見出し画像

即物詩集

スポンジたわし
おれはやつらのよごれを落とすが、おれじしんはきれいになったのか、さらによごれたのか?

青菜
しおをふられると、体液をだしてしゅんとする。そのせつない気持ちがわかるだろうか?

ごぼう
わたしをうまいと言うひとを、わたしは信じるよ。こころから。

うみ
世界を潤し、洗い、襲っている。もうずうっとだ。飽きないか? そんなわけない。いまもそこで犬があわてて砂浜に逃げる姿が見えるのに。

ねこ
ほそい足にほそい尻尾が自慢。屋根から落ちてもスペシャルA難度でクルッ、ピシャッと決めるさ。言海先生が言うがごとく。

ねこ2
暑くなると、夜に公園に行き、砂の上に背中を下にして寝る。涼しい。空中に突き出した脚を横に倒し、またすぐ元に戻す。涼しい。2、3度やって、全体がさらに涼しい叢に場所を移すのだ。これを遠くでじっと見ている男がいる。

うどん
べつにそばに対抗心はないよ。そりゃあやつらにくらべ風味には欠けるけどさ。ちょっと白すぎる? 

ラーメン
(映画のラストショーがはねたあと、必ず母親と寄る中華屋があった。そこでおふくろと食べた支那そばを超えるものに出合わない。それはなぜなのかをもうずっと考え続けている。外にはいつも雪が降りしきっていた。それはなぜなのか)

にわとり
(山に住む親戚を訪ね、五右衛門風呂に浸かった。さっきまで遊んでいた鶏がスープに変わった。その塩ラーメンのうまかったこと。かわりに肉が食べられなくなった)

海苔
わたしを比喩で使ったのを見たことがない。おそらく存在として超絶しているからだ。似たようなやつはいるだろうか。


おれを越えようとする馬鹿者がいる。偉人が実際にはどうしたかは、われわれの隠し金庫の年代記に記されている。それを読むと結構笑っちゃう。

哲学
「他者」に、あるいは「肉体」や「道具」に出逢うまでに2千年以上かかっている。すなおに反省したい。


出入りが自由、なぞりも曲解もあなた次第。売るもよし捨てるもよし。お呼びがかかるのをじっと待っているのには飽きた。

樹木
夜かぜがさわさわとわたしの葉っぱを揺らすとき、泥酔した赤い目の男がものいわずじっとわたしを見上げている。何らかの救いになればと、葉っぱの揺らぎをわたしは止めない。

樹木2
ときおり歩きたくなる。そんなときは地下茎で目当ての樹に連絡して、しばらく居候させてもらう。そのあいだ、本体のほうの落葉が速くなる。

樹木3
ちいさな森をもう何百年も守ってきた家のお婆さん、散歩がてらぼくの肌に耳を当て水を吸い上げる音を聴くのが好きらしい。ぼくもうれしくて頑張って水をくみ上げるんだ。

オクトパス
軟体であることで困ったことはない。いや、……じつは一つだけある。彼女とうまくいったあと、それをほどくのにすごく時間がかかったことだ。ことがことだけに、彼女にすまない思いが残った。工夫しないといけない。

オクトパス2
ぼくは永遠の傍観者かもしれない。生命が生まれ、海藻が育ち、腐り、ねば土となって堆積し、陸となって水上に顔を出す……その海を前世からただ一人のサバイバーとして泳いでいる。
Roland Dixon,Oceanic Mythology,epigraph in  "Other Minds"by  Peter Gdfrey Smithからの意訳

かめ
なんと地球の歩みのはやいことか。すべてはわしを追い越し、そして先に老いくずれていく。

かめ2
子どもが棒でつつき、足蹴にさえする。あの子どもらもいまは亡きひととなった。目路のかぎり人っ子ひとりいない。ぼうぼうと風が吹き過ぎるだけだ。

南部鉄瓶
くろがねの肌が自慢である。持つと予想を超えて重い。実用に使われるが、自分としてはオブジェだと思っている。

ねぎ
最強の脇役といわれて久しい。風邪にもきく。すき焼きではタテに置いてほしい。熱い甘汁が毛細管を伝ってくる。ついてっぺんから湯気が出る。

セロリ
有名なうたにまでなったわたし。そのわたしを漬け物にするのが得意な小娘がいた。何人の恋人を見届けてきたことか。でも、こういっては何だが、彼女はわたしのように爽やかだ、ずっと。

カバ
歩くと地響きがするし、泳ぐと水が大量にぶつかってくる。陽に当たっても、ちっとも温(ぬく)もってこない。そよ風ってどんな風? かたわらを過ぎる動物たちの軽やかな足取りがうらやましい。

マージャン
昭和11年頃、熱病のように流行ったの。いろんな作家も入れ揚げた。初のプロ野球試合が行われ、日独防共協定が締結され、同じ船に乗ってチャップリンとコクトーがやってきて、しまいには2・26事件まで起きた年。阿部定は愛する男の逸物をちょん切って持ち歩いた。そんな訳の分からない年に、みんなわたしのことをジャラジャラ引っ掻き回していたの。――三好徹『興亡と夢 1』より

夕陽
朝陽とどこが違うって? 眺めるひとの気分の問題じゃない?


