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〖ひふみ神示】からの🤍❤️🖤💙💛【¿会心?(改心!)の一撃】その一(ヒ)

みなさま?

🌞(オハ)🌝(バン)🌏(チ)ハ。

こんな[つぶやき]を投稿してからというもの…

一か月以上、まともにnoteを開く“氣分„にも

なれずにおりました。

それというのも

筆者が幼少の頃から大変お世話になり、

また、自らがしでかしてしまった

数々の失敗や過ちによって

〔落魄れ引き籠もり〕となってからも

見捨てずにいて下さった大切な存在。

伯母との

死別〕を経験したからでございます。

🤍【今生の別れ〗

( ウ〜ム…note運営事務局様… )

( 出來ましたら“記事タイトル„の部分も )

( “改行„や“中央揃え„ができるような仕様に… )

( あ💧)

またいつもの惡い癖?で

心の聲
(いちゃもん)が漏れてしまいました😅

と…

このように[
泣いた烏がもう笑う]を

¿字で言っていってみた?(地で行く!)

筆者ではございますが、

正直、

伯母との別れには“かなりのショック„をうけ、

その“ダメージも大きく„

かなり落ち込んでおりました。

筆者は日頃より〖ひふみ神示】によって

《生死観》

というものについても理解を深めている

“つもり„ではございましたが、

それでも親しく接して下さった方々との

今生の別れ〗には

“特別な意味„というものを感じずにはおれません。

生前に色々とご心配やご迷惑を

お掛けしてしまっていたこと、

少しでも喜んでいただけるようなご報告や

ご恩返しが出来なかったらこと、

形式化された“お悔やみ„などという言葉ではなく、

心の底からの〔悔い〕というものを

“ひしひしと実感„しながら、

〘改めて〕今の自分できることはなにか?

今生】をどう生きるべきなのか?

などについて深く考えさせられました。

❤️【“シン„型コ(まる?)ナによる影響】

そして、政府による〔緊急事態宣言〕も

九月いっぱいで解除され、

¿一四一四?(いよいよ!)“十„月となりました。

( なんのいよいよでしょう…?)

未だ予断は許されない状況かも?知れませんが、

“シン„型コ
(まる?)ナの“猛威„も

ようやく終息を迎える“兆し„のようなものも

少しずつ見えて來たのではないかと、

みなさま¿ハ?(も!)お感じではないでしょうか?

しかし、

伯母が亡くなった時点では、

全國的な移動制限中ということもあり、

通常の通夜や葬儀は執り行わず

伯母家族のみでの“家族葬„となってしまいました。

実際、このようなことが起こるまでは、

〔引き籠もり〕をしている筆者にとって、

【“シン„型コ
(まる?)ナによる影響】を

“身近に感じる„ような出来事も

“あまりなかった?„のではございますが、

この度のことで〘改めて〕

“シン„型コ
(まる?)ナが社会に与えた影響を

“実感„することとなりました。

🖤【其々の¿マガリカド?(マカリカタ!)】

ただ…

このようなことを思うのは伯母家族に対しても

不謹慎なことなのかも?知れませんが、

闘病により“やつれゆく„伯母の姿や

“ご遺体„や“ご遺骨„を直接目にする機会のない

〘今生の別れ〕というものは、

“元氣„な頃のままの伯母が

“今でも心の中に生きている„ようで、

もともと離れた所で暮らす筆者にとっては、

伯母の葬儀
(親族を集めての)

執り行われなかったことが、

どこか“心の救い„ともなった側面もございます。

そのため、

現代の日本では通例となっております?

“遠方からも人を集めて„の

厳かな通夜や葬儀を執り行う“カタチ„にて、

必ずしも〘人の死〙というものを

“多くの人の目に焼き付ける„必要は

ないのではないか?と、

筆者としては感じてしまいました。

ひふみ神示 第五巻 地(九二)つ巻 
(昭和19年9月15日 - 10月11日) (全36帖)
第七帖 (一四四)
神にまつらふ者には生も死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国(がいこく)の悪わたり来て神は残念ぞ。見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。九月十八日、ひつ九。

出典: ひふみ神示 全文 (スマホ対応) サイト様 より

(※太字は筆者による強調)(※まかる

💙【神道と仏教の生死観の違い?】

残念ながら今の筆者には、

常識的?な学問の知識や世界各國の歴史や宗教、

また、神道や仏教などついての知識なども

ほとんどございません
😅

そのため、

あまりテキトー?なことは申し上げられませんし、

【神道と仏教の生死観の違い?】

についてなども

上手く説明することなどできませんので、

先ずはこちらの

¿人の褌?(他所様の記事!)を

ご覧になって頂けますと幸い致しますが、

〘この世を先立たれた
(亡くなった)方々〙

という存在は、

本來ならば〔この世に遺された人々〕にとって?

もしくは、

少なくとも“私達日本人„にとっては?

先ご紹介させていただきました

〖ひふみ神示】の

〜神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、きよめにきよめておいた神の国に、幽国(がいこく)の悪わたり来て神は残念ぞ。見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。〜

という一文にもございます

〘神漏岐
(かむろぎ)〕〘神漏美(かむろみ)〕の

〘命
(みこと)〕という存在となり、

また、同時に〔この世に生きる人々〕を

生前と変わらぬ“愛情„を持って

“そっと包み込むように守ってくれる„

〘海〕のような存在ともなり、

私達の中で共に息づく

〘“命
(みこと/いのち)„〕であると

認識しておくべきなのかも?しれません。

💛【心¿ハラタ?(アラタ!)に…】

筆者も〖ひふみ神示】に出会うまで…

いえ…

実はこの度ような〘今生の別れ〕を

“実際に„突きつけられるまで、

〘この世を先立たれた方々〙は

遠く離れた“天國
(別天地?)„へと赴き、

〔この世に生きる人々〕の

“雑多な出来事や悩み„などとは

“無縁の場所„で穏やかに過ごされていると

思うように努めておりました。

そのため、

“辛
(つら)いこと„や“苦しいこと„などがあった際に、

〘この世を先立たれている方々〙を思い

“助け„や“救い„を

求めてしまうような考えは無論、

自分の“体験„や“経験„に

付き合わせようとしてしまうことすら

( 先人達を“無用に困らせるだけ„ではないか?)

