.4)

人格神であると仮定して、考えてみる。神が人間の何を恐れるのか?人間が天に達するとはなにを意味するのか?

ユダヤ古代誌には、なぜ当時の人々が巨大な塔(バベルの塔)を建造したか、その動機が記されている。それは神への復讐であった。

彼(ニムロデ)はまた、もし神が再び地を洪水でおおうつもりなら、そのときには神に復讐してやると言った。水が達しないような高い塔を建てて、父祖たちの滅亡の復讐をするというのである。(ユダヤ古代誌 I)

神への復讐を遂げることのできる塔とは、物理的な塔ではありえない。神が、洪水によって人間を大量虐殺しようとしても、それを不可能とするような手段、神による洪水イベント発動を阻止するようなプログラムが組み込まれたシステムを、「塔」と表現したのではないだろうか。

「天に達する」とは、神の所有する地球環境管理システムへのハッキングであり、「水が達しないような塔」とは、神による破壊工作の影響を受けないような防御策(ファイアウォールのような)を備えたシステムであったことを示唆しているのではないか。

神にしてみれば、不遜のひとことであったろう。被創造物に(しかも食用作物に)、神の管理システムに干渉されるなど、許せたものではない。そのような身のほど知らずの、ハッカー気どりの食用作物どもには、今後、このようなことを試みることもできぬよう、目にもの見せてやらねばならぬ。そんな心境だったのではなかったか。


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