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とあるところから拝借

「極楽と地獄」、"うどんの話" です。
初めて聞いて心に残ってる話です ̄(=∵=) ̄
 

⭐️盛和塾・稲盛和夫塾長(京セラ名誉会長・日本航空会長のお話です

  

京都のとあるお寺で、若い修行僧が「あの世には"地獄"と"極楽"があるそうですが、"地獄"とはどんなところなのですか?」と老師に尋ねたところ、老師は次のように答えました。

  

「確かにあの世には"地獄"もあれば"極楽"もある。しかし、両者には想像しているほどの違いがあるわけではなく、外見上は全く同じような場所だ。ただ一つ違っているのは、そこにいる人達の心なのだ。」

  

老師が語るには、"地獄"と"極楽"には同じように大きな釜があり、そこには美味しそうなうどんが、ぐつぐつと煮えている。

ところがそのうどんを食べるのが一苦労で、長さが1メートル以上ある長い箸を使うしかないのです。

  

"地獄"に住んでいる人は皆、われ先にうどんを食べようと、争って箸を釜に突っ込んでうどんを掴もうとしますが、余りにも箸が長く、うまく口に運ぶことが出来ません。

しまいには、他人が掴んだうどんを無理やり奪おうと争い、喧嘩になってうどんは飛び散り、誰一人として目の前にあるうどんを口にすることが出来ない。

  

美味しそうなうどんを目の前にしながら、誰もが餓えてやせ衰えている・・・ 

それが"地獄"の光景だというのです。

   

それに対し、"極楽"では、同じ条件でも全く違う光景が繰り広げられています。

  

誰もが自分の長い箸でうどんを掴むと、釜の向こう側にいる人の口へと運び、「はい、あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。

  

そうやってうどんを食べた人も、「どうもありがとう。次はあなたの番です」と、お返しにうどんを取ってあげます。

ですから、"極楽"では全員が穏やかにうどんを食べることが出来、満ち足りた心になれる。

   

同じような世界に住んでいても、温かい「思いやりの心」を持てるかどうかで、そこが"極楽"にも"地獄"にもなる。 

それがこの話が言わんとしていることなのです。

 

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