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(第5回)表現者クライテリオン岐阜同好会

表現表現者クライテリオン岐阜同好会(第5回)
第4回信州学習会 ~軍事について考える前に知っておきたいこと
(第5回岐阜同好会はこれを兼ねて開催とした)
【令和5年4月29日(土) 30日(日)須坂市】
参加者:○田、○野、○木

○田 感想
 自衛隊員にとって一番必要なのは、防衛費(武器、装備、設備等)よりも、国家存亡の危機に陥った時に国民各個人が戦わなければならないという覚悟であるという小幡先生の発言に、自分自身の認識の浅さに反省させられた。
30年以上前の話になるが、バブル景気の頃のハワイ旅行先で街中を散歩中に、お孫さんを連れた高齢の白人男性が、通りかかった米国軍人(戦闘服着用)に対して、背筋を伸ばして敬礼していたことを思い出した。(白人男性は元軍属で観光客としてハワイに訪れていたと推察する)
 自衛隊員に危険を伴う国防を任せて、自分たちは見て見ぬふりをするような国民意識になっていないか? 恥ずかしい限りだ。
 今回の須坂への勉強会ツアーで岐阜同好会の送迎運転を担当したが、車中、保守思想などに関する会話で盛り上がり、あっという間の時間だった。

○野 感想
・自衛隊員(軍人)の現在
 自衛隊員の出自はごく一般的な日本人であり我々と何ら変わりはない。平均的な日本人から構成されており決して特別な精神や肉体の持ち主ではない。国民は「命が大切、自分は死にたくない」という卑怯で爛れた生への執着を惜しげもなく表に出し、自衛隊員に対し「死ぬこと」、さらには「殺すこと」を期待するくせに、よそよそしいまでに無関心を決め込んでいる。国民にも支持されることもなく憲法にも否定された「不義の子」である限り軍人として戦うことへの意義をみつけることができない。
 ・自衛隊は見ず知らずの他人のために戦えるのか。
 ウクライナ戦争についてはジャベリン騒ぎのような小手先ばかり、技術的な報道ばかりがまかり通り真面目な国防の話はない。台湾有事が起これば2,500人程の自衛官が犠牲となるとの予測が立っているにも関わらず議論すらない。このような状態で国民は2,500人の自衛官の死を受け入れられるのだろうか。また自衛隊は見ず知らずの他人の生命と財産を守るために戦えるのか。(私なら今の日本人のために死ぬなど悔しくて納得できない。)
 ・信仰について
 生命を拡張し、死を覚悟できるか。自己絶対化を避けるには歴史・文化を知り確かめることが必要。そこには必ず信仰がある。自分は特定の宗教や神への信仰がない。無宗教の自分は何を信仰すればよいか。懇親会の席で浜崎先生に質問した際に対象として一番近いものは「自然」と答えられた。岐阜に帰える車の中で心身平行論、曼荼羅、梵我一如などの話題になった。江戸時代までの日本人には仏教、神道、儒教が精神に刻まれており時間や空間を超越し、歴史・文化の中に存在する自分を認識できたのだろうか… 自然=神への尊敬と畏怖、そして一体となり生命を拡張した先に国家や同胞への愛が生まれ得るのか… というようなことを考えた。
・生きること=死ぬことを考える
 一番良い死に方とは健康で病気せず、のんびりと平和に老衰して死を迎えることであろうか。確かにこのような贅沢が許されるのであればそれに越したことはない。しかし
一方、起床ラッパで目を覚まし、過酷な訓練で身を削り生きている若者の姿を思い、共に死ぬ覚悟をすることくらい我々にもできるのではないか。国家や同胞のために戦う者への敬意を払い、卑怯な生き方をしたくないと感じた。