あるおじいさんは自分を“いぬ”だと言った。真冬でも上着一枚に、裸足に簡易サンダルで歩いていた。すべての生きものが仏性をもつとはどういうことかと考えていた。ぼくが傍らを通り過ぎると、きまってじろっと睨んだ。

犬2
背中がかゆい。背を土や草に付けて、足4本を突き上げる。テーブルがひっくり返ったのをイメージするといい。そして盛んに背をなすりつけるんだ。人間の子が柱に背をこすり付けて、かゆみを取り去るのと同じ理屈である。たまにくそ熱い夏の日にひとのいない公園など覗いてみてほしい。一心にかゆみ取りに専念しているぼくの姿を見ることができるから。


むかしは少年少女は小さく割って、ちゅっと吸ったものだ。そこからいえば、人間との付き合いも疎遠になったものだ。

豆腐
わたしは水分90%。みんなわたしを大事にしてくれて、年に数回、慶弔のときにしか口にしなかった。今じゃスーパーで山積みだけどね。白い液体のわたしに、にがりが投入される。ふわふわとうまく固まると、みんな「寄った寄った!」と喜ぶんだ。適当に固めるのが、難しいからね。そして、わたしの誕生である。

豆腐2
湯豆腐屋は許せん。豆腐ではなくて、たれが主役なんだそうだ。金輪際、付き合ってやんない。ーNHK-BSプレミアム「新日本風土記」〈豆腐〉放送分から

豆腐3
沖縄にはものすごく分厚い仲間もいれば、徳島祖谷(いや)地方には石のように固い仲間もいる。きれいな水がぼくの栄養だ。京都の地下は水脈が四方八方に行き渡っているらしい。畳に耳をつけたら、聴こえるかしら、水の音。あの乾いた赤い大地のアフリカも、空中から見ればかつての大河の跡が透かして見える。

バッタ
関節だらけだけど、不便だと思ったことはないね。

とのさまバッタ
わしを追う子どもたちの目の輝きと言ったら! 風が光っていた、あの頃は!

体操
曲げたり、かがんだり、跳んだり……人間のやることは不可解なことばかり。でもアフリカの人でも同じようなことをやるんだろうか。

動物園の象 elephant in the zoo――チャールズ・ブゴウスキーの詩から
in the afternoon
they lean against
one another
and you can see how much
they like the sun
午後になると
彼らは互いに
身をもたせる
すごくわかるよね
彼らがお日様好きだってことが


ひとは鬱屈を抱えて、ぼくの檻のまえにやって来る。彼らは知っているのだ、ぼくのほうが観察しているのだということを。ぼくがじっと見ると、決まって視線を逸らすのは彼ら人間のほうだ。


(やや冷たい風がランニングシャツの剥きだしの二の腕をかるくなぶっていく。眼下にわが町がある。川が蛇行して光り、中空のかすれかすれの雲がかなしみを誘う)

口笛を吹けば悲しもきれぎれに
川のあなたに消えいかんものを

雲2
島崎藤村に「小諸なる古城のほとり雲白く遊子悲しむ」がある。寅さんはいつも柴又の人情のごたごたが懐かしい。流れる雲が旅人(遊子)にそぞろあわれを催させるからである。


(しばらく会わずにいた人にばったり出くわす夢を見た。起きても何かどきどきするものがあった。近況を知らす手紙をしたため、近くのポストに投函した)

夢2
遠くに見える小さな、しかし吉凶を知らせてくる暗鬱な島に向かって、鋼板のように光る海を割って舳先が進んでいく。故知らぬ不安に胸を締めつけられるが、島の正体を知らずにおけない。ときおり骨の折れた傘のような烏が奇怪な声を挙げ、眼前を斜めに落ちていく。目的の島内(しまうち)では稲妻がひっきりなしに発生しているのが分かる。そのたびに船首の女神の薄衣が次第にしどけなくなっていくように見えるのは気のせいだろうか。しかし、胸にこみ上げる恐怖の割に、いっかな目的の島が近づいてこないのはなぜか。

夢3
手を挙げて黒板に向かう。数式を解かないといけないが、さっきまでの自信はどこへ行ってしまったのだろう。冷や汗が流れ落ちるその時間が永遠のように長い。


生まれてすぐ盥の縁から落ちてくる光を見たという作家がいる。どうせヨタ話に決まっている。でも痛々しい気もする。天才ぶったり、仮面をかぶったり、偽のからだを作ったり、ご苦労なこと。

鉄塔
ほくらはよく見てもらえば分かるけど、少しずつ違っている。マニアはそこがたまらないらしい。違いを追いかけているうちにとんでもないところに来てしまった、という映画があった。テットウ、まず響きが姿かたちによく合っている。

