おジャ魔女どれみと家庭環境についての考察


はじめに

ニート生活が3か月目に突入し、ふとしたキッカケでおジャ魔女どれみ全シリーズを見返すことにした。26歳になった今、改めてシリーズを見返すと、子ども向けアニメとは思えない、いや恐らく、子ども向けアニメであるからこその、作品すべての誠実さにただ圧倒された。おジャ魔女どれみを産み出した大人たちの「子どものためのアニメを作る」という決意を感じ、放送当時に子どもであった自分が、このような質の高いアニメを見ながら育つことができたことを、心の底から嬉しく、光栄に感じた。

今回は、アダルトチルドレンという視点からおジャ魔女どれみの考察を進めていく。

考察をしていく前提として、おジャ魔女どれみは非常に質の高い、愛情溢れる素晴らしい子ども向けアニメーションであり、これは決して、作品自体の批判ではないことを表明しておきたい。

このような考察が出来るのは、制作陣が、子どもと、それにまつわる問題について、真正面から向き合ってくれたからだ。

わたしたちはみんな問題を抱えながら生きている。どんなに平和な日常生活を送っていたとしても必ず問題は起こる。制作陣はその問題に向き合ったからこそ、子どもには酷ではないかと思えるほどのシビアな現実を描写した。

しかし、おジャ魔女どれみを産み出した大人たちが本当に伝えたかったことは、“問題”自体ではなく、その問題を、友だちや、家族や、周りにいる大人たちと共有し、相談し、少しずつ進んでいくというその姿勢ではないだろうか。少なくとも私は、そのように解釈している。

これを読んでくれる奇特な人たちのなかには、アダルトチルドレンとして考察されるキャラクターと、自分自身を重ね合わせ、過去のことを思い出したり、自己否定の感情に吞み込まれてしまう人がいるかもしれない。

けれど、そういう人にこそおジャ魔女どれみを見てもらいたいと思う。(いまYouTubeで限定公開やってるし!)わたしたちにはどれみがいる。

 

おジャ魔女どれみにおける緻密さ

おジャ魔女どれみを、「多様性を学ぶことが出来る社会派アニメ」と評価する人たちがいる。これには、キャラクターの作り込みの緻密さが大きく貢献していると考える。

プロデューサーの関弘美さんのインタビューによると、企画当初は、キャラクターの名前とクラスメイト全員の座席表を作るところから始めたそうだ。脚本家の山田隆司さんはインタビュー映像で、「キャラクターが勝手に喋り出す」と語っている。リアルで誠実な設定さえあれば、物語は勝手に展開していくのだろう。現実世界と同じように。これがおジャ魔女どれみの強味となる土台であり、“多様性”が発生する条件のひとつである。

キャラクターの作り込みの緻密さについては、作中に分かりやすい描写があるのでご紹介したい。

クラスメイトについてフォーカスする回では、ほぼ必ずクラスメイトの「家」の外観描写がある。わたしたちは、その子どもの「家」を見せられる。住んでいるのは一軒家か、高級マンションか、団地か。一軒家だとして、古い家か、豪邸なのか、車を持っているのか・・・。それは外観だけでなく内装に至るまで、非常に細かく描写される。それによって、わたしたちは自然とクラスメイトの家庭環境を推測することができる。もしおジャ魔女どれみを見ることがあれば、ぜひクラスメイトの「家」に注目してみてほしい。制作陣の誠実さを感じることができるはずだ。

ここから考えられるのは、制作陣は、家庭環境が子どもの人格形成に大きく関わるということを理解した上で、設定を緻密に作り込んでいるということだ。

それは当然主人公である「春風どれみ」についても同様である。どれみがあそこまで愛情深い女の子であるのは、両親から十分な愛情を受け、個人の意思決定を尊重されながら、子どもとして保護され、健全に育ったからではないか。

アダルトチルドレンの魔女見習いと、機能不全家族

健全な家庭で育ったどれみに対し、あいこ、おんぷ、はづきの家族は機能不全家族の可能性があり、彼女らにはそれぞれアダルトチルドレンの傾向があるのではないか。その傾向を個人別に考察する。

■妹尾あいこ(あいちゃん)

