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非難中毒者

非難中毒者について

 世の中には誰かを(または何かを)非難することを生きがいにしているどうしようもない人間がいる。非難することを生きがいにしている人間は物事の正しさについては何の関心も示さない。物事の正しさについて関心を持たず、とにかく相手に間違いを認めさせることにだけ関心を持っているのが非難を生きがいにしている人間である。つまり、非難をしている人間は自分が間違っていて相手が正しくても自分の間違いは一切認めず、相手に間違いを認めさせようとだけし続ける論理的思考力の欠如をした人間であると言える。

 非難をする人間は、相手が実際は間違っていなくても間違いを認めさせようとするという特徴がある。そして、非難をしたがる人は、根拠を示して相手の主張(あるいは何か)の間違いを指摘しようとはしない。詳しいことは、本垢で書いた「学習を忘れた人たちと論理」という記事を無料でもあるので読んでほしいのだが、非難をする人間は根拠立てて物事を論理的に見るのではなく、相手の主張(あるいは何か)が「なんとなく気に入らない」というような直感的・感情的に見ている。

 一応、誤解のないように断っておくと私は「批判」は何も問題がないと考えている。日本では「批判ばかりせず、対案を出せ」とか「批判するな。周りの空気を乱すな」というような意見もあるが、間違っている物を間違っていると論理的に批判すること自体は何の問題もない。むしろ、間違いを批判し、正さないことの方にこそ問題がある。

 私が批判しているのは論理的な「批判」ではなく直感的・感情的な「非難」の方である。非難をする人間は、物事の正しさに等一切興味を示さず、論理的に物事を見ることもなく、ただ「相手は間違っている」という結論ありきで相手を(根拠を示さず)感情的・直感的に非難をする。私はそのような人間を非難中毒者とでも呼ぶことにしようと思う。

 非難中毒者はとにかく相手のことを非難することで「自分の方が相手より上に立った気になりたい」「憂さ晴らしをしたい」というような動機があるように思える。

 相手の主張を非難することで自分はすごいと自惚れているのだろうが、根拠を示さずに感情的・直感的に相手(または何か)を非難することなど誰でも出来る事だ。

 そのような論理的思考力を欠いた非難中毒者があまりにも多すぎるように思える。少しは根拠立てて物事を批判的に見ることが出来るようにならなければ人間としての成熟など不可能ではないだろうかと私には思える。



非難中毒者への個人的な批判

 私的なことだが、私自信、非難中毒者に絡まれたことは何度もある。今までで一番ひどかったのは、私の記事を読まずに非難をしてきた人間がいたことだ。

 その非難された記事では「『賢い』とはどういうことか」ということを書いていた。「賢い」という言葉は非常に定義が曖昧であり、主観的な言葉になりがちであることから、私は教育学、心理学、脳科学、解剖学など、多分野から専門家(第三者、客観的な視点)の意見や研究を紹介しながら客観的に「賢い」と言う言葉を定義しようと試みた記事であった。

 だが、その記事を読んでいない人は「私は前書きの途中までしか読んでいないが、『賢い』という主観的な言葉を使っている執筆者(つまり私の事)こそ自分の世界に籠っていて賢くないのではないか」というようなことを言われた。

 たしかに、私は特別自分が「賢い」というようなことを言うつもりは毛頭ない(実際、そんなことは今まで記事中で一回も言ったことはない)。だが、主観的になりがちな言葉を客観的な根拠(意見や研究)を示しながら定義しているにもかかわらず、その客観的な根拠を示している部分を読まずして「『賢い』って主観的な言葉ですよ」というのは、流石に非難者は頭が悪すぎるのではないだろうか。

 抽象的で主観的になりやすい言葉を客観的な根拠を示しながら定義している訳で、その客観的な根拠の部分を読まなければ主観的に見えてしまうのは当然のことだ。そんなことは小学生でもわかる。

 それを理解せずして、相手の主張を全て読む前に「お前は間違っている」と非難するほうがよほど「自分の世界に籠っている」と言えるだろう。相手の主張を理解する気もないのに、自分の直感(世界)から相手を非難することを前提に絡んでくる人間はハッキリ言ってウザい。

 しかも、そのこと(「客観的な根拠を示しているのを読んでいないだけ」ということ)を指摘すると相手からは一切無視をされたのだから本当にウザかった。相手から反論される覚悟がないのであれば避難などするな、とはっきりと言いたい。自分の間違いを指摘された瞬間、謝罪もせず非難を撤回しないあたりもまさに非難中毒者の特徴であろう。つまり、何が正しいのかということには興味・関心がないので自分の間違いを指摘されたとしてもそのことには一切興味・関心がないのである。

 論理的な思考力を欠いた非難中毒者は、もう少し相手の主張を理解した上で根拠を示して論理的な批判をすべきである。相手の主張を理解する気がないなら相手に物申す権利など一切ないのだ。

 ここでハッキリと言っておくが、まえがきの途中までしか読まず、本章を全く読んでいないのに相手の主張を理解した気になって感情的・直感的に非難してきたその人間は「賢い」とは真逆の人間と言えるだろう。

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