銀魂について語らせてくれ~桂さん1

ぜったいに1記事で終わらない自信があるので、本文書く前からタイトルに1を振ったぞ。

桂さんが好きだ。

めちゃくちゃ好きだ。そして心から尊敬している。真面目なはなし、桂さんは自分にとって人生のひとつの羅針盤なのだ。気持ちとしては攘夷派のモブ浪士だ。桂さんの導く、江戸の夜明けを見たい。桂さんの背中越しに。

銀魂界でも屈指のギャグ&シリアスシフトの振り幅をもち、人気があるんだかないんだかよく分からないけれど、とりあえずだいたいグッズは作られる男(神威が入ってるラインナップだと危うい)、桂小太郎。こたろうって響き、めちゃかわいいよね、ところで。

まずは桂さんとの出会いを(つまり銀魂との出会いを)語りたいとおもう。

アニメ化の前から、ちらほら「銀魂がおもしろい」という話を聞いていた。当時、コスプレイヤーだったのだが、コスプレ仲間が銀時のコスをしていて、衣装がカッコいいなぁと思っていた。

そんな感じでぼんやり知っていたのでアニメ化されてからはリアルタイムで見ていた。ただ、録画して楽しみにというより、学生だったので、家にいるときにやってれば見る、というスタンスだった。

自分は新撰組が好きだ。新撰組についてはまぁまぁ語れる。有名どころの小説はだいたい読んでいる。燃えよ剣より血風録がすきなタイプだ。燃えよ剣も好きだけど。日野もいったし、板橋の近藤勇の墓にも行った。もちろん、京都も。

そして、石田彰が好きだ。石田彰が渚カヲルをやる前から好きだ。石田彰についても、相当語れる。むかし、TBSラジオで石田彰が番組を持っていて、聞きたいのに自分の家はTBSラジオの電波がわるく、それでもほとんど砂嵐の音のラジオを聞いていた。

幕末好きにはわりとよくある話だと思うが、尊攘派と幕府方、どちらか一方から入るとなんとなく他方を敵視してしまう。現実にはどちらか一方に善悪が寄るものではないだろうが、小説などではどうしても相手方が敵となるので仕方がない。特に、志半ばで散っていった同志がいたにしろ、はじめに思い描いた未来とは異なる結末だったにしろ、某かの結論に辿り着けた尊攘派とちがい、新撰組は何も結論を得ないまま時代の捨て石になった感が強い。新撰組を彩るものは予め定められていた滅びで、それだけに肩入れしやすい。

銀魂を観始めて最初に思ったことは「あぁ、これは新撰組ルートの幕末だ」だった。倒幕が成らずとも、「明治的な世」は訪れていたろうし、いずれ江戸幕府は終焉を迎えていただろうが、それでも新撰組だってもう少しマシな未来にたどり着けていた可能性はある。銀魂が描くのは、その「得られなかった未来」だと。

これまたオタクにはよくある話だろうが、「自分の好きなもの」をモチーフにした作品を、わりとオタクは忌避する。「真にそれを好きな(理解できる)のは自分だけだ!」という感情やら独占欲やらで、特に理由もなく避けてしまう。

そんなこんなで、作品そのものは非常に楽しんでいたわけだが、キャラの好き嫌いという点では「新撰組が好きだから受け入れられない尊攘派元ネタ」「新撰組が好きゆえに、受け入れられない真選組」というアンビバレンツに陥り、「みんな好きだけど強いて選べば神楽か坂本かな?」という状況が続いていたのだった。

とは言えジワジワとざわざわしたものは感じていた。全体的な(自分への)キャッチー度でいったら、圧倒的に土方なのだ。中井和哉も好きだし…。もちろん土方もすきだけど、なんだこのざわざわ!

そんななか、燦然と舞い降りたのが、かの伝説のエピソード。そう、紅桜編!!!

ではなく、かもしれない運転なのだった。

つづきます。


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