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エッセイ「年々部屋が荒れていきます」

先日、妹に
「ねーちゃんの部屋年々ひどくなっていってない?
昔はここまでじゃなかったのに」
とポツリと言われた。

確かに言われてみれば中高生の頃は
ここまで部屋は荒れてなかった

どうにも高校を出たあたりから拍車がかかってきたような
感じもする。

一番危ういのはそのことに対して
関心がなさすぎるということだ。
(そのために戒めとして久しぶりにエッセイを書いてる)

このままでは本当に将来ゴミ屋敷の住人になってしまうのでは
ないだろうかとも思う。

しかも変なところでこだわりが強い私は
歯磨きも風呂も入らないと気が済まない。
そのおかげで今でも虫歯はない。

歯のクスミことは異常に気にするくせに
足元に転がっている本や紙には一切関心がない。
足の裏に張り付いて、
引き剥がして、また元の位置に置いている。

逆になんでとこの文を打ちながら思う

片付けしなくてもいいように
使ったものをもとに戻せばいいだけなのに、
とりあえず床に置いて置こう。どうせまた使うし。
そんなことの繰り返しで
あっという間に床が埋まってしまう。

なんなんだろうこれは、

なんで自分は今こんなルンバも動かせないほどの
部屋に居るんだろう。




かつての私は、
潔癖症の祖母の元で育ち、
毎日毎日祖母の掃除を手伝っていたし、
掃除機だってルンバじゃなくて、
持ち手付きのやつで
一日に二回かけていた。

高校を出てから祖母に関わることは
激減した。

それと同時にというか、
もはや反動で掃除をしなくなった。


私は掃除機の音が苦手だ。

ルンバを導入したのも
掃除機の音を聞きたくなさすぎたからだ。
ルンバは家を出てから遠隔でスイッチを押せる。
これは本当に素晴らしい機能!!!!

そこまでしてでも私は
掃除機の音と同居したくない。

だけど、昔は毎日毎日我慢して
部屋の角や、カーペットの裏まで丁寧に丁寧に
掃除機をかける祖母が遠ざかるのまで
ソファーの上で疼くまっていた。

いまだにテレビの音も苦手だし、
ドライヤーの音も苦痛。

でも、そんなの「我慢できるのが当たり前」
だと思っていたんだけど、
私以外の身近な人たちは本当に
「何にも感じない」ことに二十歳を過ぎて
やっと気付いた。

我慢もなにも、
なにも思わないんだ。

なにも感じないが想像できないから
不思議


でも、静かだと安心するのに
人がいないと寂しい。

最大の矛盾だけど、これは人間らしくて愛おしい矛盾だ。
この矛盾は嫌いじゃない。

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