![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138887666/rectangle_large_type_2_2f1a80214eeaf948236a207b3c45479d.jpg?width=1200)
👑持統天皇👑に関する聖地巡礼記録👟
せっかく氷高皇女(元正天皇)に関する想像(妄想)を長々と日記に書いたので、勢いのまま持統天皇に関する想像(妄想)も書いていきたいと思います。
持統天皇(鸕野讃良皇女)
・645年〜702年(在位690年〜697年)
・天智天皇と遠智娘(蘇我倉山田石川麻呂の娘)の娘
・壬申の乱後、天武天皇の皇后となる
・第41代天皇、和風諡号は高天原廣野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)(『日本書紀』)、大倭根子天之廣野日女尊(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)(『続日本紀』)
・『日本書紀』では「深沈(しめやか)にして大度(おおきなるのり)有します」と記されている
・孫である文武天皇に譲位し、史上初の太上天皇(上皇)となった
私が持統天皇にハマるきっかけとなったのは、2015年に放送されたNHKの歴史秘話ヒストリアで水樹奈々さんが持統天皇の声をあてられていたことによります。
この頃はここまで天上の虹や持統天皇にハマるとは思わなかったな・・・
そんな私のバイブルは、歴史秘話ヒストリアでも取り上げられた『天上の虹』。
こちらの持統天皇が理想すぎて、他の作品の持統天皇のイメージがあまりピンとこない。笑
なので、『天上の虹』の持統天皇のイメージをベースに、所縁の場所を巡って想像を膨らませています。
そんな訳で、これまで巡ってきた持統天皇所縁の地色々です。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138889624/picture_pc_ca1daf75bdbc674c5503e4490794510d.jpg?width=1200)
持統天皇といえば藤原京への遷都ですが、やはりはじまりの地は飛鳥京かなと。
持統天皇が生まれた645年は乙巳の変(大化の改新)の年なので、生まれた時から波瀾万丈な世の中だったんだろうなーと考えています。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138890224/picture_pc_861a335309cf37bb8340bfda07449fbc.png?width=1200)
言わずと知れた持統天皇の都。
今はだだっ広い広場ですが、それがまた想像が膨らむので良い。
いつも大極殿跡から香具山を見ながら持統天皇の歌を思い浮かべてます。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138890862/picture_pc_2fcedaf1d45e8a1bf105e46cfb39ed55.jpg?width=1200)
天武天皇&持統天皇にとっては壬申の乱の出発地点。
持統天皇は在位中30回以上吉野に行幸していることで知られています。
吉野は聖なる場所というイメージですね。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138891183/picture_pc_2c132b165cb92c33c49fd6886c0eaf6b.png?width=1200)
持統天皇らが吉野への行幸時に通っていたとされる古道。
比較的近年まで利用されていた道のようです。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138891559/picture_pc_2aff72cbca94d867ac2f49180a4612b6.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138891661/picture_pc_6ec527f4b31090caa9c3506a57177591.jpg?width=1200)
天武天皇が皇后(持統天皇)の病気平癒を祈願して建立が開始されたお寺。
元は藤原京内にありましたが、平城京遷都後に現在の場所に移築されています。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138891962/picture_pc_fc9ce90529dc81f10a808394fdbf1926.jpg?width=1200)
持統天皇の母方の祖父である蘇我倉山田石川麻呂の本拠地があったとされるお寺。
飛鳥・奈良時代にハマってから最初に読んだのが永井路子先生の『美貌の女帝』だったので、倉山田系の蘇我一族にとって特別な場所だったのかなあと思いながらお参りしています。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138892665/picture_pc_f6925de3ae0a58141daf5f0c0289a8ef.png?width=1200)
直接は関係ないかもしれませんが、天智・天武・持統の3天皇の産湯に使われた井戸があるお寺。
そういえば、近江京時代の鸕野讃良皇女のお住まいはどの辺りだったんだろうか。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138893048/picture_pc_23d8a6bdeff6d7c09c4cc6550e514cf0.jpg?width=1200)
天武天皇朝に斎宮制度が整えられ、持統天皇朝に最初の式年遷宮が行われたとのこと。
天照大神=持統天皇のイメージもあり、聖地巡礼先に入れてはいますが、人が多すぎてゆっくりお詣りできないのが唯一の難点です。笑
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/138893467/picture_pc_fa8a1dedc16aa9f463c0eee423ce5bdc.jpg?width=1200)
夫婦合葬の珍しい天皇陵。
鎌倉時代に盗掘に遭い、被葬者や副葬品がほぼ断定されているのも特徴ですね。
飛鳥に来たら毎回お参りしています。
持統天皇は『天上の虹』が理想すぎて、あまり想像(妄想)の余地は(個人的には)ないのですが、まだまだわからないことも多い時代なので、ロマンは常に感じています。
アメブロでも色々書いています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?