 ○木 感想
 今回の講義を受けて、単純にスッキリしたと言うよりも、重いものを持ち帰った。以前の平和ボケの自分は自衛隊の方々に対してほぼ無関心を決め込み、災害救助で活躍する姿に拍手する程度のもの。周りの人もほぼ同じ反応だと感じる。保守主義だと言い出した、ここ最近の自分にしても、東アジアの安全保障環境の急激な悪化で防衛費を上げる事が急務だと単純に感じていたが、防衛費の先にある命を賭ける場面が現実に生じる、隊員の方々への想像力は皆無だったと思い知らされた。日本人が日本人の為に命を賭ける。それには理屈ではなく信仰の次元がなければならないと気付かされた。まだまだ、浮ついていた自分を知らされる機会だった。
 我々が日本人として決断ができるのならば、対米従属からの脱却や核武装もできないわけではない。(その為に失うものがどれだけあったとしても)ただそのやる気がないだけの話。時間の経過と共に徐々に腐り、今や悪臭を放つ我々日本人は、その話題を口に出す事にすら目を逸らしているのだ。根性を失った。牙を抜かれた。武器を失ったまま。そんな姿から目を背ける為に只々自慰行為をせっせと行う日々。これを絶望と言わずして何と言おうか。しかし、今回の信州勉強会に参加した日本人が少なくとも居た事実。その人々と酒を酌み交わし、言葉を酌み交わした事実。そこに熱い想いを感じた事実。そこにひとつの希望を見出したい。一庶民である自分に何ができるのか、何をするべきなのかを改めて考えねばならない。自分に今与えられたこの現場で出来得る限りで抗い、戦っていきたいと思った。腹を切る覚悟を持ち、清々しい気持ちで。
 そんな自分を見た子供たちが、あのおっさん少しは信頼できる大人なのかな?と感じてもらえればこれ以上の喜びはない。
講義中メモ
・生命至上主義で止まってしまう。
・自分の事が1番大切。
・他国では有事の際15分以上ミーティングはやらない。
・馬鹿にされている場面でも恥ずかしいと思わずニヤニヤしている。
・大きい組織の機能不全。
・日本人の性質。
・ブサイクが化粧をしてもブサイクのまま。それならば他にやることがあるだろう。
・戦う目的がないところに、どう戦えるのか。それではそもそも戦いが成立しない。
・日本人の為に命を落とせるのか。
・覚悟がない。我々のうちの誰かがではなく、我々が戦争へ行くことが認められない。
・国民と軍人の意識の差。
・戦争とは自己犠牲意識で戦うもの。
・大東亜戦争の敗戦を反省もせず、80年を経てきたことは先人に礼儀を欠く。
・武器とは、戦う、隷従しないという意思表示。独立の証。精神的に独立したと言える。
・生きることも質に出す必要の時があるのではないか。
・歴史を知ることが、まともな戦後を歩む第一歩。
・武器を失ってしまった日本人。
・戦うことを擬似体験するための戦争文学。
・死の受け入れ方が、生を喜ばしいものに繋げるのではないか。
理の通ったフィクション。
・コロナ騒動の総括、反省が必ず必要。
・日本人の危機の対する反応。
・危機から目を背ける。
・本気になる瞬間があまりにも無さすぎた。
・孤独になった時にどう対するのか。
・コネ、見た目、媚、馬鹿、理屈。(旧日本軍の組織で登用される順番)
・滅びの覚悟。
・1匹性を支える為に成熟する。
・1人の根性で変わる。
・絶望し切った上で前に進むことしかない。
・人間の在り方。
・信頼できる大人が居ない。
・経験主義(保守主義の言い換え)


○江 (今回不参加) 
 先日の勉強会、浜崎先生のブログによると夜の懇親会から翌日の昼食会まで非常に楽しい時間だったとのことで、今後都合が付けば是非とも参加したいと思う。
クライテリオン5月号の所感
・仁平千香子氏 「猿蟹合戦」から考える依存症者によって作られる社会の末路
 この論考には賛同できる部分と首をかしげる部分があった。大衆依存ほどくだらぬことはないと私も思うが、果たしてその反対は何なのか。仁平氏は「依存症の人間は脆く、そして危うい」と記しているが、本当にそうなのか。何物にも依存しない人生などあるのだろうか。実際、仁平氏も芥川の小品に依存しているではないか。
―そんなことを考えた。私は依存症者です。
・読者からの手紙 保守的態度とは何か
 保守とは何か―右翼と混同されがちだが、そうではない。自分も教員という仕事をしながら、自分の仕事も保守的態度が不可欠だと日々感じる。何でもかんでも変えてしまえという風潮にはウンザリしている。

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