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エヴァ観たので、自分用メモ的雑記

シン・エヴァンゲリオンをやっと観てきた。(そして写真の特典をもらえた!もう終わってると思ってたのでうれしかった!!)
自分は特別「エヴァファン」「エヴァオタ」というわけではないけれど、長年のオタクなので自然と全部観ているし、テレビアニメは三週くらいはしている。

そして何より、家族と夕飯食べながらアニメを第一話からリアタイ視聴し、ミサトさんのベッドシーンに困ったり(ほんとにな)、カヲルくんの発言に「!?!?」となったり、首ポンに「うわっ!」となったり、最終回で母親と「わからん!」と言い合ったりした思い出があるので、最後くらいはちゃんと映画館で見届けようと思った。

あと、わかりやすく渚カヲルが好きなので、彼を見届けたい思いもつよい。石田彰が「自分だけ最初から他のキャストより先の設定を知らされていた」とも言っていたし。

ちなみに今までの映画は、映画館でみたりテレビとかレンタルとかで見たり、そのときどきで、内容もうろ覚えだ。あと貞元版のマンガは読んでいない。

そんなゆるさで観てきたが、エンドロールが始まって最初の感想は

なるほど!!!わからん!!!!

だった。いやー、わからん。ぜんぜんわからん。いままでエヴァンゲリオンの世界を徹底的に読みほどき、色んなキャラの言動を細かく観察し、この映画を待ちわびていたファンならわかるのかもしれないが、そもそも前作時点で落ちこぼれの自分(アマプラで見直してはきたんだけど)には、情報量が多すぎるし、理解がおっつかん!

とはいえ、たいへん面白く、満足度は高かった。「わからないのに面白いのかよ」といわれそうだけど、面白いとか満足は感覚的な部分があるので、わからなくても面白いという感想は可能だ。
もちろん分かっていたらもっと面白いんだろうけれど。
でもこれはつまり、複雑な世界観と、深度の高いキャラクター描写を行いながら同時に「単純なエンターテイメント」の創出にも成功してるというわけで、それだけでもすごい作品だとおもう。

というわけで全然わからなかったのだが、長年のオタク経験値として、ある程度心得ている聖書の知識などあてはめたら、すこしは理解できるような気もした。
なので下記は、考察でも批評でも感想でもなく、完全に個人的な覚書です。
前置きが長くなりましたが、つまりこの記事は、覚書です。色々「ちげーよ」みたいなことを書いてると思いますが、覚書です。

ケンスケ有能問題。
ケンスケ、有能すぎるだろおおお!!!!ケンスケのオタク知識のおかげで生き延びれた人が多数いて、いまは汎用メカニックとして活躍。しかも医療機器の調整までできるレベル。あの村の電化製品もみんな彼の修理や改造によるんだろうな。そして対使徒の装置の点検やら、定点観測やら全部やっていて、世界の闇の部分に触れながらも、あの軽やかさよ。
人道面でもさ迷うシンジくんたちを拾い、かなり複雑な状況になっているアスカに超絶適切な距離感で接し、少なくとも身体は14歳なアスカが裸でウロウロしてても何事もなく対応(大人になったと言ってもまだ若い男性の年齢なのに。アスカはああいう行動で相手を図っている気もする)……万能すぎる。
後半の電車のシーンでアスカのところにくるのがケンスケなのもビックリして、でもよかったねとも思った。父性であり母性なんだな。梶Jr.にも慕われて、梶Jr.とシンジのツーショットをミサトさんに送り届け、最後の日のアスカを撮影して残す…。ケンスケの存在でかなり沢山のひとの心が救われてる。
他人の命も生活も心も護って救いまくるケンスケ……。ネルフ(元ネルフ含む)のひとはみんな、天才域の頭脳の持ち主だけど、ケンスケはそれを凌駕してる気さえします。

トウジと委員長もなんだけど、碇くんの学友は人間としてのレベルがめちゃくちゃ高い。猫も赤ん坊も知らない綾波(仮)を、「ソックリさん」でそのまま受け止めるナチュラルさも素敵だった。綾波(仮)が、カヲルの爆死いこう閉ざされたシンジの心を開けたのは、その前に自分がトウジ達によって救済されていたからと思うので、碇くんの学友は尊いな。
良い友人に恵まれたというのは、シンジやアスカ、レイも人間としての性質がよいということの反転でもあると思うが。

マリのこと。
レイはかわいくて憧れのようなときめきを覚えるし、アスカには感情移入してしまって言動にいつも泣かされてしまう。
だが見ていてこちらが楽になれるのと、単純にかっこいいので、マリが一番好きだ。なんだかいつも楽しそうでかわいい。いつも楽しい訳ではないだろうけど笑、根元的に人間がネアカなのは間違いないのかな。
とにかくメインの三人とミサトさんら辺は、思考回路と言動と精神のあり方が「見ていて疲れる」人たちなので(描写としては秀逸だけど、現実世界を生きるこの身もつらいから、架空のキャラでも負の心の連鎖をずっと見ているのは重いのだ)、マリの安定感には救われる。
最終的にはシンジもかなり救われるわけだけど(命も心も)、アスカはそれ以上に救われていただろうと思います。お互い、若干、感じの悪いアダナで呼びあってますが、ちゃんと友達しててよかったねと思いました。髪切るシーン、好き。

