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ロンシャンですって

 昨日突然にエアビーで予約した一軒家には他に大柄の男性が泊まっていた(私は姿を見ていなく、友達曰く)のだが彼のいびきが本当にうるさく、ノイズキャンセリングイヤホンの性能が100%発揮された状態での睡眠となった。起きてからイヤホンを見るとバッテリーはなくなり黒い隙間から小さく細い煙を出していたので相当頑張ったのだと思う。大事にしたい。昔ながらの家ではあるのだがフランス式の昔ながらというのはどこか目新しいものもあり誰のものかわからない紫シャンプーを拝借すると泡が紫で楽しかったし、Braunのドライヤーのだす2000年代初頭の熱風で乾かした髪はパリパリになった。


 大きい一軒家に一人で住んでいると思われるキャサリーヌという老齢の女性は上品な方で、チェックアウトしようとするとフラット出てきて鍵を受け取りメルシーと呟いて微笑んだ。その数時間後に彼女が私たちに対してエアビー内での評価を書いていたのだが、彼女も私たちとの言語の壁を感じていたようで、フランス語を全く喋れないままゴソゴソと夜中に訪問したことの申し訳なさと、微笑みを交わし合えはしたからまあいいのではないかという気持ちが入り混じって沸いた

次はフランス語で話したい


 ロンシャンの礼拝堂へはロンシャン駅まで2時間半ほど電車に乗ったがそれほどつらくはなく、退屈な時間を暇と退屈の倫理学が退屈を感じさせなく埋めてくれた。礼拝堂は圧巻であるがコルビジェの建築のなかではあまり好きな方ではなかった。唯一屋根の牛角にみえる曲線とその窄まり方が美しく迫力があった。コルビジェには明るくないがマンションや集合住宅などの住居に彼の考え方がうまくはまっているような気がする。

ロンシャンの礼拝堂


 昼飯は地元のやけに駐車場の広い(これは日本と同じである。赤穂でいう主婦の店、)スーパーで格安のサンドウィッチとチョコパンを買い、それを歩きながら消した。ロンシャンからパリまで戻る必要がありその電車のなかでこれを書いているのだがこれも長く総時間でいうと5時間ほど電車に座り続けている。もはや暇と退屈に関する本を開く退屈さもない。本を開こうというのはそれほど退屈ではないときである。
ともかく昨日と今日で2回ほど切符がないことを駅員に指摘されて(そのうちの一つは故意であったにしろ)罰金を払っていて少し落ち込んでいるので早くベッドで寝たいのだが今日はあいにく宿がないので空港で眠ることになると思う。どうなるかわからないです。

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