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私の心のこり

小学1年生のころにある嘘をついた。

それがずっと心のこりとしてのこっている。

当時、友達と腕を組み机の間を前進する、「電車ごっこ」が流行っていた。だんだんスピードを上げて走っていくと、友達と一致団結して進む感じがして、非常に爽快な気分になっていた。

ただ、担任の先生には「廊下を走るな」「教室を走るな」と何度か叱られていた。この担任の先生はなかなかに怖いものであり、怒られるたびに反省をしていた。

ある日、私は体を動かしたいという純粋な欲求のもと、男子トイレで「電車ごっこやろうぜ!」と友達を8人ほど集め、肩を組み合い、廊下や教室を全速力で走った。

その最中にて、友人の一人が机につまずき、怪我をしてしまった。

幸い大事には至らなかったが保健室送りになり、当時何度も注意していた担任はついに激怒した。

「電車ごっこ」に加担したメンバーは集められ、担任の机の前で正座をさせられた。

そして、担任は「誰がはじめにやりだしたのか」という問いを自分たちにぶつけてきた。

私は、「自分から誘いました」とは到底言えなかった。怒られるという恐怖で。

まわりの友人も、空気を読んだのか、はたまた恐怖だったのか、とにかく一切口を開こうとせず黙秘。その空気感に、また担任は激怒した。

この「電車ごっこ」事件は、2日経っても誰からはじめたかが明らかにならず、なかなかに大きな問題に発展した。結果的に親にも報告が行き、全員で反省して、なんとか場が収まった。

友人にも迷惑をかけ、親にも迷惑をかけることになったが、どうしても「自分から誘いました」とは言えなかった。認められなかった。

もしあの時、「自分からはじめました」といえる勇気があったら、何か変わったのだろうか。

もしあの時、「自分からはじめました」といえる勇気があったら、あんなに大問題になることはなかったのか。友人共々叱られることはなかったのか。

15年経った今でも、その時の焦りや葛藤の記憶は覚えている。

あの時に、「自分からはじめました」と言うことができれば、こんな心のこりにはなっていなかったんだろうと思う。


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