シンジくんはキリストだったこと。
旧シリーズからこっち、自分のなかでシンジのポジションはアダムだった。
ユイにもイブの要素はあるんだけど、旧シリーズで最後に残るのがアスカとシンジだったりもするので、レイ=リリス、シンジ=アダム、アスカ=イブなのだろうと。
まあ、旧シリーズにおいてはそれも間違いないのかもしれないけど、今回はじめて「あっ、ちがう!シンジはキリストなんだ!!」と気づいた。めちゃくちゃ、今さらなんだろうが。。。
少なくとも新エヴァは、「新約」なのだな。
マリが「イスカリオテのマリア」であったことに「えー」となり、そこではじめて「あっ」と腑に落ちたのだった。
マリは最初にシンジに会ったときに頬にキスしてますが、あれは彼女がイスカリオテ(=ユダ)だからなんですね。ユダの接吻=相手はキリスト。
そしてマリア(=おそらくマグダラの)だから、シンジの帰還(復活)の場にいるのは彼女なのだ。
マグダラのマリアじたいが、罪を背負った女性なので、それは彼女が「裏切りもの」であることにも繋がるのかなぁ。
キリストの処刑において、自分はイスカリオテのユダとマグダラのマリアは対のように見ているので、それがセットになってるのが面白かった。他の盲目的な弟子と違って、ユダはキリストに疑問を感じているし(疑問という言い方は正しくないかもしれないけど、少なくとも銀貨が隙間に入るくらいには、キリストと心の距離を持ってしまっている)、マリアはキリストに休息を与えたいと思っている。
マリはシンジを死に導いて(ユダ)、死からの帰還を待つ(マリア)のだな。

あと同時に、カヲルとシンジの関係は、カインとアベルのようだとも思いました。アダムとイブ(ゲンドウとユイ)の子供としてカインとアベル(シンジとカヲル)が生まれ、アベルを殺してしまうことで、カインは原罪をせおい、原罪を背負った人間(カイン=シンジ=キリスト)が新約の世界にたどり着くのかな、てきな。

カヲルくん、いろいろ。
なんかよくわからんが、本人、満足したみたいでよかった!!笑
考えてみたら彼は初登場のときから思わせ振りな男で、色々とお喋りするわりに「己の真実は絶対に明かさない」という「THE 石田彰」な キャラなので、最後に自分のことを素直に話しているのがけっこう意外でもあった。
結局カヲルくんがなんなのかはいまいちわからん部分もあったのですが(残念な脳みそ)、ユイとレイの関係と同じに、ゲンドウとカヲル、という関係になるのかな。
ただカヲルのほうがレイよりさらに神話性が高いというか。
もともと(テレビ)では裏切りもののポジションであった彼だけど、イスカリオテの要素をマリに譲ってしまったので、どちらかというと第一=第十三という、「円環」を担う存在だったのかな。
うまく言えないけど、あのエヴァ世界は無限ループ的にあの展開を繰り返してて、やっと今回の出口にたどり着ける世界線を開いた!というイメージがあります。
カヲルの正体はともかく、彼が思わせ振りな言い方でなく「君に惹かれた」と言ったこと「幸せにしたかった」と言ったこと「幸せにすることで幸せになりたかった」と認めたことに切なさも感じて、やっぱりカヲルくんは好きだなぁと思いました。
カヲルはレイと同じに、シンジに対しゲンドウの「父性」という要素の好意もあるんだろうけれど、やはりレイと同じに「渚カヲル自身」の好意のほうが強いのだろうと思います。
シンジにとってカヲルはある意味「初めての恋人」だと思っているんですが(レイが憧れ、アスカが初恋)、そのシンジに「父さんに似てたから好きだったんだ」と言われてしまうことはつまり、渚カヲル本人としては「フラれている」わけで、すこし寂しいかな。
カヲルは人当たり抜群なので、人当たり最悪なゲンドウとの差が激しいんだけど、「相手に気持ちを押し付けがち」なところだとか、絶対に相手が幸せになれない形(自らの爆死)でシンジを幸せにしようとしたあたりの、「独りよがり」っぽさを考えると、なるほどゲンドウ!という気もするな。
シンジにとってのカヲルくんは、彼が精神的に成長するための通過儀礼のような存在でもあるので、そういう意味ではやはり父か。でもカヲルが自覚してるより、シンジはカヲルのことを好きだったんじゃないかと思います。
カヲルは自分がシンジに好かれるように振る舞ったからシンジも好意を持ってくれたと思ってるフシがありそう。
でもシンジが「立ち直って」から、シンジの強さの根底にはずっとカヲル(と二人のレイ)がいるわけで、シンジにとってのカヲルは大きいんだよな。
というかやはり、カヲルとレイはセットでシンジを「進めさせる」存在なんだなぁ。