明るい性格と陽気な関西弁と相反して、どれみ達のなかでも深刻な問題を抱えたヤングケアラーである。両親が離婚したため、母親に代わって父親の世話を含む家事全般を担っている。作中では「自分のせいで両親が離婚したのではないか」「自分は本当に両親が愛し合って生まれて来た存在なのか」と悩む描写があり、つまり、彼女の根本には「自分は本当に生きていても良いのか」という深刻な苦しみがあることが察せられる。

最終シリーズでは家事全般だけでなく、なんと老人介護まで献身的にこなしている。その時点でも彼女はたったの12歳。自分自身の存在意義を見失った子どもが、過剰な献身を行うというのは、アダルトチルドレンにみられるケアテイカー(世話役)およびイネイブラー(慰め役)の傾向である。

本筋とは若干逸れるが、離婚の大きな原因には「父親のモラハラ傾向」がある。

・自分自身と子どもの世話のために、妻の仕事(介護職)を辞めさせようとする。(時代とはいえ)

・妻の流産を妻のせいにする。(「お前が仕事ばかりしてるから流産したのではないか」という非常にショッキングなことを言っている)

・母親が引き取る予定だったあいこを引き取ってヤングケアラーにする。

※あいこが父親に引き取られたのは、離婚時に母親から「お父さんをお世話してあげて」と実質丸投げ状態にされたのも原因のひとつであるため、これに関しては一概に父親だけを責めることはできない。

※とはいえ、その時点であいこの母親は、自分の母親(あいこの祖母)の死に立ち会えなかったこと、子どもを流産してしまったことで強い自罰感情があっただろうし、今後始まる自分の父親(あいこの祖父)の介護も含めると、彼女は本当に厳しい環境におかれていたのだ・・・

・母親があいこのヤングケアラー傾向について心配しても逆ギレ

これらのモラハラ傾向は、最終シリーズにてようやく父親が自覚し、反省しているため、恐らく今後は改善されていくのだろう。そう思いたい。

こう羅列するとまあまあ酷いことをやっていると思うんだけど、しかしどうもあいちゃんの父親は愛嬌とか人柄でなあなあにされているような気がするので、ここでしっかりと糾弾しておく。あいちゃんのお父さんは好きだけど、父親や夫としては酷すぎたよ!

 

■瀬川おんぷ(おんぷちゃん)

アダルトチルドレンにおけるヒーロー(英雄)的な傾向がある。父親、友達、学業などのさまざまな実生活を犠牲にしてまで続ける芸能活動は、もともとは「母親の夢を叶える」という母親の期待を背負って始めたという。また、おんぷの母親は、子どもを保護し、ケアする母親でありながらも、おんぷを管理し、労働させるマネージャーであり、本人の意思に反した無理な仕事をスケジューリングすることも多々あるため、母親に対して不信感を抱く様子がたびたび描写されている。保護者でありながら、子どもで稼ぐという、この相反する要素によって、彼女が自分自身の母親を“保護者”として全面的に信頼しているとは考えにくい。

 

■藤原はづき(はづきちゃん)

そもそも魔女見習いになった理由が「母親にはっきり自分の意見を言いたいから」である時点で彼女の家庭環境に問題があることは明白だ。ネット上でも「はづきちゃんのお母さん毒親すぎる」という意見が多く見られるため、恐らく作中もっとも分かりやすく“毒親”描写があるのがはづきの母親である。アダルトチルドレンとしては、ヒーロー(英雄)とイネイブラー(慰め役)の両方の傾向がある。はづきの母親はコントロール・過干渉型の毒親傾向があり、はづきの服装をはじめ、習い事から進路まですべてに干渉し、コントロールしようとする。口癖は「どうして言うこと聞いてくれないの・・・今までママの言うことちゃんと聞いてたのに・・・」

最終シリーズで母親が「MAHO堂に行くのをやめて受験勉強に専念するように」「中学は私立に行きなさい(どれみ達は公立中学校へ進む予定)」と言い出し、憤ったはづきが「どれみちゃんたちと同じ学校に行くことは悪いことなのか」と尋ねるシーンがある。