と考え、どこか“よそよそしく„

向き合うことにしておりました。

しかし、

もし仮に?その先人達が、

〘神漏岐〕〘神漏美〕の〘命
(みこと)〕として

“今も自分達の中で生き„

今も自分達と共に“ミタマ磨き„をしている

〘生き通し〕の存在なのだとすれば?

自分達が“辛ければ„その〘命〕も“同じよう辛く„

自分達が“苦しければ„その〘命〕も

“同じように苦しんでいる„

ということなのかも?知れません。

そのように“受け止め„させて頂きますと、

もし、自分が

( この世の中は“地獄だ„!)

などと思い、

“ハラ„わたが煮え繰り返るような激しい感情や、

人様を
陥れてでも、我先に苦境から逃れようと

企むような“ハラ„黒さなどを抱えたりすれば、

その〘命〕にも

〔“地獄的想念„〕の中で過酷な“行
(ぎょう)„を

“強いる„ようなものなのかも?知れません。

そのように“捉え„ますと、

〔この世を生きる自分達〕が

いかに“責任重大な役目を担い„生きているのかを

理解することも出來るのではないでしょうか?

少なくとも筆者は、

この度のことでそのように“受け止め„させて

いただきましたので、

〖ひふみ神示】にございます

ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻(コガネの巻)
(昭和24年11月17日 - 昭和25年1月18日) 
(全100帖)
第一帖
元の元の元の神は何も彼も終ってゐるのであるぞ。終なく始なく弥栄えてゐるのぞ。友つくれよ、友つくることは己つくることぞ。広めることぞ。己を友の心の中に入れることぞ。皆われの目的たてに来てゐるぞ。それでは思惑たたんぞ。御光が愛ぞ。真ぞ。愛はマぞ。真は言ぞ。これを誠と云うぞ。誠は生きてゐるぞ。三千世界の生命ぞ。和つくれ。和はむすびぞ。何も彼も生れるぞ。いきするぞ。自分で勝手にしておいて親神を怨んでゐるぞ。この巻から人民の道しるべであるぞ。近いことから知らすぞ。この神示出たら、すぐ血としておいて下されよ。そなたの為であるぞ。そなたの為は人の為、世の為、三千世界の為であるぞ。この巻 黄金の巻。心の眼ひらけよ。十一月十七日。ひつ九のか三

出典: ひふみ神示 全文 (スマホ対応) サイト様 より

(※太字は筆者による強調)

という一文
(一部?)が、

“何を意味しているのか?„についても

深く理解させて頂くことが出來たような?

“氣„がいたします。

それゆえ、

筆者の至らなさなどにより、

生前にお掛けしてしまった

ご心配やご迷惑の数々などについて、

いつ迄も“くよくようじうじ„と

〔悔い〕ながら、

頭を抱え考え込み立ち止まっているよりも、

今の自分が“前向きに出來ること„へと

“全力で邁進„させて頂くことこそが、

今も共にある〘命〕への 

( 最善の“ご恩返し„となるのではないか? )

と、思われるのでございます。

そして、

常に自分の“ハラ„の中の

〔ドロドロ〕としたモノ?を〘洗い〕出し、

常に自分の“ハラ„を〘新た〕にするつもりで、

今後ともなるべく〘お氣樂
(地?)極樂〕な

¿ハラヅマリ?(
腹積り!)にて、

“イキ„て“イカ„せて“イタダ„かねばならないと!

この度ことで“アラタ„めて

¿
快心?(改心!)させていただきました😅

〜世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、〜

おっト…

“ト„はいえあまり“調子に乗って„執筆していると、

また“つらいメッ!„に

あわされそうでございますので…

たぶん“ウツル„ことも

人様に“ウツス„こともない?

〔引き籠もり〕ではございますが、

(まる?)ナ予防の

¿枠鎮?(ワクチン!)を打ちに

いかねばなりませんので
(妻が😆)

今回はこの辺りにて、

¿まかり?(おわり󠄁!)たいと思います。

ではでは…

また次回
(仏魔編?)で、

¿
会心?(お会い!)いたしましょう👋

( “五六七„予防にも効果あるのかしらん?)

五十黙示録 補巻 紫金之巻
(昭和36年)(書記日は不明) (全14帖)
第六帖
白玉や 赤玉青玉 ささげまつりし。

今迄は白馬と赤馬と黒馬とであったなれど、岩戸がひらけたら、岩戸の中から黄(基)の馬が飛び出してくるぞ、キが元ぞと申してあろうが、トドメの馬であるぞ、黄金の馬であるぞ、救ひの馬であるぞ、このこと神界の秘密でありたなれど時来たりて人民に伝へるのであるぞ、今迄は白馬に股がって救世主が現れたのであるが、いよいよの救世主は黄金の馬、基(キ)の馬にのって現われますのであるぞ。

出典: ひふみ神示 全文 (スマホ対応) サイト様 より

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