鉄塔2
その人はもう85歳、散歩の途中、必ず私を見上げては長い嘆息を洩らす。彼女の過去が、そしていまがどんなものかは知らない。しかし、いつも全身に風を受ける私を見て微笑む、少し日差しをまぶしそうにして。それだけで彼女の全人生が見える気もするのである。

クワガタ
少年たちはこの鈍色(にびいろ)の光沢に惹かれる。日差しがなくなれば、漆黒の石のようだ。茶色の岩肌に留まっていると、よじ登ってどうしても捕りたくなるらしい。額に汗を浮かべ、恐怖の表情を張り付かせながら、私のいる高みにまでよじ登ってくる。私はじっと彼らの捕獲を歓迎するのだ。

スイカ
絶妙な色だと思わない? 赤に黒に緑。メロンの単色の色も流石だけど、私にはかなわないのでは。がぶっと齧って口の端から汁が落ちる。それを手で受けて、ねぶる。その一連のことを見事な文章にしたのが久保田万太郎だ。あれは私への最高のオマージュだった。

ラムネ
まず私のかたちにみんな目を瞠る。次にくびれ部分の薄みどりのビー玉に目が行く。手に取れば、口をふさぐコルクが見える。なんと完璧なんだ、と子どもたちは思っているにちがいない。凸の型押しでコルクを押し下げると、私の体液が噴き出す。それもまた彼らには、何か不全感を残して、またやりたくなる理由かもしれない。じゃあ、また、私と遊びにおいで。

映画館
人口2万、3万の町であれば、2つ、3つはあったのではないか。そのなかでもぼくは豪華なほうで、スクリーンに向かって両側に特別席、桟敷があった。しかし、滅多にそこに座るお客はいなかった。60年代半ばになると、冬にはすきま風が入るようになり、お客さんに迷惑をかけた。テレビとかいうものが、家庭に入りはじめたらしい。それでも、文科省、むかしだから文部省だけど、その推薦だと久しぶりに小学生の黄色い声が体内にこだました。
最終上映に子ども連れでやってくるお母さん。明らかに仕事帰りだ。女性一人だと何かと噂の立つ田舎町のこと、その自衛措置で子ども同伴なのだ。
磨き上げた銅の容れ物からちびりちびりウヰスキーを飲んでいる労務者ふうもいた。その容れ物は山奥のダムのように湾曲して、彼らの指にぴったりはまっている。さあ開幕のブザーが鳴る! 若いカップルが笑いながら駆け込んでくる。高倉健主演、シリーズ第一作、モノクロ撮影「網走番外地」の始まりだ!

青さ
目の青さは、緑や茶色が欠けるとその色になるだけで、青い色の色素があるわけではない。虹彩は何層かの組織からできていて、光がその薄膜にちりぢりにさせられると、青い目が生まれる。じつは空も同じ理屈で青いらしい。黒も神秘的だけど、この青さの秘密には厳粛な気にさせられる。from ”Coming to Our Senses“ by Susan.R.Barry

冗談
ジョジョ・ラビットという映画があった。主人公の名で、彼はナチス大好き少年。友達の第一はヒトラーで、「第二は太っちょの君。でも君のなかにもう一人別の君がいれば別だけど」と言う。その友達がすまなそうに、「ごめんね、ぼくのなかのもう一人のぼくも太っちょなんだ」と答える。このユーモアには本当に心打たれる。
John BanvilleのTIME PIECESに次のようなジョークが紹介されている。Sean Mac Reamoinnという老作家が当意即妙な会話を得意としたらしい。誰かがCiril Conollyの有名な言葉を口にした。Inside every fat man there is a thin man trying to get out.「太った男のなかにはいつも外に出ようともがく痩せっぽちがいるのさ」。それに対して、SeanはYesと言い、付け加えた、and outside every thin girl there's a fat man trying to get in.「おまけにあらゆる痩せた女の外には、その中に入ろうとする太った男がいるものさ」ジョジョ・ラビットと比べると下品このうえないが、才智を遊ぶイギリスの伝統を感じさせる話ではある。

この地球とはおさらば
電車の窓のむこうは
シャケの肉のさびれた紅色に染まった空に
低い山々の連なりが黒いシルエットとなって浮かび上がる
きょうはやけに弔いの日のように赫い
つり輪につり下がってぼくはまるで
人骨の幽霊のようだ
かさかさと風に正体をなくしそうだ
向こうに見えている光景は
もう涅槃のものではないのか
そう思いながらJR川越線に乗っている

ホトトギス
ひとの足音が聞こえたら
鳴き止むきまりになっている
足音が過ぎ去るとまたホーホケキョと始める
だけどぼくは足音を追って
彼らの傍らでずっと鳴き声を聞かせるのが好きだ
人間たちがたいそう幸せそうな顔で聴き入ってくれるからだ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?