そこではづきの母親は、「それは・・・」と口ごもった。私はここで「この母親はどれみ達のことをはづきの友人として歓迎しているわけではない」と確信した。

「どれみちゃん達は良い子だけど、公立の小学校で出来た一時的なお友達であり、はづきの今後の人生に関わるのは、自分やはづきと同じ階級の人間であるはず」と当たり前に思っていても不思議ではない。

はづきの母親は、母親でありながら、娘のはづきにとってMAHO堂やどれみ達の存在がどれほど重要か理解しておらず、はづきを個人として尊重することなく、意思決定権も奪う。

はづきは恐らく胃腸が弱いタイプである(であった)と推測しているのだが、こういった家庭環境もその要因のひとつではないだろうか。

 

■MAHO堂へのスタンスで、すべて分かる

実はこのような考察をせずとも、健全な子育てが成立しているかどうかは、MAHO堂へのスタンスですべてが分かる。

これは、も~っと!おジャ魔女どれみ2話で、どれみ達が「引き続きMAHO堂を手伝わせてほしい」と自分の親を説得するシーンで明確になる。

 

どれみ母 

→ 賛成。娘がMAHO堂での手伝いを通して人間的に成長したと感じているから。

ももこ母

→ 大賛成。娘にこんなに素敵なお友達(どれみ達)ができるなら。

はづき母

→ 最初は反対。英語の勉強(実益)ができるなら賛成。

あいこ父

→ 最初は反対。その後、発言のタイミングを逃し流れで賛成。

おんぷ母

→ 最初は反対。英語の勉強(実益)ができるなら賛成。

 

最終的には全員が賛成することになるのだが、はづき、おんぷの母親に関しては「英語を学べるなら」賛成というだけで、 MAHO堂という仲間・経験・場所に対しての価値を見出しているわけではない。あいこの父親に関しては、子どもにケアされているという立場上、保護者として発言できるはずもなく賛成に流れる。一方で、どれみとももこの母親は、MAHO堂そのものが子どもにとって大切な場所であることを理解した上で、賛成している。

春風どれみとは

どれみが並大抵ではない優しさと愛情を持っていることは、美空小学校の同級生全員と、魔法界女王のお墨付きであるが、どれみがそのような子どもに育ったのは何故か。

“おジャ魔女どれみにおける家庭環境描写について”で、「どれみは健全に育った」と述べたが、実はどれみの母親も“毒親”になりかけたことがあった。

過去、どれみの母親は、ピアニストという叶わなかった自分の夢をどれみに押し付け、どれみを厳しく管理し、どれみを潰しかけたことがある。どれみの母親はそれを深く反省し、自分が大切にしていたピアノをすぐに売り払った。きっとその後は、どれみの意思を尊重しながら子育てをしてきたのではないか。どれみの母親は早い段階で、「子どもに何かを期待すること」の罪深さを体験し、反省することができた。

またどれみも、“母親に期待に応えられなかった”という挫折を経験した。ピアノを上手く弾けなかったこと、続けられなかったことはどれみの負い目となっているが、同時に、期待を裏切るような子どもであっても、母親からの愛情を失うことはないということが分かり、家族と確固たる愛着関係を築くことができた。どれみの根本にはしっかりと自己肯定感が育まれているため、周りに迷惑をかけても根っから落ち込んでしまうことはないし、挫折も経験しているから、ひとに優しくできる。「ありのままでいい」と自分も友達も認めることが出来る。だからみんなどれみに救われる。そして少しずつ、自分自身を認めていけるようになる。

 

おわり

一番好きなシリーズはも~っと!

お菓子がとにかくもーめちゃめちゃ可愛い。毎回悩んでいるひとにお菓子を作ってプレゼントするなんて素敵すぎる。食べ物って直接的にひとを幸せにしてくれる。むかし家にあったどれみちゃんの絵本のレシピを見て、よく母とスコーンを作りました。

美空小のクラスメイトと天然のももちゃんが大好きなので、このへんの掘り下げがたくさんあるのも最高です。そしてまじで小学生の心理描写がすごすぎます。

話の完成度でいうとナイショもめっちゃすごいので、1話ごとに感想書いていきたいな。

 

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