レイとカヲル
最後の駅のシーンや、配布冊子をみて「まじ!?」と思ったのですが、彼らの生い立ちと、あと「結ばれることは不可能だったけどそれぞれシンジを愛した存在(概念)」として考えると、自然な気もしました。
つーかちゃっかり、ほぼシンジの息子をGETしてるあたり、カヲルはカヲル…。ちょっと浮世離れした家族になりそう。ご近所さんに「渚さんのところ、ご家族みんな感じが良いけれど、なんか雰囲気ふしぎよねぇ」とか言われるような。
あと、さりげに農業が楽しくなってたレイ2号(?仮?)と、梶さんに農業に誘われてたあたりがリンクしてるのも笑えました。
なんかレイ以上にカヲルは幸せになれない存在だと思ってたので、救われた着地ができたなら嬉しいな。
にしても石田彰さんの、あかざ→桂さん→渚カヲルという半年以上続く映画館の席巻はすごかったです。全部、めちゃくちゃ重要なキャラだしな。そしてみんなどこか薄幸そうなんだよな。(桂もね)

最後のシーン
駅のシーンはどう捉えたらよいのか。首輪をマリに外してもらってましたが、シンジとマリは別の「自分達が成長している世界」にたどり着いたみたいなイメージなのかなぁ。シンジが「過去を変えるんじゃなくて、未来を云々」みたいなことを言ってたので、別次元みたいな話とも思わないんだけど。
これはもう誰かの解説読むしかないかな…。

あとマリについては、わりと謎の部分も多いような。少なくともユイの出産の時点では博士?医者?助手?のような立ち位置で参加してるから、もともとは年上なのは間違いないけれど……。うーん??

というわけで思ったことツラツラ書きました。おしまい。
あ、入場特典、冊子も第五週ミニポスターも両方もらえてラッキーだったー!
しかもカヲルだったので、嬉しさは倍だー。石田彰のサインも入ってるし。
やはり渚カヲルのことは永遠に好きな気がする。キレイでかっこよくて胡散臭くて、すこし切ない。

思い付いたら随時追記。

追記。
いろいろ感動しつつ、結局はた迷惑な親子喧嘩なんだよなぁという感想もありつつ…。親子喧嘩というか、ゲンドウ単体のコンプレックスだと思うんだけど、なまじ、ゲンドウ、天才だから。。。
でも、神との旧約による世界と考えたら、もとよりファーストインパクトは予定されていて、ゲンドウはそこに介在しただけなのかな?
ちなみに今回の映画で唯一吹き出したシーンは、ゲンドウのシーンです。ミサトさんの特攻のあと、シンジがミサトさんの託した槍を受け取ったとき(そしてミサトの死を受け止められたとき)、「大人になったな」とか言い出したのがほんと…。
なにとつぜん父親っぽくなっとんねん、オマエ…。とおもいました。ゲンドウ、ほんとはた迷惑よね。マリの「人類みんなまきこまれるのは、ごめん被るニャン」みたいなセリフにはラインスタンプばりに頷いてしまった。ほんとだにゃん。。。

追記その2
設定的には不明な部分もあるけど、とりあえずみんなが心の着地点にたどりつけてよかったね、という感覚的満足だったのかな。年々、心が弱くなってきて、物語的なものをみると「ご都合主義でもなんでもいいから、全員救われてくれ」と思ってしまいます。

追記その3
上記記載の覚書を書いて自分の初感を固定化したので、そのうえで考察や解説などをいくつか読んで、すこし納得しました。よみちがいや、設定を忘却あるいは勘違いしてる部分もありますが、大勢としてはそこまでずれてないようで安心しました。さすがながくオタクをやってると、適応力がつくな!
そして、年齢等によって絶対無理というひとも多いでしょうが、テレビシリーズから常にリアルタイムでエヴァを観られた幸福をかんじました。
カヲルくんが救済されたということは、ある意味では視聴者の救済でもあるわけですね、なるほど。。。
ところで長年カヲシン(か、シンカヲ)を推してきた方のなかには結末に少なからずショックを受けてる方がいると予測しますが、これはあれですよ!トーマの心臓の「同じ人を愛した者同士はうまくやれる」ですよ!!
なんてね。あと、あのふたりの子供はたぶんシンジという名前になるとおもうので、思う存分、ふたりでシンジを守ったり幸せにしたりするのではないかなとか。
ちなみに自分はカヲルくんが好きで、カヲルくんのための、カヲシンだったりシンカヲだったりは推奨したいところですが、自分の好みとしては「報われない」渚カヲルが好きです。
渚カヲルの存在理由は碇シンジだが、碇シンジの存在理由に渚カヲルは一ミリも介在しない。
この圧倒的落差に、胸が痛み、切なさを愛しく思うのです。

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