雑な所感1
表現者クライテリオン(令和4年11月号)に目を通してみて、今回視点が拡がったひとつとして“国体“という概念がある。特集「第三次世界大戦と戦後秩序」の論考のひとつ大場一央氏の「江戸の地政学に学べ」の中に書かれていた、会沢正志斎の唱えていた“国体“ 。p56
日本は天皇が将軍以下、全国民と役割分担をして国を造っていると説く。したがって、国民はそれぞれの社会的立場「らしく」ふるまい、仕事に精を出しながらその役割を全うすることで一致協力して日本国を支えているとする。そして、自分のなすべきこと(道徳)や自分らしさ(アイデンティティー)は、家庭や職場での仕事や人間関係を日々工夫し、お互いに必要とされ、親しい気持ちを掛け合える関係を作ることでのみ立ち現れてくるものであり、誰か超越的な存在や、観念的な理論によって指導されるものではなく、全ては日本人の日常生活が作っていくものだとする。この「人倫(人間関係)」における個々人の日々の工夫こそが全てであり、それを破壊するのは、人倫を離れて神と契約する宗教や、日常から棄離した観念的思想であって、日本はこうした思想を持ってやってくる西欧に必ず一度は動揺するが、結局は民族の興亡をかけて対決しなければならないと説いた。こうした日本のありようを「国体」と名づけたのが会沢正志斎である。
個人的には、不勉強もあり“国体“というものが、天皇制を指すものとしか理解できていなかった。そう考えており、国体護持を叫んだ先の大戦では、天皇を守るためには国民は守られるべきものではなかったのだろうかとモヤモヤした気持ちがあった。然し、“国体“というものが会沢正志斎の示す“国体“であるのならば腑に落ちる気がする。
その理解で「特別座談会「自己喪失」の時代に向き合うために」を読んでみるとp98
柴山 つまり、主権を天皇や法人としての国家に直接的に結びつけるのではなく、国家としての歴史の積み重ねの中に主権があるとする考え方です。
藤井 天皇機関説というのは、憲法を作った国の機関として、あくまでも憲法をベースに天皇が存在するという考え方ですね。それに対して天皇主権説とは、日本そのものが天皇だという考え方です。そして「ノモス」とは日本の伝統そのもののことを言っているわけで、日本という生命体としてのノモスにおける「中心」に天皇がいる、というのがノモス主権論の概念です。僕もそれが最も適切な解釈だと思います。
初めて聞く、ノモス主権論という考え方が理解できた。その意味では天皇=国体は正しいと言える。そして会沢正志斎が示す“国体“ の根本は「全ては日本人の日常生活が作っていくもの」であるわけであり、“国体“の中に自分は存在しており、その己の日常が“国体“にとって重要になっていると思うに至った。そして、その中心としての天皇という存在についてもまた。
週刊クライテリオン あるがままラジオ10月30日を聞いて。
https://youtu.be/86aHPm5I_B8
今回の曲、長渕剛「親知らず」の歌詞の一節
【俺の祖国日本よ!どうかアメリカに溶けないでくれ】
“国体“というものを理解し直した時に、曲から30年が経ち祖国は溶けて消えてしまったのかもしれないと、絶望を覚える。と同時にまだ自分の中に、何かしら熱いものが残っているように感じた。
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